(一)姪が来た日
◆ 姪が来る前
うちの人間の姉の子どもを、数日預かることになったらしい。
いわゆる姪である。
まだ小さい。
一人で歩ける。
人間の言葉も、それなりに話せる。
だが、身の回りのことをすべて自分でできるほどではない。
うちの人間は、姪が来る数日前から家の中を片づけ始めた。
床に置いていたものを棚へ上げる。
角のあるものを奥へしまう。
小さなものを箱へ入れる。
普段は、
「あとで片づける」
と言いながら放置しているのに、子どもが来ると決まった途端、急に動き始めた。
人間は、自分が踏む可能性のあるものは放置する。
だが、子どもが触る可能性があるものは片づける。
自分の安全より、他人へ説明しなければならない事故のほうが怖いらしい。
うちの人間は床へ膝をつき、長椅子の下をのぞき込んだ。
「これも危ないかな」
細い紐を見つけ、棚へしまう。
それは先週からそこにあった。
シジミが何度か前足で動かしていたが、そのときは片づけなかった。
姪が来るとなれば、すぐに片づける。
猫より人間の子どものほうが大切ということではないのだろう。
おそらく、猫は危険を避けられると思っている。
子どもは何をするか分からないと思っている。
人間が子どもを怖がる理由は、だいたい無知であることだ。
何が危険か分からない。
何を触ってよいか分からない。
力加減が分からない。
動物へどのように近づけばよいか分からない。
たしかに、それもある。
だが、シジミが人間の子どもを少々苦手とする理由は、そこではない。
◆ 子どもは動物的
子どもは、動物的なのである。
大人の人間より、ずっと周囲をよく見ている。
視線。
耳の向き。
尾の動き。
体の重心。
呼吸の変化。
大人の人間が気づかないような小さな変化へ、子どもは反応する。
シジミが少しだけ顔をそむける。
うちの人間は気づかない。
子どもは気づく。
シジミの尾の先が一度だけ動く。
うちの人間は見ていない。
子どもは見る。
耳が横へ向く。
肩が少し上がる。
前足へ力が入る。
そのような変化も、子どもはよく見ている。
問題は、その情報を得たあとの行動である。
動物同士なら、相手が嫌がっていると分かれば、少し距離を取る。
今は近づかない。
別の方向から見る。
相手が落ち着くまで待つ。
それが普通である。
子どもは違う。
嫌がっていると分かったうえで、近づいてくる。
尾が動いた。
面白い。
耳が横を向いた。
もう一度見たい。
顔をそむけた。
反対側へ回れば顔が見える。
逃げた。
追えばまた動く。
相手の気持ちを読み取れないのではない。
読み取った結果、さらに興味を持つ。
そこが厄介なのである。
◆ 姪が来た日
姪が来た日。
玄関の呼び出し音が鳴った。
うちの人間が扉を開ける。
姉らしい人間と、その隣に小さな子どもが立っていた。
姪は、大きな鞄を背負っている。
自分で持つには少し大きい。
だが、下ろすつもりはないらしい。
家へ入るなり、すぐに周囲を見回した。
長椅子。
机。
窓。
棚。
そして、少し離れた場所にいるシジミ。
目が合った。
姪の動きが止まる。
シジミも動かなかった。
子どもは、まず見る。
大人のように、見つけた瞬間、
「かわいい!」
と声を上げながら手を伸ばしたりはしない。
相手がどのような状態か、少し観察する。
その点だけなら、悪くない。
姪は小さな声で尋ねた。
「シジミ?」
うちの人間が答える。
「そう。シジミだよ」
姪は、シジミの目を見た。
次に耳を見る。
尾を見る。
足を見る。
かなり正しく観察している。
シジミは体を横へ向けた。
正面から向き合う必要はない。
敵意はない。
だが、近づいてほしくもない。
それくらいの意味である。
姪は、すぐに気づいた。
「こっち見ない」
うちの人間が笑った。
「緊張してるのかな」
違う。
今は関わる気がないと示している。
姪は一歩近づいた。
シジミは視線だけを姪へ向ける。
姪が止まる。
ここまではよい。
相手が反応したので、距離を確認した。
動物同士なら、ここで少し下がる。
だが、姪はその場へしゃがんだ。
体を低くする。
正面から見下ろさない。
その判断は正しい。
そして、さらに一歩近づいた。
そこが違う。
※第28話「姪」は全五回です。
続きます。
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