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最終話 だから、どうか


 大陸西部を南北に隔てるナーメラ連峰。

 女神降臨の聖地と人里を隔てる霊峰として畏れられるこの山々には滅多に人が足を踏み入れる事もなく、静かに下界を睥睨(へいげい)している。


 その険峻の一角に、()()はあった。

 

 女の白くしなやかな指が宙を泳ぐと、目の前の空間が壊れたテレビのように乱れた。

 七色のモザイクが指先の動きに合わせて爆ぜ、消える。

 そして、標高3000メートルを超す高山でありながら広葉樹が生い茂る森林が、荒涼とした高山の中に突如として出現した。

 肌を突き刺す冷気は消え失せ、暖かな風が吹き、頭上からは小鳥の囀りが聞こえ始めた。

 気温も気圧も地上とほぼ変わらない値に()()()()()()()

 この異常性こそが、紛れもなくここが探し求めていた()()である事の証左だ。


 「アニマによる熱光学迷彩にジャミング、気候操作……。ああ……ようやく見つけました」

 白装束に身を包んだ女が、宙を撫でた指先を紅潮した頰に当て、恍惚の表情を浮かべる。

 星空を切り取ったような艶やかな黒髪が一房、口元に滑り落ちる。

 

 すぐにでも”鍵”を手に入れ、()()()に届けて差し上げたい。

 けれど、自らこの中に侵入すれば、即座に裏切り者(ミラビリス)に悟られてしまうだろう。

 忌々しい存在が頭をよぎり、奥歯を噛み締める。

 

 「あなた方はこの()の中に入り内部の地図、住民の情報を収集して下さい。特に——子供の情報は余す事なく」

「はっ」

 黒装束の男女四名が女の言葉に応える。

 彼らは肉体にアニマの除去処理を施された兵士たちだ。

 足元を這う虫ケラすら持つお母様の祝福(アニマ)を持たぬ哀れな存在だが、彼らなら探知にかかることなく霧の内部に侵入できるだろう。


 「ああ……お母様。もう少し……もう少しだけお待ちください。すぐに叶えて差し上げます。一万年の宿願を」

 霧の向こうへと消える四人を見送ることもせず、女――使徒アリエスは踵を返す。

 ——チリン。

 アリエスの手に握られた杖の先で、小さな鐘が鳴る。


 哀れな羊を、導く鐘が。



 「……遅かったか」

 小さな集落に点在していた小さな家々は一軒残らず無残に焼け落ち、真っ黒な炭と化していた。

 火は既に消え、冷え切った木炭が襲撃からかなりの時間が経った事を告げている。

「……クソッ!! だから言ったんだ!! 俺たちで“鍵”を保護すべきだって!!」

 槍を手に、橙色の髪を逆立てた若い男が全登(てるずみ)に食ってかかる。

「セキエイ!!」

 その隣に立つ大男が止めるが、若い男は止まらない。

「奴らに”鍵”を奪われた!! これでもう全部終わりだ!! あんたの四百年は無駄だったんだよ!! ——あいつが死んだのも!!」

 その語尾が微かに震える。

 セキエイの言葉を聴きながら黙考していた全登が口を開いた。

「——まず一つ。”望郷の里”はこの世界で最も安全な隠し場所だった。数千年、奴らに見つからなかったという事実がその証だ」

 冷たく響くその言葉は、セキエイに向けられたものというよりは、この場にいる全員に向けた言葉だった。

「二つ。”鍵”の所持者を刺激すれば”鍵”が起動する恐れがあった。もっとも、この事態でも起動しなかった以上、それは杞憂だったと言えるが」

 並び立つ団員の間を巡っていた全登の視線がセキエイに向けられる。

 その視線の冷たさに、セキエイは思わず半歩後ずさった。

「三つ。我らでは女神の使徒から”鍵”を守り抜く事は叶わん」

 厳然と告げられた言葉を咀嚼し、飲み下すとセキエイは再び頭に血が昇るのを感じた。

「……ハッ! 結局は怖気付いたってわけだ!! あんたが長生きなのは強いからじゃなくて臆病だからだったんだな!!」

「いい加減にしろ!! 長に対してこれ以上の無礼は……」

 大男——ガンカがセキエイの肩を掴む。

「放してやれ」

 全登がガンカに言う。

「し……しかし……。こいつ頭に血が昇って、何をするか分かりませんよ」

「構わん。来い、石英(セキエイ)。お前が正しいと言うのなら力で示して見せろ」

 鞘を付けたままの太刀を手に全登が悠然と構える。

 それを見てガンカはセキエイの肩から手を離し、数歩後ろへと下がった。

「く……ァァァアア!!」

 槍の間合い。

 味方に、それも(おさ)に槍を向ける事への迷いと躊躇は荒れ狂う感情の波に揉まれて消えた。

 目に焼きついた、もう会えぬ笑顔がその足を前へ運ぶ。

 

 穂先が閃光となって全登の心の臓を襲う。

 

 しかし——必殺の衝きは心臓を捉える手前で弾かれ、大きく逸れた。

 その時には既に、身を低くした全登がセキエイの眼下にいた。

 ず——。

 セキエイは己の鳩尾に突き刺さった太刀の柄尻を見ながら、その場に崩れ落ちた。

「……ザクロは……死んだ……あんたが……」

 微かに漏れる息の中に辛うじて声が混じる。

「そうだ。俺の命に従い、死んだ」

 硬く響くその声に、握りしめた拳を支えに立ち上がろうとしたセキエイはしかし、力尽きて気を失った。

頑火(ガンカ)石英(セキエイ)を見ておけ。周囲を捜索する。何か見つけ次第報告しろ」

「はっ!」

 全登の号令で、団員達は里の中へ散っていった。


 「ミラ」

 里の外れ、丘へ続く道で全登は自らの左腕に話しかけた。

 すると、その機械化された手のひらから白い光球が現れた。

「なんだい、テルズミ」

 光球は全登の周囲をくるりと一周してから、その眼前に静止する。

「この渦を巻くような草の倒れ方。妙だと思わんか」

「うーん、竜巻かな? ……やだなぁ、そんな怖い顔しないでよ。まぁ空穴(くうけつ)だろうね。ちょっと待っててよ。アニマの記録を覗くからさ」

 光球はそう言うと、空へ昇っていく。

 ミラビリスの一部を切り離した存在だが、それ故かどうにも軽薄な物言いが鼻につく。

「65時間前、再生するよ」

 ミラは周辺の空間を満たすアニマと接続し、記録を読み、数刻前にこの場で起きた事象がホログラムの形で再生される。


 多数の異端者どもと、それを率いる羊飼いの女。

 そして、それに抗う一人の少年と


 ——空へ堕ちる少女。


 なんの因果か。

 運命の悪戯か。


 “鍵”は地球(オービス)へと飛ばされた。


 「まだオルフェナは”鍵”を得てはいない」

 誰にともなく呟き、現状を再確認する。

「でもさ、これからどうする?」

 本拠に戻り、ミラビリスと策を練るか。

 否。

 今は一刻を争う。

珊瑚(サンゴ)

「はい」

 返事をしたのは他の団員と同じ黒装束に身を包んだ女だった。

 フードを目深に被っているが、まだ少女と呼ぶべき年齢だろう。

「お前はまだ異端者と交戦した事はなかったな」

「ありません。ですが、主命とあらばこの命を賭して戦う覚悟です」

「お前にミラを託す。身分を偽り救世教に潜入し、オービスへ渡り”鍵”を見つけ出せ」

「……!!」

 突然の大役に少女は絶句する。

「——御意」

 が、拳を強く固めてから短く答えた。

「首尾よくいったら、ミラをオービス側の転移装置に潜伏させろ」

「ボクをかい?」

「そうだ。そしていつか、自らの意思でネビュラへ渡ろうとする者が現れた時、そいつに力を貸せ」

「ふーん……ま、いいけどね」

 ミラは宙を舞うと、サンゴの前へと飛んだ。

「よろしくね。サンゴ」

「それともう一つ。これは……個人的な頼みになるんだが……」

 全登の態度はサンゴにとり、未だかつて見たことのない歯切れの悪いものだった。

 サンゴに無視される形になったミラは、少し不機嫌そうに彼女の手のひらへと飛び込んだ。

「なんなりと申し付けください」

「……オービスで人を探して欲しい。四百年前に空穴に呑まれた狐族だ。そして可能なら、ネビュラへ送り返して欲しい」

 当然、それが不可能に近いことは分かっている。

 しかしどれほど細い糸でも、縋らずにはいられなかった。

「……分かりました。必ずや、主命を果たして参ります。その人の名は?」

翡翠(ヒスイ)——だ」

 まるで壊れ物を扱うように紡がれたその名前を、サンゴは反芻する。

「ヒスイ……承知しました!」

「だがこれは命令ではない。あくまで個人的な頼み事だ」

「長の頼みとあらば、わたしはその為に死にますよ」

 サンゴはそう言って笑った。

 命を救い、名を与え、駒として切り捨てる男に向けて。

 

 「死ぬな」

 と、幾度も飲み込んできた言葉を、やはり口はせず沈黙する。

 

 この四百年、何度こうして己を慕う若者の背を見送っただろうか。


 何人が、帰って来なかっただろうか。


 胸が締め付けられるように痛む。

 しかし止まれはしない。

 止まれば全ての犠牲が、死が、無駄になってしまう。

 過去の全てが呪いとなって、この背を押している。

 

 止まれない。

 

 止まれない。


 だから、どうか


 俺を

 


         ——殺してくれ。


 

 

 


 

 

 

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