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前世からあなたを  作者: 七瀬翔
番外編
19/20

読書

 リリアーナは小さな結婚式を終えたあと、チェスト公爵家の馬車に揺られ、公爵邸に到着した。

 結婚式のドレスのままだったので、リリアーナが今まで着たことのない、足下まで裾のあるドレスだった。

 なので、到着した途端、リリアーナの対面に座っていたユリウスは素早く馬車から降り、リリアーナに手を差し出してくれた。


 「あ、ありがとうございます」


 その手に感謝の言葉と共に己の手を乗せる。

 体重をかけても良いものか迷っているうちにぐいと、手を引かれ、馬車から降ろされる。


 「大丈夫だよ。安心して、僕に手を預けて」


 嘘偽りのない笑顔と共にそう言われる。

 リリアーナは、それに無表情で応えた。何か言おうとも思ったが、言葉が思いつかなかった。

 流石に怒るか呆れられると思っていたのに、ユリウスの笑顔は消えることなく、それどころか預けたリリアーナの手をぐっと握り込み、そのまま邸までエスコートしてくれた。

 ほぼほぼ初対面のはずなのに、この人は何故優しくしてくれるのだろう。


 邸に入ると、ずらっと使用人が並んでいた。

 そのすべてがリリアーナに何か言いたげな視線を向けた。けれど、何も言われなかった。

 彼らの言いたいことは分かっている。

 リリアーナはユリウスに相応しくない。そういうことだろう。

 そんなこと、リリアーナが一番分かっている。

 これは政略ありきの結婚。期待なんてしていない。


 「君の部屋に案内しよう」


 使用人を下がらせた後、ユリウスはそう言って、ユリウスの左手に置いていたリリアーナの右手を自分の左腕に移動させた。

 使用人に案内させず、自ら案内してくれるなんて。

 案内してくれたのは、二階の、ユリウスの隣の部屋。


 「僕の部屋はリリアーナの隣だよ。部屋は中の扉で繋がっているけれど、両方に鍵がかかっていて、僕の方は常に鍵を開けておくから。君の方は鍵を掛けといて、何かあったらいつでもいいから、訪ねてきて」


 そうは言われても、すぐにはこの人をリリアーナは信用することができない。そのことをユリウスは気づいているのか、「でもすぐには僕のことを信用できないよね。君の信頼を得られるように頑張るよ」と、言った。



 その日の夜。リリアーナはチェスト公爵邸で与えられた自分の部屋の天蓋付きのベッドに横たわっていた。

 ベッド近くにある時計に目をやれば、とうに日を越している。

 けれど、眠ることができなかった。


 その日の晩餐をろくに食べられなかったからではない。

 少食の生活はもう何年もしていて慣れてしまった。お腹は空いているけれど、腹の虫が鳴ることさえない。いつの間にか鳴らなくなってしまった。

 それでも父である王がリリアーナの美しさに気づき、過剰な食事制限を始めた当初は空腹に耐えられず、何度も父の元を訪れていた。

 その当時は、この食事制限も父の愛ゆえだと疑っていなかったからだ。

 けれど、リリアーナが父に空腹を訴えるたびに、父はリリアーナを叱責し、時には頬を打った。

 だから、リリアーナは諦め、一人部屋で空腹を耐え忍ぶ日々を送った。

 そんな日々を送ったせいで、リリアーナは人前で食事を摂ることが怖くなってしまった。舞踏会や夜会でこっそり人目を忍んで食べることしかできなくなってしまった。


 だから、結婚後初めてユリウスと晩餐を囲んだ今日もろくに食べられなかった。

 使用人の何か物言いたげな様子が気になったのもある。

 一人で食事を摂ることに慣れすぎて、人がいる環境には慣れていない。

 王族は普通、食事を摂る際、近くに数人の使用人を控えさせ、何かあるたびに呼び寄せる。それは高位貴族にも言えることで。チェスト公爵家も例に漏れず、そんなスタイルだった。


 しかし、リリアーナはその食事スタイルに慣れていない。

 食事さえリリアーナは他の家族と共に摂ることを許されなかったからだ。

 あんなことをしといて、リリアーナは王族の一人だと認められていなかったのだ。

 だから、一人小さな部屋で、明らかに足りない量の料理を食べていた。

 その生活を数年続けたとはいえ、空腹にならなかったわけではない。今もなお空腹でない時はない。

 けれど、幸か不幸かその状態でも日常生活を送るすべを身に付けてしまった。

 だから、今リリアーナが寝れないのは食べられなかったことが原因ではない。


 なら何故だろう。

 公爵邸でリリアーナに与えられた部屋は王城で与えられていた部屋より大きい。さらにいえば、家具調度品もすべて新しいもので、女性らしいものとなっている。

 リリアーナが王城で使っていた部屋は隅にあったこともあり、家具調度品はろくになく、あっても時代遅れのものや色褪せているものしかなかった。

 王女であるにもかかわらずだ。

 もしかしたらそのせいかもしれない。

 一人で住むには広すぎるこの部屋に、リリアーナは慣れず、眠れないのかもしれない。


 ベッドから起き上がり、リリアーナは部屋に備え付けられていたランプに火を灯すと、部屋を出た。

 行き先は特に決めていないが、邸を歩くことで、眠くなるかもしれない。

 この時間帯だ。流石に使用人も眠りについている時刻だろう。

 まだこの邸に来て半日も経っていないが、使用人はリリアーナに良い感情を持っていない。

 だから、なるべく彼らには会いたくなかった。


 邸内を歩いているうちに思いつき、途中図書室に寄ってリビングに向かった。

 邸内は既に昼間、ユリウスが案内してくれた。

 一回説明されただけだが、リリアーナは既にこの邸の構造、部屋の配置のほとんどを覚えてしまった。

 国内の貴族の顔と名前、ツェルバトーン国と関係のある国の王族や主要貴族の顔と名前、周辺諸国の特産物や軍事状況の把握。すべて王に覚えさせられた。

 王に訊かれた際、答えられないと理不尽に叱られた。自分は覚えていないくせに。

 だから、リリアーナは一度教えられたことはその一回だけで覚えるようにしている。

 リビングの扉を開けると、先客がいた。

 部屋全体を照らさず、リリアーナと同じように小さなランプひとつで。


 「リリアーナ?」


 視界が悪い中その人物が問いかける。


 「・・・ユリウス様、ですか」


 か細い声だったが、相手は聞き取ってくれたようだ。


 「こちらへおいで」


 迷いつつも、ユリウスの近くへ寄る。

 彼の置いていたランプの近くに持ってきたランプを置き、リリアーナはユリウスの対面に座った。


 「眠れずにここに来たの?」

 「は、はい。ユリウス様は?」

 「僕はちょっと決裁しないといけない書類があってね。それで」


 テーブルに目を移せば、数枚の書類が重ねてあった。

 その横にはカップが置いてある。飲み物を入れるためにここに来たらしい。


 「リリアーナは何を持っているの?本?」


 リリアーナはユリウスに本を差し出す。


 「哲学?難しい本を読むんだね」


 ユリウスから本が返ってくる。

 別に読みたくてあの図書室から借りてきたわけではない。

 リリアーナも哲学はあまり好きではない。でもだからこそ、読んでいる間に眠くなり、寝られると思ったのだ。


 「はい、どうぞ」


 いつの間にか、ユリウスはリリアーナにホットミルクを用意してくれていた。

 それに「ありがとうございます」と言い、受け取る。

 図書室で読んでも良かったが、あそこでは飲み物を飲めない。万が一、カップを倒して本を汚してしまってはいけないからだ。だから、リビングに来た。

 それから、ユリウスはリリアーナに話しかけることなく、再び書類に目を落とした。

 リリアーナもそれに倣い、持ってきた本を開いた。



 眩い光で目を覚ますと、リリアーナは私室のベッドに寝ていた。

 昨夜ここに帰ってきた記憶がない。

 リビングでユリウスと遭遇した後、リリアーナは哲学の本を読んだ。

 案の定、ページをめくるたびに眠くなっていって。

 もしかして、ユリウスが寝てしまったリリアーナを運んでくれたのだろうか。

 ゆったりと起き上がり、サイドテーブルまで行くと、ユリウスの書き置きが残されていた。

 勝手に部屋に入ったことを謝る文面だった。

 やはり、ユリウスがここまで運んでくれたようだ。

 ユリウスに感謝を述べようと、部屋を出て、たまたま歩いていた使用人に訊いてみたが、もうユリウスは仕事に向かった後だった。


 そこからリリアーナはユリウスが帰ってくるまで、私室で過ごした。

 使用人たちがリリアーナを嫌っているのは明らかで。わざわざそんな場に行かなくてもいいと判断したからだった。

 部屋の中でリリアーナは本を読んだり裁縫をしたりして過ごした。王女時代も一人自分の部屋で過ごすことが多かったため、この状況には慣れている。


 ユリウスは晩餐前に帰ってきた。

 その日の晩餐は前日、リリアーナがあまり手が進まなかったことに配慮してか、使用人はおらず、ユリウスと二人きりの食事となった。

 その場で昨日のことを言おうと思ったのに、食事中、ユリウスの目が気になって言えなかった。

 だから、リリアーナはこうして前日のように日を越してからリビングに向かうことにしたのだ。

 昨日と同じようにランプを一つ持ち、リビングに向かう。

 ユリウスがそこにいる保証はなかったが、昨日のようにリビングを小さな灯り一つで照らし、ユリウスは昨日と同じ場所に座っていた。


 「今日も眠れないのかい?リリアーナ」


 自分だって昨日今日とろくに寝ていないはずなのに、真っ先にリリアーナの心配をしてくれる。


 「いえ。その、昨日部屋まで運んでくださり、ありがとうございました」


 頭を下げ、腰を折る。


 「ああ、そのこと。君を運ぶためとはいえ、勝手に入ってしまってごめんね」

 「い、いえ」


 王城に住んでいた時、リリアーナの部屋は勝手に入られることが当たり前だった。

 だから、まさか謝られるとは思っておらず、驚く。


 「今日は眠れそう?」

 「それは」


 一日では慣れず、今日も眠れそうになかった。


 「だったら、リリアーナさえ良ければ、また本を読んだらどうだろう?」

 「よ、よろしいのですか?ユリウス様のお邪魔になりませんか?」

 「大丈夫。邪魔になるならそんなこと提案しないよ」

 「あ、ありがとうございます。本を取ってきます」

 「なら、一緒に行こう。僕も今日やる分は終わったし。それからここじゃなくて、僕かリリアーナの部屋ででも読もう。ここにいたら、怒られちゃう」


 その言葉にリリアーナは俯く。

 今は深夜で使用人も眠りについているが、もし起きてきて、二人の姿を見られたら?

 きっといい顔をしない。特にリリアーナに対して。しかし、続いたユリウスの言葉にリリアーナは目を見開いた。


 「僕がね。こんな時間まで起きてないでさっさと寝なさいと言われるんだ。もう子どもじゃないのにね」


 そう言って笑ったユリウスにリリアーナは泣きそうになって。慌てて瞬きを繰り返した。


 「どっちがいい?」

 「え?」

 「読書する部屋。僕かリリアーナの部屋か」

 「わ、私の部屋、で」


 まだ、他の人の部屋に入るのは躊躇われる。

 それに、公爵邸で与えられた部屋はまだ自分の部屋だという実感が沸いておらず、他人が入ってきても嫌悪感は沸かないと思った。


 「じゃあ、行こうか」


 ユリウスはリリアーナに手を差し出した。



 それから、リリアーナの部屋で毎夜寝る前に読書することが習慣となった。

 言葉を交わすことはほとんどない。

 けれど、部屋の中で流れる穏やかな雰囲気がリリアーナは大好きだった。

 本から顔を上げれば、リリアーナの斜め向かいにユリウスの姿が見える。

 左足を右足に乗せ、その上に本を乗せて読んでいる。

 首を曲げているのでさらさらとした、絹糸のような髪が目の上にかかっている。

 顔のほとんどが髪のせいで見えないが、それでもユリウスは美しい。

 ページをめくる時以外微動だにしないので、精巧な彫刻のようだ。

 と、リリアーナの視線を感じたのか、ユリウスが顔を上げた。


 「読み終わった?」

 「い、いえ」


 慌てて首を振り、本に視線を戻す。

 心臓がばくばくと音を立てている。聞こえるはずはないけれど、ユリウスに聞こえていないか心配になる。

 いつからだろう。ユリウスと目が合うとどきどきするようになったのは。彼がいるだけで自然と目で追うようになったのは。

 リリアーナの心情が変わったのと同時に読む本のジャンルも変わった。

 哲学や歴史書などの硬いものから、恋愛系の小説に。

 こうやって二人で本を読むようになったのは、眠るまでの暇つぶし。そのはずなのに、リリアーナはユリウスがそばにいるだけで、眠気が吹き飛んで眠れなくなってしまう。けれど、この時間をやめたくはない。ずっと続けていきたい。


 今度はユリウスに気づかれないようにこっそりと目線だけを上げる。

 眠気と戦っているのか、ユリウスはこっくりこっくりと船を漕いでいた。

 よく見るその光景に、本人も気づかないうちに笑みを浮かべる。

 本を近くのサイドテーブルに置き、リリアーナは音を立てないように立ち上がり、移動する。

 掛け布団を持っていき、ユリウスに掛ける。

 リリアーナの力ではユリウスをベッドまで運ぶことはできないので、こうすることしかできない。

 忍び足で元の場所まで戻り、今度は遠慮することなくじっくりとユリウスのことを見つめる。

 ユリウスはリリアーナより先に眠ってしまうことが多い。しかも大抵は首を曲げたこの体勢で。

 首が痛くならないのか心配になり、尋ねたことがある。『首は痛くならないのですか』と。

 すると、ユリウスは『いいんだ』と不思議な回答をした。

 痛くなるのはなるが、構わないということ?

 それ以上訊けなかった。

 余計なことを訊いてこの時間を止めようと言われるのが怖かった。

 庭を二人で散歩するのはユリウスの仕事が休みの日だけ。だけど、二人で読書するこの時間は毎日ある。

 ほとんど言葉は交わさないけれど、好きな時間。


 ひとたび世情に目を向ければ、嫌なことばかり。

 リリアーナは何もしていないのに、悪く言われる、嫌な世の中。けれど、そんな現実をこの人がいるだけで忘れさせてくれる。

 リリアーナは慈愛のような表情を浮かべ、飽きることなくユリウスを見つめ続けた。

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