後悔(1)
ユリウス視点の過去話です。2話連続投稿となります。
ユリウスが初めてツェルバトーン王国の王女、リリアーナに出会ったのは彼が十歳の時だった。
リリアーナは王城の庭でひっそりと泣いていた。
彼女の周りには護衛らしい兵士の姿は見えない。どうやら、彼女が冷遇されているという噂は本当だったらしい。
子ども心にそのことを理解した。
リリアーナは正妃である王妃から生まれた娘ではなかった。王がその美しさに目を奪われ、手をつけた侍女の子どもだった。
王族といえども一夫一妻制で、他に妻を持つことは許されなかった。だから、侍女から生まれたリリアーナは王妃は当然のこと、王からも疎まれた。
王城に仕える侍女は王族や貴族の近くに仕えることから、平民がなることはない。だから、リリアーナの母親も男爵家とはいえ貴族出身だった。
けれど、リリアーナを産んだことにより、彼女は生家から絶縁されたのだという。この国は妻子を持つ者の子どもを産んだ女性に冷たい。たとえそれが、同意の上ではないとしても。
そんな状況に耐えかねたのか、リリアーナの母は心を病んで彼女が幼い頃に亡くなってしまった。
それから彼女はずっと一人だ。
成長するごとに母に似て美しく育っていくリリアーナを継母は疎んだ。父親はその美しさに目をつけ、立派な王女となるように過剰な教育と食事制限を施した。彼女のことを娘としてではなく、政略結婚の駒としか考えていなかった。
そんな、自分ではどうしようもない状況に追い込まれている王女がかわいそうなのだと、ユリウスの父は話していた。
そのことを、庭の片隅で泣いている少女を見て思い出した。
「ねえ、大丈夫?」
しゃがんでいるリリアーナに合わせて、ユリウスもその場にしゃがみ込む。
ユリウスの声に反応して、リリアーナの鼻を啜る音が少し小さくなる。
「うん、あなたはだあれ?」
そう言ってユリウスに視線を合わせた。
この国では珍しい薄紫色の瞳と目が合う。
「僕は・・・僕はユリウス。君は?」
ユリウスは既に知っていたが、警戒心を抱かせないためにあえて尋ねる。
「私、はリリアーナ」
震えるように、小さな声で呟いた。
それだけで、彼女の置かれた状況をユリウスはある程度把握してしまう。
「リリアーナ。素敵な名前だね」
そう言ってユリウスは微笑みかける。
誰かに笑いかけられたのは初めてだったのか、リリアーナは驚いている。
それほどまでに彼女は王族から無視されているのか。
こんな小さな子を。正妃の子どもではないだけで。
「リリアーナはよく、ここにいるの?」
「ううん。今日だけ。ここに来たら陛下に怒られるから」
自分の父親のことなのに、父親のことを「陛下」と呼ぶのか。
「泣くのを怒られるの?それともここに来ること自体がだめなの?」
「どっちも。王女だから泣いたらだめだって。泣く暇があるなら少しでも多くの知識を詰め込めって」
そして、またリリアーナは泣いてしまった。
まだ五歳の女の子にそんなことを言うなんて。信じられなかった。
ユリウスが五歳の時は遊びたい盛りで、父も忙しい合間を縫って付き合ってくれた。
そんな、親と遊んでもらった記憶が彼女にはないのか。
王族と貴族の間では大きな差異があることも理解しているし、公爵でありながら、子どもの遊びに付き合ってくれたユリウスの父が変わり者であることも理解している。
けれど、それでも。あまりにも扱いが酷すぎる。
彼女の兄である王太子も帝王学を学んでいるようだが、あまり力を入れていないと聞く。にもかかわらず、王は何も言わないのだと言う。
「泣きたい時は泣けばいい。そうすれば、嫌なことも少しは軽くなる」
艶々に整えられた髪を撫でながら、なんとかリリアーナを励ます。こんなことしたって、彼女にとっては負担にしかならないかもしれないのに。
「ありがとう、お兄ちゃん」
涙に濡れた顔で、輝くような笑顔をリリアーナは見せてくれた。
次にリリアーナに会ったのは彼女の社交界デビューの日だった。
王女のデビューとあって国中の貴族が、王城の舞踏場に集まっていた。
そして、満を持して現れたリリアーナはユリウスがはっと思わず息を呑んでしまうほど美しく成長していた。
白磁のように白い肌。闇のような黒髪は腰まで伸び、毛先まで整えられている。各々のパーツが均等に配置され、著名な人形師が作った人形のようだった。
十二年前とはまるで違う姿。
けれど、変わっていない部分もあった。
あの、アメジストのような美しい瞳だ。あの瞳だけはユリウスが出会った頃のままに澄んでいて美しかった。
リリアーナは緊張しているのか表情が固かった。
それでも、彼女の容貌に引かれて貴族たちは彼女の元へ集った。
それがユリウスはなんだか気に食わなかった。
今まで彼女がどんな目に遭おうとも気にしなかったくせに。そんな、場違いな想いを抱いた。
ユリウスも次期公爵として彼女に挨拶した。けれど、彼女は他人行儀な挨拶を返しただけで、幼い頃にユリウスに会ったことは覚えていないようだった。
それが無性に寂しかった。彼女の心にユリウスは少しも残っていなかったのだと思い知らされた。
それでもリリアーナのことをユリウスは自然と目で追っていた。
彼女は父である王に連れられ、様々な貴族に挨拶していた。
そのどれもで彼女は笑顔を見せなかった。
彼女が挨拶を終えた後で、愛想笑いもしないのか、という貴族の声が聞こえたが、そんなことユリウスにとってはどうでもいい。ただ、他の男にあの笑顔を見せないだけで、理由も分からないのに、心が満たされた。
一通り、貴族への挨拶を終えると、王は彼女の元を離れていった。
そして懇意にしている貴族の元へと向かっていく。
果たすべき役割を果たしたとばかりにリリアーナは放置だ。
リリアーナの結婚相手を決めるのは王だ。リリアーナにいくらアピールしたところで、その場に王がいなければ意味がない。だから、あんなに媚びへつらっていた貴族たちもいつの間にか離れ、リリアーナを気にする者はいない。ユリウスくらいではないだろうか。
父に放置され、リリアーナは悲しんでいるかと思えば、表情に変わりはなく。けれど、きょろきょろ視線だけを彷徨わせている。
その様が迷子の幼子を思わせてユリウスの口の端に笑みが浮かぶ。あんなに美しくなったのに、可愛らしい一面もあるものだと。
目当てのものでも見つかったのか、リリアーナは移動を始めた。
時折どこかを見ながら、ゆっくりと移動している。
どうやらリリアーナが見ているのは王であるようだ。王にばれたくないのか。
そうして王を気にしながら、リリアーナがたどり着いた場所は軽食が置かれているところだった。
一口サイズに切られたサンドイッチを手に取る前にリリアーナはもう一度、王の方を見て。それから素早くサンドイッチを口の中に入れた。
ゆっくりと咀嚼しながら、サンドイッチを楽しんでいる。
少しだけだが、先程の表情より柔らかくなっている。
その光景に目を奪われ、ユリウスは視線を外すことができなくなった。
その後もぱくぱくとリリアーナは軽食を口に運んでいく。その度に幸せそうな表情をこぼす。
ここは王城だから、今リリアーナが食べているものよりもはるかに美味しい料理が毎日食べられるはずなのに。
なのに、王の目を憚るように食べるのは、ユリウスが昔父から聞いた異常すぎるほどの食事制限に理由があるのだろう。
王に見つかれば、リリアーナはきっと叱責される。下手したら、一日食事を抜かれる可能性もある。
だから、リリアーナは食べ物を口に運ぶ前にいちいち王の居場所を、目線を気にするのだ。
じっと彼女のことを見ていたからこそ、気づけた彼女の表情の変化。
自分だけが知る、可愛いリリアーナの表情。
それからユリウスはリリアーナが舞踏会や夜会に参加するたびにリリアーナのことを目で追うようになった。
リリアーナはいつ見ても食べている時、唇に小さく笑みをはいた。でもそれは本当に些細なもので。ユリウスしか知らない、リリアーナの表情だった。
最初はリリアーナの婚約者の座を狙い、彼女に近付いていた貴族たちも、徐々に徐々に波が引くように少なくなった。
理由は明白だ。彼女は話しかけても、どんな話題を振っても愛想笑いすらしなかったのだから。
だから、愛想のない、氷の表情のような彼女に貴族たちは呆れ、離れていった。
でもユリウスだけは、彼女がそうなってしまった理由が分かっていた。
リリアーナは望んでいないにもかかわらず、幼い頃から厳しい教育を受けさせられた。それでも親の愛情が少しでもあればまだよかった。リリアーナにはそれさえなかったのだ。
だから、リリアーナは表情を失ってしまった。
ユリウスと出会って以降もきっと辛く悲しいことが何度も何度もあったのだろう。
誰も、リリアーナに優しく接しなかった。その結果がこれだ。
なのに、王は交友関係も満足にできないのか、とリリアーナを叱責したのだという。
そのことを父から聞いた時、ユリウスは王を殺してやりたい、と思った。
こんな苛烈な想いを抱いたのは初めてだった。
誰のせいで輝くような笑顔を持っていたリリアーナの表情がなくなったと思っているんだ?
だから、王からリリアーナとの結婚話を聞かされた時、重畳だと思った。
リリアーナをあの地獄から救えるなら、王にどんな思惑があろうともどうでもよかった。
ただただ、リリアーナをあの牢獄から救い出してあげたかった。
リリアーナとの結婚式は王族との結婚式にしては小さい、質素なものだった。
でもそれでもユリウスにとっては満足だった。
だって、綺麗に着飾ったリリアーナを見れたのだから。
長い艶やかな黒髪を一つにして、花を至る所に差して纏めていた。
花嫁が見せる幸せそうな笑顔をリリアーナはついぞ見せなかったが、それでもユリウスは良かった。
ユリウスは今まで散々嫌な思いをしてきたリリアーナのために優しい世界を、公爵邸に作ろうとした。
だから、外の噂を鵜呑みにする使用人は有無を言わさず、暇を出した。その際、新たな雇用先を紹介していたので、辞めさせた使用人に不満を言われることはなかった。
それでもリリアーナの嘘の噂の根は深く。完全に潔白だと思っているのはユリウスただ一人だった。この際、リリアーナに危害を加えないならば、雇い続けるしかなかった。
それだけ、この国で王族が垂れ流していたリリアーナの浪費癖の噂は根深かった。
それでも、ユリウスだけはその噂が嘘だと知っている。あの庭で泣いていた彼女が、実の家族からも邪魔者扱いされるリリアーナが、そんなことできるはずがないではないか。
リリアーナが快適な時間を過ごせるように、ユリウスはできるだけ、彼女のそばにいてあげたかった。
だが、彼女と結婚してから仕事量が格段に増えた。
これは王からの警告なのだとすぐに分かった。
余計なことはするな、変なことは考えるな。そういうことだろう。
リリアーナの噂はユリウス一人ではどうにもしようがないほど流布していたし、彼女を王にしようとも思っていなかった。それをすれば、彼女はもっと不幸になる。せっかくあの城から出られたというのに。
だから、粛々と王からの命令に従った。
変に反抗するより恭順していた方が、彼女と過ごせる時間が多くなる。
ユリウスは食事する時にほんの少しだけ上がる、彼女の口角を見るのが好きだった。だから、なるべく残業しないように働いた。
彼女が好きだと言った料理は何度も出させた。
特に手の込んでいない料理まで幸せそうに食べるものだから。こちらまで幸せになった。
でもそのことを知っているのはユリウスだけ。リリアーナ本人でさえ、食事している時に自分の表情が少しだけ柔らかくなっていることを知らない。
リリアーナと二人で邸の庭をゆったりと歩く時間も好きだった。
庭のあちこちを興味深げに見やる彼女は、ユリウスと出会った頃を彷彿とさせて。
リリアーナのそばにいるだけで、ユリウスは幸せに包まれた。
これが恋なのだと。ユリウスは知った。
けれど、ユリウスはこの気持ちをリリアーナに押し付けるつもりはさらさらなかった。
リリアーナにとってユリウスのこの気持ちは負担になるだけだ。
あの王族から解放されて、やっと自由の身になれた彼女に新たな負担はかけたくなかった。
だから、ユリウスはこの気持ちを胸の奥底に秘めた。
ーーーそのことをその後数十年にもわたって後悔することになるとは、この時は微塵も思っていなかった。




