後悔(2)
リリアーナと結婚してから数年。確実に世情は悪くなっている。
王族の浪費癖はとどまるところをしらず、増える一方。その分、国民の負担は増加した。
重税に喘ぎ、各地で暴動が勃発した。
その、浪費のすべてがリリアーナのせいにされた。
リリアーナは結婚してからも国庫を蝕んでいる、と。
あのリリアーナがそんなことするわけがないではないか。
ユリウスが宝石やドレスを贈るだけで困ったような雰囲気を出す彼女が。高級品よりも花のような質素なものの方が喜ぶ彼女が。
けれど、ユリウスがいくらそう訴えたところで、聞き入れる者はいないだろう。それどころかユリウスも共犯だと思われかねない。そうなると、ますますリリアーナの立場が悪くなってしまう。
だから、ユリウスは声を上げることができなかった。
ただ、王族と国民、どっちに対しても従順に従っているふりをすることしかできなかった。
そうしていれば、いざとなった時にリリアーナを救えるからだ。
けれど、その考えは間違いだった。さっさとすべてを捨てて、リリアーナを連れてこの国から逃げれば良かった。
この国に未練なんてない。ただ、ユリウスのそばにリリアーナがいてくれればいい。たとえ、ユリウスの想いを知らなくても。
たったそれだけの願いだったのに。それすらも叶わなかった。
そんな後悔を抱えながら、慣れない軽装の鎧を着て、ユリウスは王城内を直走る。
日に日にユリウスが邸に帰れる日が少なくなった。王城に泊まり込むことが多くなった。
最初は各地で起こった暴動を抑えるために各所を走り回り、手を尽くしていたからだった。
だが、ある時、王権打倒を目指す一派に声をかけられ、その時からユリウスは王族を倒すために奔走していた。
革命側につくことに何も迷いはなかった。それくらい、今の王族は腐っていた。
いや、そもそも彼らは腐っていた。
あんなに優しく、思いやりのあるリリアーナを幼少期から追い込んでいたのだ。
王城にいながら、王族を裏切る行為を働くことになんの罪悪感も抱かなかった。
最近は邸に帰るのが一週間以上空くことが多かった。
だから、気づかなかったのだ。リリアーナが邸にいないことに。
使用人に問いただせば、ここ数日姿を見せていないという。
リリアーナがいなくなっても大して驚いた様子は見受けられなかった。
あの女がいなくなってどうしたんというんです?とでも思っていたのだろう。
ユリウスは彼らを責めようとして開いた口を閉じざるを得なかった。
世情が悪くなるにつれ、それに比例してリリアーナの評判も悪くなった。
だから、仕事の放棄やリリアーナに暴言を吐かないだけで我慢すべきなのかもしれない。
リリアーナの行き先は王城しか分からなかった。
けれど、王城に行く意味が分からない。
まさか。まさか、彼女は自分も罰を受けようとしているのか?
リリアーナは何も悪いことをしていないのに、ただ血が繋がっているというだけで、処刑されることを受け入れるというのか。
彼女が王女時代、過ごしていた部屋は把握済みだ。
王女なのに、王城の隅の小さな部屋。
彼女はきっとそこにいる。
確信のようなものを抱いてユリウスは邸を飛び出した。
今日はよりにもよってあらかじめ予定されていた革命の日当日。
急がなければ。彼女が殺されてしまう。
場所は既に戦場と化しているだろう。だから、ユリウスは軽装の鎧を身につけた。これは、革命軍側につく、という意思表示にもなっている。
王城に着くと、案の定、暴動が始まっていた。だが、鎧を身につけているおかげか、ユリウスはそれに巻き込まれることなく、王城内に入ることに成功する。
奥にまではまだ民や兵士はなだれ込んでいないようだ。
早くリリアーナの元へ向かいたいのに、着慣れない鎧のせいで思うように早く走れない。
やっと辿り着いたリリアーナの部屋の扉を開ける。
リリアーナは驚いたのか、目を見開いていた。
一週間ぶりに見た妻は少しやつれて見えた。まともな食事を摂っていなかったのかもしれない。
「・・・ユリウス様?何故こちらに?」
一週間ぶりに聞く愛しい彼女の声。
「君を探しに来たに決まっているだろう?」
外の状況は刻一刻と変わっている。
いつこの部屋に革命軍が傾れ込んでくるともしれない。
早く逃げなければ。
押し問答を繰り返しながら、彼女がここに来た答えを得る。
リリアーナはユリウスの予想通り、あの王族と共に自身の命を終わらせるつもりだった。
そんなこと、絶対にさせない。
僕は君のいない世界は耐えられないんだ。
ユリウスの焦った心情とは違い、彼女は逆に不器用な笑顔を見せる。
「何故。何故君はこの状況で笑っていられるの?」
殺されるかもしれないのに。何故笑うのか。
そして、ついにこの部屋まで数人の靴音が聞こえてくる。
ユリウスはそれに剣を抜いて備える。
相手が敵であろうと味方であろうと、リリアーナを害する人間なら、容赦なく切り捨てるつもりだった。
一気に開け放たれた扉の先にいたのは味方の人間だった。しかし、その目がユリウスからリリアーナに移った途端、その瞳に憎悪の炎を宿らせる。
殺さなければ。リリアーナが殺される。
そう思うと同時にぐい、とユリウスは剣を持った右腕を強い力で引かれた。
力のした方を見てみるとそこには強い意志を宿したリリアーナの瞳が。ユリウスが出会った頃と全く変わらない、美しく澄んだ、アメジストのような綺麗な瞳が。
リリアーナがしようとしていることに気づいた時には、もう手遅れだった。
ユリウスが抵抗する間もなく、リリアーナは彼の持っていた剣を己の喉元に突き立て。息絶えた。
その様子はユリウスの身体が邪魔になって部屋に入ってきた人間には見えなかったらしい。ユリウスがリリアーナを殺したように見えたようだった。
ユリウスは衝撃のあまり、膝から崩れ落ちる。
彼女を助けるために来たのに。よりにもよってこの手で彼女の命を奪ってしまった。
ユリウスを取り囲んで、リリアーナの亡骸を見ていた兵たちは尋常ではないユリウスの様子に、しばらく放っておくことに決めたらしい。部屋から出ていってくれた。
二人きりになった部屋で。ユリウスは急いでリリアーナに駆け寄る。まだ、助かるかもしれない。
だがそのわずかな希望も、徐々に失われていくリリアーナの体温によって打ち砕かれた。
にもかかわらず、剣を突き立てた喉元からは未だに赤々とした血液が流れている。
事切れたリリアーナをユリウスは抱き上げる。
王女時代より食べるようになったからか、体重は少し増えていたが、それでも軽かった。
『ユリウス様』
二度と聞くことの叶わない、彼女の声がユリウスの耳朶を打つ。
何故彼女は最後の瞬間、ユリウスに笑顔を見せたのだろう。
初めて出会った時、見せてくれたあの、向日葵のような輝く笑顔を。
その理由ももう知ることは叶わない。
ユリウスはリリアーナの胸元に顔を寄せ、声を抑えて泣き続けた。
民を虐げていた王族を倒したと、その後数日間は各地でお祭り騒ぎだった。
だが、ユリウスが参加することはなかった。
彼女の喪に服していたかった。
数人から、リリアーナが死んで良かったな、なんてことも言われた。
言った本人は良かれと思って言ったのかもしれないが、ユリウスにはそれが耐えられなかった。
何故彼女が死ななければならなかった?彼女も民と同じようにあの王族に虐げられた一人だったのに。
リリアーナの遺体はユリウスの元に帰ってきた。
他の王族のように民の前で晒し上げるか、と聞かれたが、そんなこと死んでもしたくなかった。
自分は彼女の夫だから。その一言だけでリリアーナの遺体を引き取った。
そう言うと、哀れみを含んだ目で見られた。きっと、彼女の夫だったから、形だけでも引き取らなければならないからかわいそうだとでも思われたのだろう。
リリアーナの遺体は誰にも知られないように自らの手で掘った場所に埋めた。
誰かに知られれば、墓を暴かれ、死してなおリリアーナの人格を貶めるようなことをされないとも限らなかったからだ。
使用人はすべて解雇した。
もうすべてがどうでも良くなった。
せめて一人だけでもリリアーナに味方してくれる使用人がいれば。彼女が王城に行くことを止められたかもしれないのに。彼女に無関心だった使用人に嫌気がさした。それに、周りに人がいる環境もしばらくは耐えられなかった。
一人、広い邸で過ごす時間は空虚だった。
目を移すたびに、彼女のことを思い出す。
あの料理が美味しいと言っていた。料理を食べるたびに浮かべる、ユリウスだけが知っているあの笑顔。あれがどうしようもなく好きだった。
庭に目を転じれば、庭で過ごした時を思い出す。庭で共に散歩した時、彼女は穏やかな表情を浮かべていた。外から見れば表情に変化はなかったけれど、ユリウスだけはリリアーナの変化に気づいていた。
公爵家の領地の話をすると、真剣に聞いてくれた。この季節はあの果物が、次の季節にはこの野菜が美味しいよというと、いつか食べてみたいと言った。ユリウスが教えた食材が使われた料理が食卓に出てくるとすぐに気づいて、美味しそうに食べてくれた。
元王女なこともあってあまり下町に連れて行ってやれなかった。そのことを後悔する。
変装でもなんでもして下町に連れ出せば良かった。彼女ならどんなことも瞳をきらきらさせてくれただろうに。
もっと多くのことを彼女には知ってほしかった。彼女ともっと多くの時間を過ごしたかった。
彼女を虐げた王族の命令なんてユリウスに聞く義務はなかったのに。何故、無視しなかったのか。
後悔が胸を押し寄せ。そして、二度と彼女に会えない現実を思い出し。ユリウスは慟哭した。
もう何度も何度も何日も何日も繰り返しているのに。それでも彼女を想って流れる涙が枯れることはない。
彼らは革命軍によって処刑されたが、ユリウスはこの手で殺してやりたかったと思う。
それから一ヶ月後。ユリウスの元にかつての仲間が訪ねてきた。
しばらくまともに食事を摂れなかったからか、ユリウスは痩せてやつれてしまっていた。そのことを共に革命を果たした仲間に心配される。ユリウスはそれに適当に答えた。
ユリウスが邸にこもっている間に起きた、市井の話をしばらくした後。ようやく彼は本題に入った。
なんと、自分が新たに選ばれる王の候補の一人になったという。
王を投票制にしようと言う話は革命前からしていた。
世襲制によってあの一族に一生安泰で、何をしてもいいと思わせてしまった。そのせいで権力が暴走してしまい、今回のことを引き起こした。
リリアーナのこともそうだ。
だから、ユリウスもそれに賛成だった。
けれど、まさか自分がそれに選ばれるとはつゆほども思っていなかった。
「・・・僕は相応しくない。それに」
かろうじて答えるが、そのあとは言葉が続かなかった。
リリアーナのいない世界で善政を敷いたところで何になる?
リリアーナは王族は当然のこと、国民に殺されたも同然だ。
彼女が死のうと決意したのは、もうどうしようもないほど国民が王族が流した噂を鵜呑みにしたからだ。
そんな国民たちをユリウスが導けというのか?
今まで頑張ってきたのはすべて、革命が終わった後にリリアーナと過ごす穏やかな時間を得たかったがため。けれど、目的であったリリアーナはもういない。
彼はユリウスの言葉を受けて、ユリウスが王候補に選ばれないようにすると約束してくれた。
彼にはきっとユリウスの気持ちが分かっていたのだろう。
彼も次男とはいえ侯爵家出身だった。彼の親や兄は王族からもたらされる利益を得たいがために、民を虐げた。
そんな中彼だけはこの状況をなんとかしようと、家と縁を切ってまで革命軍に参加した。
革命によって彼の家は潰されたが、それまで彼は高位貴族だった。だから、王族側の内情もある程度は理解している。リリアーナのことも。
リリアーナが巷で言われるような悪女でないことも薄々気づいてはいたのだろう。
けれど、この状況下の中でリリアーナは悪女ではないと言ったところで、民は信じず、それどころか反逆者だと言われかねない。
なので、彼は黙っている。
彼以外にも薄々真実には気づいているが、黙っている者は数人ほどいるのだろう。
だから、彼らはユリウスの行動の理由にも察しがついていて、何も言わない。
真実を知らない者がユリウスを傷つけないように、水面下で動いてくれている。
憎悪の対象であった王族であるリリアーナの遺体がユリウスの元に帰ってきたのも、きっとそんな彼らの思いやりの一つ。
ユリウスがリリアーナとの穏やかな生活を得るために、革命軍側についたことに気づいていた彼らは、ユリウスの願いが果たせなくなった今、せめてリリアーナだけは返してやろうと、方々に手を尽くしてくれたのだろう。
その結果が今の状況だ。
ユリウスが王候補になったことをわざわざ忙しい中、言いにこなくたって良かったのだ。
それでも言いにきたのは、ユリウスが王になることを望んでいないことを知っているから。
だから、ユリウスの意思を知りたくて、彼は確認しにきた。
その結果、ユリウスが王になりたくないことを再確認し、ユリウスを王候補から外すことにしたのだ。
「だけどな、ユリウス。お前は革命の中心人物になったんだ。新政権に関わらない、なんてことはできない。いつだっていい。いつか、やってもいいと思える日が来たら、国内の立て直しに協力してくれ。頼む」
そう言うと彼は頭を下げた。
ユリウスの気持ちをすべて知っている上での、この行動だろう。
その彼の行動を無碍にできるほど、ユリウスは強くなかった。
いつか死んだら彼女に再び会えるだろうか。
死後の世界を信じているわけではないが、あるなら会いたいと思う。
その時、自分が何も成し遂げず、ただ漫然と日々を過ごして生涯を終えていれば、彼女に顔向けできなくなる。
彼女は己の命を賭して、ユリウスたちの革命を成功に導いてくれたのに。
そんな彼女の想いに報いたいと思う。
彼女のいない世界は虚しくて耐えられないけれど。
いつか胸を張って彼女に会えるように自分のできることをしたい。
そんな思いを込めて、ユリウスは頷いた。




