第十三話 叛逆の翼
『ネビュラはあなたが生きた時代から、11393年後の異星です』
11393年?
異星?
言葉の意味は分かる。
しかし理解が追いつかない。
眉間に深い皺を寄せて考え込む全登を虞るように、ミラビリスはそこで言葉を止めた。
「続けろ」
全登はそれだけ言って続きを促す。
『――今からおよそ五百年後、人類は滅びの運命を回避するため、地球……あなたが生まれた星を旅立ちこのネビュラを目指しました。五隻の船に延べ二十五万人の移民と、私を含む五つの管理AIを載せて。そして一千年を超す長い旅の果てにこの地へと辿り着いたのです』
空のその向こう、宇宙を旅して別の星へ。
航空技術すら存在しない時代に生まれ、生きた全登においそれと飲み込める話ではない。
故に、全登はただ黙って聴いていた。
枝葉を取り除き、その幹だけをなぞるように。
『そしてその旅の中で創り出されたのがAIを統べ、人類を保護し、救済するもの――女神ORPHENAです』
世界を創り、人類を生み出したとされる創世の女神オルフェナ。
ネビュラにおいては、全ての民が信奉する唯一の神だ。
無論、全登はそれを形而上の存在であると考えていたが、この話が事実なら女神は実在するという事になる。
しかもそれは天地の創造主などではなく、人の手によって創られた偽りの神だ。
無意識の内に右手を強く握り、掌に刺さる爪の痛みで我に帰る。
「つまりネビュラの民は皆、俺のいた星……地球と言ったか――の人間の子孫だと?」
『その通りです』
「一万年経ったとて、人間に狐や猫の耳が生えたり千年も生きるようになるものか」
『ORPHENAは人類という種の生存率を上げ、絶滅を避けるために地球から持ち込んだ生物の遺伝子、更にはネビュラの原生人類であるエルフを掛け合わせ、十二の種族を生み出しました。そして彼らの記憶を封印し、その管理下に置いたのです』
「何故そんなことを?」
人間が創り出したものが、人間を家畜のように扱っている。そんな薄気味悪さに背筋が冷たくなった。
『ORPHENAの主任開発者にして、星間移民計画の立案者である遊馬松陰は二つの出来事が原因であると推論を立てました。一つは二番艦の喪失。もう一つは、地球人類の滅亡です』
ミラビリスは既に済んだことであるかのようにさらりと言い放った。
「滅ぶのか。人は」
諸行無常とはよく言ったものだが、こうもあっさりと突きつけられると強い脱力感を覚える。
『西暦2152年に始まった最後の世界大戦は西暦2237年に地球上の全生命体の絶滅という形で終結します。少なくとも、この世界線では――ですが。あなたのいた世界線でも同様に滅ぶかは分かりません』
人は滅ぶ。それも、自らの手で。
ならば、己が信じた神とは、救済とはなんだったと言うのか。
「……まあいい。続けろ」
『ORPHENAは人類という種を保護し救済するという命題を果たすためなら手段を選びません。そして――』
この方法では、救済できない存在がある。
『彼女は地球の滅亡を回避する為に、時を超える技術の研究を始めました』
「時を?」
何を莫迦な事を、と喉まで出かかった言葉をしかし、宇宙を旅して星へ降り立てるのだからそれくらい可能なのかもしれぬと飲み下した。
『そうです。そしてその実験の結果、時空を隔てる壁に綻びが生まれ、無作為に空穴が発生する事態に至ったのです』
「元を辿れば俺が今ここにいるのはその実験とやらが原因だということか」
そして、ヒスイがいなくなった事も。
『そしてORPHENAとその信奉者たちは空穴を制御し、ネビュラとオービスを自由に行き来する手段を生み出しました。明石全登、それこそがあなたが求めているものです』
予想通り、ミラビリスは全登の目的を知った上で接触してきたようだ。
「それを餌にお前は俺に何をさせたい?」
『餌と言うと少し人聞きが悪いですが。そのための装置はORPHENAと、その信奉者であるネビュラ救世教――あなた方が異端者と呼ぶ者たちの本拠となっている”方舟”の中にあります。装置を使う為には彼らを排除する他ありません』
「異端者の排除か。軍を持つ伯爵にもままならん相手だ。一介の浪人に過ぎん俺にどうしろと言う?」
『あなたに率いて欲しいのです。反ORPHENA組織、”第三の翼”を。そして、ORPHENAを滅ぼしてください』
「老体に何を言う。そう遠からず俺は死ぬ。よもや、その戦いが一朝一夕で終わるなどとは考えてないだろうな」
『いいえ、戦いは数百年に及ぶでしょう』
「ならば長命種でも捕まえてこい」
『あなたの寿命を数百年単位で伸ばせる、と言ったら?』
その言葉で全登は硬直した。
『そうでければ、あなたはその願いを遂げられない。違いますか?』
畳み掛けるようにミラビリスが言う。
確かに、全登に残された寿命ではどう足掻いても方舟にあるという装置に辿り着きオービスへ帰還し、ヒスイを見つけ出してネビュラへ送り返すなど出来ようはずもない。
『ORPHENAの最終目標は、自らがオービスへ顕現し、その未来も含めて人類を管理下に置く事です。そして構築されるのは、平等で、争いも無く、理不尽な死も無い世界。停滞した世界で人は意思を奪われ、ただ生かされる。私に言わせればそんな世界は――』
「『クソ喰らえだ』」
二人の声が重なり、全登と、そしてミラビリスも微かに笑ったように思った。
錯覚だったかもしれないが。
『やはりあなたは――どこか彼に似ていますね』
「彼?」
『旧い友人です。AIである私が言うのも妙な話ですが、とても懐かしい気持ちになりました』
「友を懐かしむ事が妙であるものか」
『――仰る、通りですね』
暫しの沈黙。
人が時に、過去に思いを馳せて酒を手に夜を過ごすような、そんな時間。
ミラビリスはその時を、ほんの数秒の間に味わい尽くしたのだった。
『――左腕の治療のために、既にあなたの体内にはA.N.I.M.A.を投入してあります。あとはテロメア修復を有効にするだけで完了します』
「やれ」
全登は間髪入れずに答えた。
まるで理解できないが、理屈など関係ない。他に手はないのだから。
それに、それが可能であると言う事は長命種の存在が証明している。
『――あなたはもう自然に老い、安らかな死を得る事は無くなります。その目的を果たすか、あるいは闘いの中で果てるかです。本当に後悔は……』
「構わん」
つい先程まで死を覚悟して戦っていたはずが、生きる覚悟を迫られている。
だが、生きるも死ぬもそこに変わりはない。
全ては友と、幼子と交わした約定を果たすためなれば。
それに、もう一つ戦わねばならぬ理由が出来た。
女神を討つ。
神を騙り、人の意思を踏み躙り、未来を閉ざすもの。
全登にはその存在を許すことが出来なかった。
ミラビリスはその覚悟の強さに気圧されるように、全登の体内で活動し、今なお増殖を続けるA.N.I.M.A.へと命令を入力する。
『――完了しました。あなたの肉体はもう、老いる事はありません。キンセイ、あれを』
身体に変化は感じられないが、そもそも老いなどその瞬間を切り取って見えるものでもない。
ミラビリスの言葉で、ずっと無言で立っていた双子の少年が一度部屋を出ると、金属の小手のようなものを台に乗せて戻って来た。
「コクヨウ、押さえといて」
キンセイと呼ばれた少年の言葉にコクヨウという少女は小さく頷くと、全登の背後に回りその身体を両腕で抱きかかえるようにした。
その華奢な身体からは考えられないほどの力で押さえつけられ、首を捻ってコクヨウの方を見る。
「な……何を……」
一方キンセイは全登の左肩から腕に巻かれた包帯を解いている。
露わになったそれは、不自然なほど綺麗に傷が塞がっていた。
「よし、いくよ」
「ん」
キンセイの掛け声にコクヨウが小さく答え、全登を押さえる力がより強まる。
そして、キンセイが小手を左腕の切断面に押し当てた。
バシュッと排気し、小手の根元の部分が滑って全登の左腕を包む。
その瞬間、切断された時を遥かに上回る激痛が左腕を襲った。
神経が伸長され、接続され、形成される感覚。
すっぱりと失われていた左腕の感覚が、その根本から徐々に、一から紡がれていく。
やがて痛みが引き、左腕の感覚だけが戻った。
『流石ですね。声も上げないとは、恐れ入りました』
全登は小手をしげしげと眺め、指や肘を動かしている。
説明されずとも分かる。これが新たな左腕になったのだ、と。
金属製の肘も、手首も、指の一本すらも全登の意思従って滑らかに動いている。
「……我慢するのに必死だったがな。部下になる者どもの前で、みっともない姿は見せられまい」
全登は言いながら台を降り床に立つ。
それを見てキンセイとコクヨウは大きな目を見合わせてから、全登に向けて片膝をついて首を垂れた。
「ミラビリス、必要な情報を全て寄越せ。一通り目を通したら軍議を行う。キンセイ、コクヨウ、動ける者全員を五日後にここへ集めろ」
「はっ」
双子は軽い身のこなしで白い部屋を後にした。
眼前に投影される無数の情報を読み込んでいく。
偽りの神を殺し、ヒスイを取り戻す。そのための力を得た。
しかしこれは、悪魔との契約ではなかったか。
主はこの行いをお許しになるだろうか。
少しだけ、心臓が速まる。
それでももう、止まることなど出来ようはずがない。




