覚悟
「ここら辺は昔と変わらないね」
その言葉にアロイスを見上げると。彼は懐かしそうに目を細めていた。
「以前、来たことが?」
首を傾げながら尋ねる。
すると、リディの言葉にアロイスは一瞬固まってしまった。
「あ、まあ、そんなところだね」
何故そこまでアロイスは慌てているのだろう。
「いつ頃来られたのですか?」
「秋頃かな。畑が黄金色に輝いていて綺麗だったよ」
「ああ、あれは綺麗ですよね。この世の光景じゃないみたいで」
あの景色を初めて見た時。リディは感動のあまり涙を流してしまった。そして、一緒にこの光景をあの人と見たかった、と思ってしまった。もう叶わないことだと分かっていたからこそ、思わず泣いてしまったのかもしれない。
「そうだね。また見たいな」
「そろそろその季節ですよ。見られますか?」
「え、ああ、今年は少し難しいかな」
それをリディは少し残念に思う。アロイスとあの景色を見られたら、と考えてしまっていた。
そんなリディをアロイスは寂しそうに見つめている。
ああ、そっか。あの景色を見る前に婚約期間が来てしまう。もし、リディがアロイスとの婚約を破棄すれば、共にその景色を見ることはできない。
婚約は破棄する。しなければならない。だが、なんだかもやもやとした気持ちに包まれる。
「・・・その前に、この地域では収穫祭があるんじゃなかったかな?」
「は、はい。そうですね」
アロイスは空気を変えるために明るい声を出した。
「収穫祭には来たことがあるんですか?」
「いや、それがないんだ」
アロイスの返答にリディは内心首を捻る。
この地域の収穫祭は歴史あるもので、毎年行われている。
小麦畑の風景を見たことがあるのなら、てっきり来たことがあると思ったのだが。
「でも今年は参加しようと思ってるんだ。リディも一緒に参加しないかい?」
「え?あ、はい」
リディは毎年この祭りに参加していた。両親と一緒の時もあれば一人の時もあった。貴族令嬢が一人で参加するのは世間的に見れば、眉を顰められるものなのかもしれないが、リディはもちろん、両親にも何か言われたことはない。それだけ、この地域の治安は良かった。
そういえば、例年欠かさず行われているこの地域の収穫祭だが、ある数年だけ中止されていたことがある。リリアーナが生きたあの時代だ。民衆たちは貧困に喘ぎ、祭りをしている余裕はなかった。
あんな美しく、楽しい祭りができなかったなんて。なんて、酷い時代だったのだろう。たぶん、あの時代で途絶えてしまった伝統も多くあったことだろう。王族の犯した罪は大きい。
そう思うと、ぐっと胸が掴まれる。リリアーナもかつてはその王族の一人だった。リリアーナは特に何かしたわけではないが、あの王族が犯した罪を目の当たりにするたびに、自分にも何かできることがあったのではないか、と思ってしまう。
だからかもしれない。リディはこのような歴史ある行事や文化にできる範囲で援助してきた。
数日後に行われる収穫祭もそうだ。収穫祭の準備に精力的に協力してきた。町民にはわざわざリディの身分を明かしていないので、リディが子爵令嬢だと知らない者の方が多い。わざわざ知らせて町の人たちを萎縮させる必要はないからだ。
「それでね。その日を最後にリディに会うのは止めようと思ってるんだ」
思いがけない言葉にリディは足を止めてしまう。リディに合わせてアロイスも足を止めてくれる。
「どうして、ですか?」
婚約期間の終了までまだある。
「君にちゃんと僕とのことを考えてほしいんだ。期間終了ぎりぎりまで僕と会っていたら、同情心で僕と結婚してくれるかもしれない。そんな思いがないわけじゃないよ?けれど、それで結婚してリディに後悔してほしくないんだ。期間終了までの数日は冷静になって僕とのことを考えてほしいから。だから、収穫祭の日でリディと会うのを止める」
リディとしっかりと目を合わせてアロイスは話してくれる。
「ちゃんと考えてね。リディには後悔してほしくないんだ」
意思を称えたアロイスの瞳にリディは目を合わせることができなかった。
邸に帰ると、既に母は夕食の準備を済ませていた。
すぐに席に着き、使用人の手によって料理が運ばれてくる。
アロイスはリディの対面に、母は少し離れた場所に座った。
あれから無言で二人は邸まで帰った。
まさか、アロイスがそんなことを考えているとはつゆほども思っていなかった。
てっきりアロイスは婚約期間が終わる最後の日まで会えると勝手に思っていた。
出かける前とは違い、二人の間に流れる雰囲気が変わっていることに母は気付いたようで、二人の間で視線を彷徨わせている。
訊いていいものかどうか、逡巡しているのだろう。
「お口に合いますか?」
「ええ、美味しいです。ありがとうございます」
結局、母は当たり障りのないことしか訊けなかったようだ。
リディはアロイスの方を見ることができなかった。
常に自分の目の前に置かれている料理しか目に映さなかった。
だから、食事中、アロイスは母としか話さなかった。そのことに関して、母は何も言わなかった。
食事を終え、アロイスが帰る時。リディは玄関前までアロイスを見送りに行った。二人きりなのは邸に帰宅した以来だ。
「ごめんね、リディ。困らせちゃったよね。食事前にする話じゃなかったね」
そんなアロイスの言葉にリディは久しぶりにアロイスと目を合わせる。青い瞳にはリディが食事中一切目を合わせなかったことを怒る色はなく。こちらを労るような色しかなかった。
彼はこんなにもリディのことを気遣ってくれているのに。リディは自分のことしか考えられない。なんて、情けないのだろう。
「いえ。その、すみませんでした。私、もちょっと頭の整理がつかなくて」
アロイスが来なくなるのはリディにとってはいい話のはずだ。だって、当初は婚約破棄しようと決めていたのだから。
アロイスが邸に来るのを迷惑だとは一度も思ったことはない。戸惑いはあったが。
アロイスの気持ちを受け入れられない。そう思っていたはずだ。
なのに、今アロイスと会えなくなるのをこんなにも寂しく思うのはきっと。
ーーだめ。当初の意思が揺らいでしまう。
前世の記憶があるとはいえ、今のリディはリリアーナではない。だから、許されるのではと思ってしまう。
もちろん、ユリウスのことを忘れたわけではない。今も胸の一番大事なところにしまっている。あの人との想い出は、あの人への想いはどんなことがあっても忘れることはない、大切なもの。それは変わらない。
けれど、その優先順位は、変わってしまうかもしれない。いや、もう変わっているかもしれない。
前世はもう終わってしまったもの。リディがどれだけ後悔したって取り返しはつかない。そう、分かってはいるけれど。
「ううん、突然ああ言った僕も悪いんだ。でも当日に言ったらもっと混乱させてしまうと思って。だから、前もって言っておこうって。その上で僕と最後の日を過ごしてほしいんだ」
アロイスから向けられる笑み。彼はいつもリディに笑顔を見せてくれる。ユリウスもそうだった。
「・・・分かりました。私も考える時間は欲しいと思っていたので」
「ありがとう。収穫祭、楽しみにしているね」
そう言うと、アロイスはリディの右手に口付けた。
「見送り、ありがとう」
目を細め手を振ると、アロイスは邸を去って行った。
収穫祭までに考えなければならない。アロイスとのことを。
その上でその日に答えを出すのだ。
収穫祭の後、アロイスは会ってくれない。会うのはきっと婚約期間終了の日だけ。もしかしたら、その日さえ会えないかもしれない。だとすると、アロイスに面と向かって会えるのは収穫祭の日だけになる。
アロイスはリディに本音を語ってくれた。だから、リディもアロイスに自分の気持ちを、自分の口から語らないといけない。
それはとても難しい。だって、リディの気持ちを話すには前世のことから話さないといけないから。彼は信じてくれるだろうか。彼はあの人、なのだろうか。
前ほど、アロイスがユリウスであればいいとは思わない。だけど、その気持ちがないとは言わない。
自分のことのはずなのに、自分の気持ちがどこにあるのか、リディには分からない。
本当に収穫祭の日、言葉にしてアロイスに話せるだろうか。
そんな不安を抱えながら、リディは収穫祭当日まで過ごした。




