(三)手が届かない場所
◆ まだ、さわるのだめ
夕方。
うちの人間が姪へ言った。
「シジミにおやつあげてみる?」
余計なことを思いついた。
姪はすぐにうなずいた。
うちの人間が小さな食事を一つ、姪の手へ載せる。
「手は急に動かさないでね」
姪は真剣な顔で食事を持った。
床へ座る。
腕を前へ伸ばす。
シジミは少し離れた場所から見ていた。
食事の匂いはする。
姪は動かない。
声も出さない。
さきほどまでとは違い、待っている。
悪くない。
シジミは少し近づいた。
姪の指がわずかに動いた。
興奮しているらしい。
だが、手を引っ込めなかった。
さらに近づく。
食事の匂いを確認する。
姪の手の匂いもする。
知らない家の匂い。
甘い菓子の匂い。
少し汗の匂い。
害はなさそうである。
シジミは食事を取った。
姪は目を大きくした。
だが、すぐには触らなかった。
そこはよい。
シジミが食べ終え、顔を上げる。
姪が小さく尋ねた。
「もう一個?」
うちの人間が笑った。
「仲良くなったね」
食事を受け取っただけである。
仲良くなったわけではない。
姪はうちの人間へ言った。
「まだ」
分かっている。
うちの人間が首を傾げる。
「まだ仲良くないの?」
姪はシジミを見る。
シジミも姪を見る。
「まだ、さわるのだめ」
そのとおりである。
うちの人間より、よく理解している。
シジミは少し評価を改めた。
この子どもは、相手の状態を読む。
そして、少なくとも言葉では正しく判断できている。
問題は、その正しい判断を守り続けられるかどうかである。
◆ でも、さわれた
姪はもう一つ食事を受け取った。
シジミへ差し出す。
シジミが取る。
さらにもう一つ。
三つ目を受け取ったあと、シジミはその場を離れようとした。
姪が言う。
「もういらない?」
そのとおりである。
シジミは歩き出した。
姪は手を伸ばさない。
少し成長したらしい。
ところが、シジミが姪の横を通り過ぎた瞬間、姪の手が背中へ触れた。
ほんの一度。
軽く。
力も強くない。
シジミはすぐに足を速めた。
姪は笑った。
「さわれた」
知っていてやった。
食事を受け取りに近づいた。
横を通る。
今なら一度だけ触れられる。
そこまで計算したらしい。
うちの人間がうれしそうに言う。
「よかったね。シジミも撫でてもらってうれしいね」
うれしくない。
姪も、それを分かっている。
姪はシジミの背中を見ながら言った。
「早く行った」
そうである。
触られたから離れた。
「いやだった?」
そうである。
姪は少し考えた。
そして、また笑った。
「でも、さわれた」
反省より達成感が勝った。
やはり子どもである。
◆ 手が届かない場所
夜。
姪はうちの人間の隣で眠ることになった。
普段と違う布団が敷かれる。
普段と違う匂いがする。
寝る前まで姪は落ち着かなかった。
布団へ入る。
起き上がる。
水を飲む。
また入る。
シジミを見る。
「シジミも寝る?」
寝る。
ただし、姪の隣では寝ない。
シジミは少し離れた棚の上へ移動した。
姪が見上げる。
「高いところにいる」
うちの人間が答える。
「シジミは高いところが好きなんだよ」
それもある。
今は、姪の手が届かないという理由のほうが大きい。
姪は棚の近くへ来た。
上を見上げる。
シジミの尾が棚から少し垂れている。
姪の目が尾へ向く。
シジミはすぐに尾を引き上げた。
姪が言った。
「かくした」
分かっている。
「さわらないよ」
シジミは尾を戻さなかった。
姪はしばらく見ていた。
それから本当に手を伸ばさず、布団へ戻った。
少しずつ学んでいるようだ。
夜が深くなる。
うちの人間と姪が眠る。
家の中が静かになる。
シジミは棚から降りた。
水を飲む。
食事の皿を確認する。
窓辺へ行く。
いつものように家の中を歩く。
姪は眠っている。
子どもは眠っていると静かである。
動かない。
追ってこない。
観察もしない。
悪くない。
シジミが寝台の近くを通ったとき、姪が寝返りを打った。
目は閉じている。
だが、手だけが布団の外へ出た。
シジミの足へ少し触れる。
シジミは止まった。
姪は起きない。
偶然らしい。
それなら問題ない。
シジミは少し離れた場所へ移動し、体を丸めた。
※第28話「姪」は全五回です。
続きます。
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/humans-foolish-top




