(五)静かだなあ
◆ 今さらである
うちの人間は布団から顔を出した。
屋根の音を聞きながら、絵の光る板を手に取る。
ムクドリの巣について調べているらしい。
「ひながいるあいだは、勝手に撤去しちゃ駄目なんだ」
今さらである。
巣作りを始めた時点で調べればよかった。
「巣立つまで待つしかないのかあ」
ムクドリが鳴く。
「ギャー!」
うちの人間は枕へ顔を戻した。
「早く巣立って……」
カラスのひなが巣立ったときには、少し寂しいと言っていた。
ムクドリのひなには、早く出ていってほしいらしい。
子の姿を見られたか。
鳴き声が美しかったか。
自分の家に住んでいるか。
その違いである。
同じ鳥の巣立ちでも、ずいぶん扱いが違う。
◆ 家賃も払わないのに
それからしばらく、ムクドリとの暮らしが続いた。
朝。
「ギャー!」
昼。
「ギャー!」
夕方。
「ギャー!」
夜になり、もう静かだろうと思ったころにも、
「ギャー!」
うちの人間は、そのたびに屋根を見る。
「何で今?」
時間に理由が必要なのだろうか。
ムクドリは鳴きたいときに鳴いている。
あるいは、必要があって鳴いている。
人間の時計へ合わせるつもりはない。
一方、家を出るときには威嚇される。
帰ってきても威嚇される。
庭へ出ても鳴かれる。
窓を開けても警戒される。
ある日、うちの人間は屋根を見上げながら言った。
「家賃も払わないのに、偉そうだなあ」
人間は、家に住むには紙や数字を渡す必要がある。
鳥には、その仕組みは関係ない。
空いている隙間を見つけた。
巣を作った。
住んだ。
それだけである。
家賃という考えをムクドリへ求めても仕方がない。
ただし、住んでいる者へ威嚇するのは、やはり少しおかしい。
せめて、
場所を借りる。
家の者が通る。
それは仕方がない。
その程度の折り合いはつけてもらいたい。
だが、ムクドリにとっては、巣の周囲へ近づく者はすべて警戒対象である。
この家を誰が作ったか。
誰が先に住んでいたか。
誰が屋根を直しているか。
そのような事情は知らない。
自分の子がいる。
だから守る。
そこだけは一貫している。
うちの人間は、ムクドリの声に眉を寄せながらも、巣を壊そうとはしなかった。
「ひなが出るまでは仕方ないよね」
その判断は悪くない。
子には、巣の場所を選んだ責任はない。
親がここへ作った。
生まれた子は、そこで育つしかない。
うちの人間も、それくらいは分かっているらしい。
ただし、ムクドリが鳴くたびに文句は言う。
「うるさい」
「早い」
「また鳴いてる」
「夜なんだけど」
我慢することと、黙っていることは別らしい。
◆ もうすぐ出てくる
やがて、屋根の内側の声が変わってきた。
子の鳴き声が大きくなる。
入口の近くまで来ている気配もある。
羽を動かす音。
中で場所を取り合う音。
巣立ちが近いのかもしれない。
うちの人間は、今度は少し楽しそうに屋根を見た。
「もうすぐ出てくるのかな」
早く出ていってほしいと言いながら、出てくるところは見たいらしい。
人間は結果だけでなく、瞬間を見たがる。
初めて飛ぶところ。
初めて外へ出るところ。
親のあとを追うところ。
見れば、きっと、
「かわいい」
と言う。
その直前まで、鳴き声へ文句を言っていたことは忘れる。
◆ 飛んだ!
数日後。
一羽の若いムクドリが、屋根の端へ出ていた。
まだ親より少し頼りない。
羽が整いきっていない。
足元を何度も確認する。
下を見る。
隣の屋根を見る。
親のムクドリが、少し離れた場所から鳴く。
「こっちへ来い!」
若いムクドリは動かない。
「高い」
「怖い」
親がまた鳴く。
「飛べ!」
若いムクドリは羽を広げた。
一度閉じる。
もう一度広げる。
そして、屋根を蹴った。
体が少し下へ落ちる。
すぐに羽が空気をつかむ。
ぎこちなく上下しながら、隣の低い屋根へ移った。
着地は少し乱れた。
だが、落ちなかった。
うちの人間は窓からその様子を見ていた。
「飛んだ!」
うれしそうである。
早朝に起こされたことも。
外へ出るたび威嚇されたことも。
夜に鳴かれて眉を寄せたことも。
その瞬間には、すべて忘れている。
「よかったねえ」
若いムクドリは、親のあとを追って飛んでいった。
巣の中には、まだ別の子がいるようだった。
完全に静かになるまで、もう少しかかる。
それでも、終わりは近い。
うちの人間は少し笑った。
「いなくなると、ちょっと寂しくなるのかな」
おそらく、なる。
カラスのときも同じだった。
いるあいだは文句を言う。
いなくなれば静かすぎると言う。
早く巣立ってほしい。
巣立てば寂しい。
人間の気持ちは、相手がいるかいないかで簡単に反対へ動く。
◆ 静かだなあ
数日後、ムクドリの声は聞こえなくなった。
親も子も、別の場所へ移ったらしい。
朝になっても、
「ギャー!」
という声はしない。
屋根を歩く音もない。
うちの人間は、久しぶりに鳴る箱が音を出すまで眠った。
起きると、しばらく天井を見た。
「静かだなあ」
望んでいた静けさである。
それなのに、少し物足りなさそうな顔をしている。
窓を開け、屋根を見上げる。
「本当にいなくなったんだ」
早く巣立ってほしいと言っていた。
出入りするたびに威嚇され、家賃も払わないと文句を言っていた。
それでも、いなくなったことを確認すると、少し寂しそうにする。
うちの人間は屋根の隙間を見ながら言った。
「来年も来たりして」
声には、嫌そうな感じと、少し期待する感じが混じっていた。
どちらなのだろう。
来てほしいのか。
来てほしくないのか。
おそらく、うちの人間自身にも分かっていない。
遠くで見たい。
近くでは困る。
子はかわいい。
親はうるさい。
巣立ちは見たい。
住みつかれるのは困る。
人間は、相反する望みを同時に持てる。
そして、どちらになっても少し文句を言う。
シジミは屋根のほうへ耳を向けた。
今は何も聞こえない。
平和である。
少なくとも、次の何かが来るまでは。
うちの人間は窓を閉めながら、つぶやいた。
「やっぱり鳥がいると、にぎやかでいいんだけどなあ」
シジミは猫語でつぶやく。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
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