表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/10

第五話 うさぎのリンゴ

 最初に感じたのは、知らない天井の木目と、ふわりと香る、家のものとは違う石鹸の匂いだった。


(……あれ? わたし……)

 身体を起こそうとして、全身が鉛みたいに重いことに気づく。特に頭がぼーっとして、思考に霧がかかったみたいだ。


「……しずく? 目が覚めたのね」


 優しい声と共に、冷たいタオルがそっとわたしの額に乗せられた。見上げると、心配そうな顔をした母さんが、わたしの顔を覗き込んでいた。


「おかあさん……?」


「ええ、そうよ。気分はどう?」


「……うん、だいじょうぶ。ここ、どこ?」


「宿屋さんの一室よ。あなた、昨日からまる一日、ずーっと眠っていたのよ」


「いちにち!?」


 母さんの言葉に、わたしは愕然とした。たった一回の魔法の練習(?)で、丸一日も寝込んでしまうなんて。わたしの体、どんだけ燃費が悪いんだ。


 母さんは、わたしの驚く顔を見てくすくすと笑う。


「幸い、お医者様に見てもらったら、外傷はほとんどなくて、ただの魔力切れですって。本当に、心配させないでちょうだい」


 その声は穏やかだったけれど、その奥に確かな安堵が滲んでいて、わたしは胸がちくりと痛んだ。


「ごめんなさい……」


「いいのよ。でも、無理な練習はもうだめよ。魔法は、ゆっくり身体に馴染ませていくものだから」


 母さんの言葉に、わたしはこくりと頷く。でも、どうしても聞きたいことがあった。


「ねえ、おかあさん。どうして、わたし、おちちゃったの? とぼうとおもったのに……」


 その質問をした瞬間、母さんの表情が、ほんの少しだけ、曇った気がした。


「それは……そうね、まだしずくには、外の魔力のコントロールが難しかったのよ。きっと、魔力の制御を間違えちゃったのね」


 母さんはそう言ってわたしの頭を撫でてくれるけれど、その目は、どこか遠くを見ているみたいだった。何か、わたしに言えないことがある。その気まずい空気が、二歳のわたしにもはっきりと伝わってきた。


「……そういえば」


 その沈黙を破るように、母さんはふと話題を変えた。視線の先には、ベッドの横にある小さな机。そこには、可愛らしいうさぎの形に飾り切りされたリンゴが置いてあった。


「これ、この宿屋の小さい娘さんが、あなたのことを心配して持ってきてくれたのよ。『はやくげんきになってね』って。とってもいい子だったわ」


 母さんは、本当に嬉しそうに微笑む。

 うさぎのリンゴ。その不器用だけど心のこもった贈り物に、わたしの心もぽかぽかと温かくなった。


(そっか、ここは宿屋さんだったのか……)

 食堂に落ちた衝撃で、記憶が曖昧だった。知らない子が、わたしのことを心配してくれていた。それが、たまらなく嬉しかった。


「おれい、いいにいかなくちゃ!」


 わたしがベッドから飛び起きると、母さんは「あらあら」と笑いながらも、「体はもう平気なの?」とわたしの手を取ってくれた。


 母さんに手を引かれ、わたしは落ちた場所である食堂へと向かった。食堂の天井には、ぽっかりと人間一人が通れるくらいの穴が空いている。それを見て、わたしは顔を真っ青にした。


「あ、あな……! ご、ごめんなさいしなくちゃ!」


「ふふ、そうね。でも、わざとじゃないもの。きっと許してくださるわ」


 母さんに慰められながら、わたしたちは食堂の奥にある厨房へと向かった。


 厨房は、お昼時の準備で大忙しだった。野菜を刻む小気味いい音、スープの湯気、そして香ばしい匂い。宿屋の大将らしい恰幅のいいおじさんと、女将さんらしいきびきびと働くおばさんが、わたしたちの姿に気づいて手を止めた。


 わたしは慌てて、ぺこりと頭を下げる。


「あのっ! あな、ごめんなさい! おみせこわして、ごめんなさい! ここで、はたらきます!」


 わたしの必死の言葉に、大将と女将さんはきょとんとした後、わははと豪快に笑った。


「ははは! 気にしなさんな、お嬢ちゃん! あんたのとっつぁんから、修理代も迷惑料も、それから食いきれないほどの美味いパンも、たんまり貰ってるからよ!」


「ほんと、お転婆さんねぇ。気持ちだけで十分よ」


 二人は、わたしの頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。


 その時、厨房の奥の扉から、小さな女の子がひょっこりと顔を覗かせているのに気づいた。


 女将さん譲りの、燃えるような赤い髪。くりくりとした、熟した果実みたいな紅い瞳。真っ白なワンピースを着て、わたしのことを少しだけ怖がるように、でも興味深そうにこちらを見ている。五歳くらいだろうか。まるでお人形さんみたいに可愛い子だ。


  あの子が、うさぎリンゴを……!

  わたしはその子に向かって、満面の笑みを浮かべた。


「りんご、ありがとう! とってもおいしかった!」


  わたしの大きな声に、その子はびくりと肩を震わせ、顔を真っ赤にした。そして、ぷいっとそっぽを向きながら、叫ぶように言った。


  「べ、べつにあんたのためじゃないの! お母さんが作りなさいって言っただけなんだから!」


 そう早口で言い切ると、彼女はぱたぱたと音を立てて奥へと引っ込んでしまった。


「あらあら、この子ったら人見知りで」


「おい、出てきてご挨拶しなさい!」


 両親に促されても、彼女は恥ずかしがって出てこようとしない。

 厨房はこれからが一番忙しい時間だ。これ以上、お仕事の邪魔をしちゃ悪いな、と思った私たちは、そろそろ帰ることにした。


「おじさん、おばさん! あのこに、ほんとにおいしかったって、つたえてください!」


 わたしはそう伝言を残した後、宿屋の大将と女将さんに「こっちを使いな」と勧められた厨房の裏口から母さんと一緒に帰ることになった。


 新しい友達、とまではいかなかったけれど、なんだか心が温かくなる、不思議な出会いだった。



ベトー:

(……え、修理費はまた俺が出すの?)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ