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第八話 わたし、売り子になります!

「いらっしゃいませー! やきたてパン、いかがですかー!」


 店の軒先で、わたしは満面の笑みを振りまきながら、道行く人々に声をかける。


「あら、しずくちゃん。今日も元気ねぇ。その可愛い笑顔を見たら、買わずにはいられないわ」


「えへへー! おばちゃん、いつもありがとう!」


 お礼を言うと、近所のおばちゃんは「本当にいい子だねぇ」とわたしの頭を優しく撫でて、パンをたくさん買っていってくれた。

 ちやほやされるって、最高だ。


 ……いや、違う。違うだろ、わたし。

(なんでわたしが、こんなアイソ笑い振りまいて、店の看板娘みたいなことやってるんだ……!?)

 数日前、わたしは確かに、親たちの親バカっぷりに心の中で全力でツッコミを入れたはずだった。


 ――あれは、夕食後のこと。

「しずくが売り子をすれば行列ができる」と言い出した両親に、わたしは「むりー!」と首をぶんぶん振って抵抗した。人前に立つなんて、前世でも学会発表くらいでしか経験がない。

 しかし、そこに追い打ちをかけたのが、兄のルートだった。


「まあ、でも……しずくが手伝ってくれたら、俺は助かるかな。その分、生地をこねる時間が増えるし」

 兄さんは、少し照れくさそうに、でも期待を込めた目でわたしを見る。


(うっ……兄さんにそんなこと言われたら、断れないじゃないか……)

 前世では、誰かに必要とされることに飢えていた。研究仲間はいたけれど、それはあくまで対等な関係。こんな風に、真正面から「助かる」なんて言われた経験は、ほとんどなかった。

 まんざらでも、ないかもしれない。


「……わかった。やって、みる」


 わたしがそう返事をすると、父さんは「やったぞぉぉぉ!」と雄叫びを上げ、母さんは「しずくならできると思ってたわ」と満足げに微笑んだのだった。


 そして、売り子デビュー当日。

 わたしは、後悔した。

 店の軒先――つまり、四十三階の屋外に、小さな台とパン籠を置いただけの、吹きっさらしの売り場。その高さに、足がすくんだ。

 眼下には、遥か遠くに広がる街並み。すぐ横を、人や小舟がびゅんびゅん飛び交っている。


(こ、こわい……! 落ちたらどうしよう……!)

 わたしは台の足にしがみつき、蚊の鳴くような声で「ぱ、ぱん、いかが、ですか……」と呟くのが精一杯だった。

 しかし、そんなわたしに最初に声をかけてくれたのは、空飛ぶ小舟に乗ったおじさんだった。


「おや、こんな可愛い子が売り子かい? よし、坊主! ちょっと舟を止めな!」


 小舟が軒先にぴたりと横付けされ、おじさんは「どれも美味そうだな! 全部一つずつ貰おうか!」と豪快に笑った。

 わたしが、お礼を言うために顔を上げると、おじさんは目を細めた。


「ありがとう! って、ちゃんと言えるんだな。偉いじゃないか」


「……ありがとうございます!」


 わたしがもう一度、今度ははっきりとお礼を言うと、おじさんは「おう!」と満足そうに頷き、去っていった。

 その一言が、わたしの背中を押してくれた。

 それから、わたしは少しずつ自信をつけていった。

「ありがとう!」と笑顔で言うと、みんなが喜んでくれる。それが嬉しくて、わたしはどんどん調子に乗っていった。


「おにいさん! このパン、やきたてだよ! ぱわーがでるよ!」


「おねえさん、きれいだね! このパンたべたら、もっときれいになるよ!」


 前世では経験できなかった「ちやほやされる」という快感。わたしは、それを最大限に楽しむことに決めた。


 パンの渡し方にも、バリエーションを加える。

 両手で丁寧に渡す「清楚系わたし」。

 パンを渡す瞬間に、ウインクを飛ばす「小悪魔系わたし」。

 そして、前世の知識を総動員した、奥の手。


「このパンはね、ボンッ!キュッ!ボンッ!って、おいしさがつなまってるの!」


 謎の擬音と共に体をくねらせて見せると、お客さんたちは「なんだそりゃ!」と大笑いして、パンを買ってくれる。

(ふふふ、前世で培ったプレゼン能力、伊達じゃないわ!)


 ちなみに、その様子を店の奥から見ていた父さんは、「しずくたぁぁぁん! そんなお色気はまだ早い! パパ以外に見せちゃだめだぁぁぁ!」と悶絶していたらしい。


 そんなこんなで、わたしはすっかり近所の人気者になっていた。

 今日も、わたしの周りには人だかりができている。その中心で、わたしが愛想を振りまいていると――


「……ねぇ」


 背後から、不意に声をかけられた。

 少し尖った、わたしくらいの子供の声。

 振り返るより先に、その声は続いた。


「ねぇってば。聞こえてるんでしょ?」


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