(一)何もいないよ
◆ 親子のカラス
カラスのひなが、巣立ちを終えたようである。
少し前までは、家の近くで親子のカラスをよく見かけた。
ひなといっても、巣から出たあとは親とあまり大きさが変わらない。
ただし、飛び方にはまだ慣れていない。
枝から枝へ移るときに少し迷う。
着地する直前に羽を大きく動かす。
食べ物を見つけても、すぐには取れない。
地面へ降りたあと、何をすればよいのか分からないような顔で親を見る。
親のカラスは、その近くにいた。
地面にある食べ物をつつく。
くちばしで持ち上げる。
ひなの前へ落とす。
危険があれば、先に飛び立つ。
ひなが遅れてついてくる。
そうやって、食事の取り方や安全な場所を教えていたらしい。
うちの人間も、窓からその様子を見ていた。
「まだ親と一緒にいるんだね」
以前、巣へ近づいて威嚇されたときには、
「カラスって気性が荒いよね」
と言っていた。
今度は、親子が一緒にいる姿を見て、
「ちゃんと子育てしてて偉いなあ」
と言う。
同じカラスである。
子を守れば気性が荒い。
子へ食事の取り方を教えれば偉い。
人間にとって都合のよい距離にいるときだけ、評価がよくなるらしい。
近くで警告されれば怖い。
遠くから眺めれば立派。
カラスの側は、何も変えていない。
子を守る。
育てる。
それだけである。
◆ いなくなれば寂しい
しばらくすると、親子のカラスを見かける回数は減っていった。
最初は毎朝いた。
次に、数日に一度になった。
やがて、声も聞こえなくなった。
ひなが自分で食事を見つけられるようになり、別の場所へ移ったのだろう。
巣のある木も静かになった。
親のカラスが警告することもない。
うちの人間は、窓から木を見上げて言った。
「もういなくなっちゃったのかな」
そうらしい。
「ちょっと寂しいね」
シジミは、うちの人間を見た。
巣へ近づいたときには、頭の近くを飛ばれて文句を言っていた。
遠回りの道を選び、
「あの辺のカラス、怖い」
とも言っていた。
それが、いなくなれば寂しいらしい。
人間は、いるものには不満を言い、いなくなったものは惜しむ。
近くにいれば、怖い。
いなくなれば、寂しい。
どちらなら満足するのだろう。
もっとも、シジミも、カラスがいなくなったことで少し安心していた。
巣の近くを避ける必要がなくなった。
道を遠回りしなくてもよい。
木の上を確認しながら歩く必要もない。
スズメたちも、庭へ降りる前に何度も周囲を確かめなくなった。
これで、しばらくは平和になる。
シジミは、そう思っていた。
◆ 次はムクドリ
だが、平和は長く続かなかった。
次はムクドリである。
最初に異変へ気づいたのは、シジミだった。
屋根のあたりから、小さな音がする。
何かが足で歩く音。
細いものを引きずる音。
壁の外側を、爪が引っかく音。
一度だけではない。
何度も繰り返している。
シジミは窓辺から屋根を見上げた。
一羽のムクドリが、細い草のようなものをくわえていた。
家の周囲を一度飛ぶ。
屋根の端へ止まる。
周囲を確認する。
それから、屋根と壁の間にある小さな隙間へ入っていった。
少しすると、また出てくる。
今度は何もくわえていない。
巣を作っている。
場所は、うちの家の屋根部分にある隙間だった。
人間には入り口とも思えないほど狭い。
だが、ムクドリには十分らしい。
屋根の内側には、少し空間がある。
雨を避けられる。
風も直接は入らない。
高い位置にあるため、地面から近づくものも少ない。
巣を作る場所としては、悪くない。
鳥にとっては。
家に住んでいる側からすれば、少し問題がある。
ムクドリは一羽ではなかった。
もう一羽がやってくる。
細い枝を運ぶ。
乾いた草を運ぶ。
どこかで拾った柔らかなものを運ぶ。
何度も屋根の隙間へ出入りする。
春の早い時期に巣を作る鳥も多い。
そのムクドリたちは、やや遅れて場所を決めたらしい。
カラスが近くにいたあいだは避けていたのかもしれない。
あるいは、別の場所でうまくいかなかったのかもしれない。
理由は分からない。
ただ、カラスの親子がいなくなった直後に、ムクドリが家へ入り始めた。
空いた場所には、別の何かが来る。
人間は、問題が一つ終わると、これで全部終わったと思う。
自然は、そのように都合よく静かにはならない。
◆ 何もいないよ
うちの人間は、しばらく気づかなかった。
屋根の近くでムクドリが動いていても、
「鳥がいるなあ」
と言うだけだった。
一羽が隙間へ入っても、その瞬間を見ていない。
シジミが屋根の方向を見上げていると、
「虫でもいるの?」
と尋ねてくる。
虫ではない。
鳥である。
しかも、住み始めている。
シジミが何度か鳴いても、うちの人間は屋根を少し見ただけだった。
「何もいないよ」
今は中に入っている。
見えないから、いないことにはならない。
人間は目の前に姿がなければ、存在していないと思うことがある。
棚の奥に押し込んだもの。
布の下へ隠したもの。
閉じた箱の中にあるもの。
見えなければ、片づいた。
屋根の内側へ鳥が入れば、いなくなった。
ずいぶん便利な考え方である。
※第24話「ムクドリの巣」は全五回です。
続きます。
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