収穫祭(2)
そのまま数歩ほど歩き、はたと気づく。自分からアロイスの手を繋いでしまった。でも、この手を離したくない。気づいていないふりをしてこのまま歩いてしまおうか。
「どうしたの?急に」
アロイスが心配そうな表情でリディのことを伺う。
「い、いえ。ただ、何だか恥ずかしくなってしまって」
「恥ずかしくなることなんてないよ。リディ、とても可愛いから」
柔らかなアロイスの笑顔にリディの頰は熟したりんごのように赤くなる。
おじさんに揶揄われた時よりも頬が真っ赤に染まる。
リディが繋いだ手をアロイスは離れないようにぎゅっと、握り直す。リディの手を簡単に包み込んでしまうほど大きな手なのに、痛さは感じない。
それだけ、アロイスがリディのことを気遣ってくれていること。そのことに気づいた途端、心臓の鼓動が早くなる。
「この図書館、まだあったんだ」
そんなリディの心情などつゆ知らないアロイスがふと呟く。彼にとってもつい口から出たものなのだろう。目を見開いたまま固まってしまった。
「ここ、町に唯一ある図書館なんですよ」
リディはさっきのアロイスの言葉を聞いていないふりをして、そびえたつ建物を見上げた。
横でほっと安堵する空気が伝わってくる。
「そう、みたいだね。一見しただけでは図書館とは分からないね」
「元は違う用途で使われていた建物みたいですよ。何の用途で使われていたのかは分かりませんが」
ユリウスが治めていた当時から存在していた貴重な場所。
場所が場所だけに、リディは前世の記憶を思い出した当初、ここに足繁く通った。もしかしたらユリウスに関する何かが残っているかもしれない、と。
けれど、いくら探してもユリウスに関するものは肖像画を含めて一切残っていなかった。
リディの探し方が足りないのかと、図書館にいる司書に尋ねたことがあった。
司書もユリウス関連のものが何も残っていないことには前々から疑問を感じていたらしい。
その司書は歴史が好きらしく、自分の考えを少しリディに話してくれた。
革命を果たした中心人物であるにも関わらず、肖像画すら残っていない。ユリウスが治めていた領地にもまったく。これはもう、ユリウス本人が意図的に自分に関するものを処分したとしか考えられない、と。
そんな苦い記憶が蘇る。
彼は何故自分に関するものを一切処分してしまったのだろう。
この国を抜本的に変えたことは誇るべきことなのに。将来に渡って賞賛されるべき素晴らしいことなのに。
「どうしたの?暗い顔して」
いつのまにか俯いてしまっていたリディに心配そうにアロイスが彼女を覗き込みながら尋ねる。
それに首を振りながら、リディは大丈夫です、と返した。
「それよりも、アロイス様にお渡ししたいものがあるんです」
さらに重ねて訊かれる前にリディは話題を変えることにする。
持っていた小さめのバッグから、白い手巾を取り出し、アロイスに差し出す。
「いつかアロイス様にお願いされたものです」
「ああ。何か花を刺繍してほしいって言った、あれだね」
嬉しそうにアロイスはリディから手巾を受け取った。
アロイスはそのまま折り畳まれていた手巾を開く。
手巾の右下に一輪の咲き誇る向日葵が刺繍されていた。
「アロイス様に似合う花は何だろうって考えてたら、真っ先に思い浮かんだ花です」
アロイスはいつもリディに輝くような笑顔を見せてくれる。
そんなアロイスをイメージして縫った向日葵だ。
「ありがとう、大事にするね」
大切そうに向日葵を一回撫で、アロイスは手巾をしまった。
「次はどこへ行く?」
何事もなかったかのようにアロイスはリディの手を繋ぐ。
それをリディはあえて気づかないふりをする。
「中央広場に行くのはどうでしょう?今の時間なら音楽が奏でられていて、踊っている人もいるかもしれません」
町に設置されている時計を見れば、昼を少し過ぎた頃。
毎年このくらいの時間になれば、広場に人が集まって賑やかになる。それに伴って屋台も増える。
「そうだね、行こうか」
それから二人は中央広場を訪れた。
案の定、人が多く、気を抜いたらすぐに逸れそうだ。そのためか、アロイスは先程よりもより強くリディの手を握る。
すれ違う人々も増え、そのたびに女性から必ずといっていいほど振り向かれる。
そんな女性の一人が「いいなあ」と言っている声を聞く。その女性はリディの頭の髪飾りを見ていた。
花は男性が愛しい女性に贈るもの。だから、アロイスが愛しく思っているのは必然的にリディということになる。
なんだか、今日は顔を熱くしてばかりだ。
「何だか音楽が聞こえるね。ん?リディ、顔赤いよ。どうしたの?」
前方からリディの方に視線を移したアロイスは不思議そうに尋ねる。
「い、いえ、なんでもありません。音楽はきっと、町の人たちが奏でているものだと思います。その音楽に合わせて自由に踊るのが最近の祭りの流行りなんです」
アロイスに繋がれていない手で顔を仰ぎながら、なんとか答える。
一流の音楽家ではない人々が、各々の音楽を持ち出し、中央広場で自由に音を奏でる。
それがここ数年続いていて、その音楽に合わせて自分の好きなように踊るのも定番化している。
広場に着いてみると、既に何人かが踊っていた。
「リディ、良ければ僕と踊っていただけませんか?」
今まで繋いでいた手を離し、改めてアロイスはリディに手を差し出す。
その誘い方は社交界での正式な誘い方。
どきん、と胸が高鳴る。
緊張しながら手をのせる。もう、何回も彼と手を繋いでいるはずなのに。いつもより特別に感じた。
ダンスに決まった振り付けはない。各自好きに踊る。
事前にアロイスと話し合ったわけではなかったのに、自然と息があった。
ずっと。ずっとこうしたかったような、ここに帰りたかったような。そんな感情に支配された。
踊っている時間は楽しくて、あっという間だった。
ダンスの輪から抜けた時には既に陽が傾いていた。
もうそんなに時間が経ったのかと、リディは素直に驚く。
それくらい、アロイスとのダンスは楽しかった。望んでいたことが叶ったような、そんな充実感に満たされた。
太陽が地平線の彼方に傾き始めて、リディはユリウスを連れて、とっておきの場所に案内した。
そこはユストファ子爵邸に程近い場所。町から離れ、喧騒とは程遠い静寂に包まれた小高い丘だった。
「ここから見える夕暮れは格別なんですよ・・・もう沈んでしまいましたが」
そうリディが言っている間にあたりはあっという間に暗くなり、隣にいるアロイスでさえ、ぼんやりとしか見えない。
「ですが、ここから見る星空もとても綺麗なんです」
そう言って顔を上げると。
そこには満点の星空が輝いていた。
溢れんばかりの星々は、都会の明かりよりもずっと綺麗で、見ていて飽きることはない。
「本当だね。王都ではなかなか見ることができないよ」
アロイスは声を震わせている。
リディは初めて見た時、こんな光景が今でも見られるのかと驚いたことを覚えている。
リリアーナの時は王都から一歩も出ることなく生涯を終えてしまったが、その時は数えられるほどの星しか見ることができなかった。
だから、余計に感動したのかもしれない。
「アロイス様は今日で私と会うのをやめると言いました」
横を振り向けば、微かに頷くような気配が伝わってくる。
「だから、私の気持ちもアロイス様にお伝えしたくて。人がいない、私のお気に入りの場所にアロイス様を連れてきました」
「・・・そっか。焦らなくていいから。話しやすくなったら話して」
そうアロイスは言ってくれたものの。リディはなかなか言葉にすることができなかった。
あんなに悩んで決めたくせに。いざとなると言葉が出てこなくなる。なんのためにここ数日悩んだのだ。
リディは自分の気持ちを彼に伝えなければならない。そう、分かっているし、覚悟を決めていたはずなのに、なかなか言葉が出てこない。
アロイスは黙ったまま、リディが口を開くのを待ってくれている。
こんなの、ずるいとは分かっているけれど。リディは隣に座るアロイスの手に自分から重ねた。
はっと驚くような気配が伝わってくる。
「ごめんなさい。わがままだとは分かっているんですけど、このまま話をしてもいいですか?」
「わがままなんかじゃないよ。リディの好きなようにして」
「ありがとうございます」
何度か深呼吸をして。リディは重い口を開いた。
「最初、婚約した当時はその日が来たら婚約を破棄するつもりでした。私にはかつて好きな人がいて、その人以上に好きになる人はいないと思っていたので」
暗闇で顔は見えないものの、アロイスはきっと悲しい表情をしていることだろう。自分の想い人から他の想い人の話をされるのは辛いことだと思う。なのに、アロイスは話を遮ることなく、リディから握られた手を振り払うことなく、話の続きを待ってくれている。
「・・・それに、私はその人を不幸にしてしまいました。私に唯一優しく接してくれていたのに」
「唯一?」
そこで疑問を覚えたらしく、アロイスは初めて口を挟む。
確かに今のリディは両親から愛され、幸せな日々を送っている。けれど、リリアーナの時は違った。
「あ、ごめん。口を挟んでしまった」
「いいえ、大丈夫です。その人との結婚生活はとても短いものでしたが、私にとっては人生で一番幸せな時でした。・・・その人にとっては不本意なもので、そうではないかもしれませんが」
アロイスが息を呑む音が聞こえ、リディが重ねているアロイスの手が強張る。
ああ、やっぱり。
リディが前世の話を匂わせても特に反応がなければ、もうその可能性はないと思っていた。その可能性がないのなら、今の話は嘘だと言ってそのまま婚約を破棄するつもりだった。だって、いくらリディが当初とは気持ちが違うといっても、リディに幸せになる権利はないから。
けれど、アロイスに、前世の記憶があるのなら。最後まで話さなければならない。前世の時には話せなかったリリアーナの気持ちをすべて。この人に知って欲しいから。
ここが正念場、とばかりにリディは大きく息を吸い込み、口を開いた。
「私には前世の記憶があります。リリアーナ・リラ・ツェルバトーン。この国で三大悪女の一人として数えられる人物です」
「君は、そんな人じゃない!」
今までアロイスは大声で怒鳴ることはなかった。だから、リディは純粋に驚く。
「ユリウス様、ですね」
「やっぱり、この顔だから気づいていた?」
アロイスは困ったように苦笑する。
確かに、アロイスの顔はユリウスの顔と瓜二つだ。けれど、根拠はそれだけじゃない。
「いいえ。最初は他人の空似だと思っていました。けれど、接していくうちにもしかして、と」
「なのに、君はこの茶番に付き合ってくれていたのかい?君にとっては苦痛でしかなかっただろう?」
「苦痛?何故ですか?私は楽しかったですよ。今もですし、リリアーナの時も」
けれど、アロイスはリディの言葉を信じていないようだった。
「でも君は僕のせいで死んだんじゃないか!僕が」
その後は言葉にならないようだった。
アロイスは両手で顔を覆ってしまう。
「ユリウス様」
リディの声にアロイスは顔を上げる。暗闇に慣れた視界の中、彼の顔が涙に濡れているのが見えた。前世を通しても、彼が泣いているところを見たことがなかった。
「リリアーナ」
リディは思わず、アロイスを自分の両腕で囲んで抱きしめてしまう。
「そういうふうに思っていらしたんですか。私は短い期間ですが、あなたと過ごせて幸せでしたよ。けれど、そんな幸せなひとときをくれたあなたに私は。私は最悪な最後を見せてしまった。それをずっと後悔していました」
あえてリリアーナの時の口調で語りかける。
「あれはリリアーナのせいじゃない!」
「ユリウス様のせいでもありませんよ」
見えないとは分かりつつも、つい微笑んでしまう。リリアーナの時にはできなかったこと。
「お互い、後悔を抱えて生きてきたのですね」
彼も涙を啜りながらも、頷いてくれる。
「私はずっとあなたのことが好きでした。けれど、あなたは父に私を押し付けられ、義務感で優しくしてくれていただけ。そんなあなたにこの想いまで押し付けるのはだめだと思っていました」
「そうか・・・。僕は、不遇の王女時代を過ごした君に、さらに悩みを増やすわけにはいかない。君は優しい人だから。僕の想いに応えられなかったら、応えられない自分を責めてしまうと思ったんだ」
「お互い、すれ違っていたのですね」
「ああ、そうみたいだね」
そう言ってアロイスはリディの頭に口付けた。一瞬触れるだけの軽いキス。
「じゃあ、君が最初に言った好きな人というのは」
「はい。私はリリアーナの時からユリウス様に恋焦がれていました。今世でもずっと」
「ありがとう、リディ。僕も君のことを前世からずっと愛しているよ」
それに、リディはぽろぽろと涙をこぼす。
やっと、やっとあの頃のリリアーナが報われた気がした。
ツェルバトーン国の三代悪女の一人として数えられる、この国の王女であった、リリアーナ・リラ・ツェルバトーン。
三人の悪女の中でも特に性格が悪く、国を傾けるまでに至った悪女中の悪女。
だが、最近、そんな彼女の歴史的評価が変わってきている。
高位貴族の日記、リリアーナが降嫁した公爵家の使用人の子孫の言い伝え。そして、彼女の夫であったユリウス・チェストが彼女に送った手紙の発見。
それによってリリアーナの評価が見直されてきている。
リリアーナの評価が変わる日もすぐそこまできているのかもしれない。
本編はこれで終了となります。
次回から、本編に入らなかったリリアーナとユリウスの過去の話を数話ほど投稿していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。




