(一)ツンデレではない
◆ あと一個だけ
うちの人間は、よく光る板で猫動画というものを見ている。
長いものではない。
ほんの少しだけ猫が歩く。
跳ぶ。
鳴く。
箱へ入る。
人間の手を避ける。
食事を求める。
それだけの短い映像を、次から次へと見続けている。
一つ一つは短いのに、うちの人間が見ている時間は長い。
「あと一個だけ」
と言ったあとに、十個ほど見る。
「これを見たらお風呂に入る」
と言いながら、さらに十個ほど見る。
肩へ落ちた栗色の髪を耳へかけ、柔らかな部屋着のまま長椅子へ座り、指を画面の上で何度も滑らせている。
猫が映るたびに笑う。
「かわいい」
別の猫が出ても、
「かわいい」
猫が怒っていても、
「かわいい」
失敗しても、
「かわいい」
人間は猫について、それ以外の言葉をあまり知らないらしい。
シジミは、うちの人間の隣で丸くなっていた。
人間がよその猫ばかり見ていることについて、特に腹を立てているわけではない。
シジミはここにいる。
画面の猫は、どこか遠くにいる。
比べる必要はない。
ただ、すぐ隣に本物の猫がいるのに、小さな画面の中にいる猫を長時間眺める理由は分からない。
猫が見たいなら、シジミを見ればよい。
歩くところも見られる。
眠るところも見られる。
食事を求めるところも見られる。
条件が整えば、跳ぶところも見られる。
しかも画面と違って、触ることまでできる。
もっとも、触ってよいかどうかはシジミが決める。
◆ ママ、おなかすいたにゃ
その日のうちの人間も、長椅子に座って猫動画を見ていた。
画面には、白い猫が映っている。
猫の前には、食事の入った皿が置かれていた。
だが、猫は皿を見ず、撮っている人間のほうを見上げている。
一度鳴く。
短く、少し高い声だった。
シジミにも意味は分かる。
早く出せ。
もう待っている。
皿は見えている。
撮っていないで、こちらへ寄こせ。
だいたい、そのようなことを言っている。
画面の下には、大きな文字が表示された。
『ママ、おなかすいたにゃ』
シジミは片方の耳を動かした。
言っていない。
まず、ママとは言っていない。
食事を出す人間へ呼びかけてはいるが、母親だと思っているわけではない。
人間は猫と暮らし始めると、自分を母や父と呼びたがることがある。
猫を産んだ覚えもないのに、
「ママだよ」
「パパだよ」
と言う。
猫の側からすれば、食事を出す人間である。
扉を開ける人間。
寝る場所を少し分ける人間。
ときどき余計に撫でてくる人間。
関係を示すなら、その程度で十分だ。
母猫は別にいる。
匂いも、声も、体温も覚えている。
人間が自分を何と呼ぶかは自由だが、猫までそう呼んでいることにしないでほしい。
そして、語尾の「にゃ」である。
猫は、そんな話し方をしない。
そもそも猫語には、人間が考えているような語尾はない。
声の高さ。
長さ。
口の開き方。
息の混ぜ方。
耳や尻尾の動き。
相手との距離。
それらが合わさって意味になる。
何かを言うたびに、最後へ「にゃ」をつけたりはしない。
うちの人間が画面を見ながら笑う。
「お腹空いたんだねえ」
そこは合っている。
正確には、すでに食事があるのに、撮影を優先する人間へ不満を伝えている。
だが、少なくとも食事を求めてはいる。
問題は字幕である。
猫は明確に要求している。
それを、
『ママ、おなかすいたにゃ』
などという、妙に幼く、甘えた言葉へ変えている。
あの白い猫は、もっとはっきり言っていた。
早くしろ。
撮るな。
皿を寄こせ。
人間は猫の要求が強いと、そのまま受け取るのが怖いのだろうか。
だから、何でもかわいらしい言葉へ直す。
命令もお願いにする。
不満も甘えにする。
怒りも寂しさにする。
猫が自分たちへ好意を向けている形へ、勝手に変えている。
◆ ツンデレではない
次の動画が始まった。
今度は茶色い猫である。
人間が撫でようとすると、猫は顔をそむけた。
もう一度手を近づける。
猫はさらに顔を背ける。
三度目には、前足で人間の手を押し返した。
シジミには、その意味がよく分かる。
今は触るな。
先ほどから断っている。
手を引け。
それだけである。
ところが、画面にはこう表示された。
『今日はそんな気分じゃないにゃ』
またついた。
別になくても意味は通じる。
むしろ、つけないほうが猫の意図に近い。
今日はそんな気分ではない。
触るな。
それでよい。
なぜ、最後に「にゃ」を足すのだろう。
猫が一度鳴いたからだろうか。
それなら、人間が話すたびに、
「ひと」
とつけてもよいのだろうか。
「今日は疲れたひと」
「ごはん食べたいひと」
「もう寝るひと」
うちの人間がそのように話したら、シジミでも少し心配になる。
だが、人間は猫なら「にゃ」をつけるのが自然だと思っている。
何が自然なのか分からない。
画面の茶色い猫は、人間の手をもう一度押し返した。
字幕が変わる。
『しつこいにゃ!』
猫は怒っていた。
そこは正しい。
ただし、やはり語尾は余計である。
うちの人間は笑った。
「怒ってるのもかわいい」
怒っているのである。
かわいいかどうかを判断している場合ではない。
手を引くべきだ。
画面の中の人間は、まだ撫でようとしている。
猫が耳を横へ向ける。
尻尾を強く振る。
目を細める。
人間はそれらを見ても、
「ツンデレだねえ」
と言っている。
ツンデレではない。
拒否である。
猫が嫌だと伝えているのに、好意を隠していることへ変える。
人間は、相手の否定をそのまま受け取れないことがある。
嫌だ。
触るな。
離れろ。
それを、
「本当はうれしいんでしょ」
と考える。
自分に都合のよい意味をつけ、相手の言葉をなかったことにする。
猫動画というものは、人間が猫を理解するためのものではないらしい。
人間が自分の考えた猫を眺めるためのものなのだろう。
※第17話「猫動画」は全三回です。
続きます。
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