(三)こっちの色も、かわいいなあ
◆ 待つべきところでは待つ
そのあと、食事の時間になった。
うちの人間は鞄を眺めるのに夢中で、時間に気づいていない。
シジミは箱から出た。
棚の前へ移動する。
うちの人間を見る。
反応がない。
一度鳴く。
うちの人間が振り返った。
「あ、ごはんだね」
ようやく気づいたらしい。
うちの人間は立ち上がり、シジミの食事を用意した。
シジミは皿の前へ座って待つ。
袋が開く。
食事が皿へ入る。
うちの人間が皿を置く。
それから食べ始める。
待つべきところでは待つ。
出たら食べる。
食べ終わったら離れる。
シジミは、自分の欲しいものを理解している。
いつ手に入るかも、だいたい分かっている。
手に入らない時間に騒いでも、早くなるとは限らないことも知っている。
生まれて一年もたたないうちに覚えた。
一方、うちの人間は何十回も荷物を頼んでいる。
注文した日に届かないことも知っている。
配達には時間がかかる。
表示が今日中なら、夜に来ることもある。
それを何度も経験している。
それでも毎回、
「まだ来ない」
と言う。
知識として知っていても、気持ちが追いついていないらしい。
知能と精神年齢が別だというのは、こういうことである。
◆ 知っているだけ
うちの人間は多くのことを知っている。
だが、知っているとおりに行動できるとは限らない。
夜更かしをすれば朝がつらいと知っている。
それでも夜更かしする。
紙や数字を使えば減ると知っている。
それでも使ったあとで驚く。
食べすぎれば苦しくなると知っている。
それでも、
「あと一個だけ」
と言いながら食べる。
早く寝たほうがよいと知っている。
片づけたほうが後で楽だと知っている。
欲しいものがすべて必要なものではないと知っている。
腹を立てても荷物は早く届かないと知っている。
すべて知っている。
知っているだけである。
◆ とうに追い抜いている
その日の夜、うちの人間は新しい鞄を長椅子の横へ置き、また光る板を見ていた。
シジミは、届いた箱の中で体を丸めている。
うちの人間が、昼間見ていた記事をもう一度開いた。
「猫の知能は、人間の二歳から三歳くらいなんだって」
先ほども聞いた。
うちの人間は、箱の中にいるシジミを見た。
「だから箱に入るだけで、こんなに楽しめるのかな」
関係ない。
箱の利点を理解して入っている。
何も考えずにはしゃいでいるわけではない。
むしろ、届く前から鞄のことで頭がいっぱいになっていたうちの人間より、落ち着いて判断している。
うちの人間はシジミの頭を撫でる。
「三歳児くらいかあ。まだまだ子どもだね」
知能だけなら、そうなのかもしれない。
言葉の数。
計算。
文字。
人間の作った道具を扱う能力。
そのような基準で比べれば、うちの人間のほうが上である。
だが、精神年齢を決めるのは、知っている言葉の数ではない。
欲しいものがすぐ手に入らなくても待てるか。
嫌なことがあっても、周囲へ不機嫌をまき散らさないか。
自分で選んだ結果を、ほかの何かのせいにしないか。
同じ失敗を何度も繰り返さないか。
眠いとき。
腹が減ったとき。
欲しいものを見つけたとき。
思いどおりにならないとき。
そういうときに、どのように振る舞うかである。
うちの人間は、シジミより長く生きている。
言葉も多く知っている。
複雑な道具も使える。
だが、朝は布団から出たくないと駄々をこねる。
夜は眠りたくないと先延ばしにする。
欲しいものが届かなければ、何度も画面を確認する。
届けば大喜びする。
食べすぎれば後悔し、買いすぎれば金がないと嘆く。
そして、箱の中で静かに座っているシジミを、子ども扱いする。
シジミは生まれて一年ほどで、自分の食事の時間を覚えた。
待っても早くならないことを覚えた。
届かない場所にあるものは、別の方法を探すことを覚えた。
嫌なことがあれば距離を取る。
眠ければ眠る。
必要がなければ騒がない。
自分の機嫌を、自分で整える。
うちの人間は、それを何年たっても覚えない。
知能では負けているかもしれない。
だが、精神年齢では、とうに追い抜いている。
しかも、その差は少しずつ広がっているように思える。
◆ こっちの色も、かわいいなあ
うちの人間は新しい鞄を膝へ載せ、満足そうに眺めていた。
「明日、これ持っていこう」
その直後、光る板に別の鞄が表示された。
うちの人間の指が止まる。
「こっちの色も、かわいいなあ」
今届いたばかりである。
シジミは箱の中から、うちの人間を見た。
うちの人間は、少し迷ったあと、画面を閉じた。
「駄目駄目。今日は買ったばかり」
少しは成長したらしい。
だが、光る板を置いてから、もう一度拾うまでに、それほど時間はかからなかった。
シジミは猫語でつぶやく。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
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