(三)やっぱり!
◆ 忘れさせるために出番を減らす
話が進むにつれ、医者の出番が少なくなった。
うちの人間は、医者への疑いを薄めているようだった。
名前を書いた紙でも、医者の横には新しいことが加えられていない。
だが、それも怪しい。
早く出てくる。
重要な説明をする。
そのあと、姿を見せなくなる。
読んでいる人間が存在を忘れかけたころに、最後の場面で戻ってくる。
忘れさせるために出番を減らしているのである。
猫は忘れない。
シジミは、最初から医者を見ている。
うちの人間が急に本へ顔を近づけた。
「えっ、この薬……」
来た。
どうやら、死んだ人間の体から薬が見つかったらしい。
普通には手に入れにくい薬。
扱いを間違えれば危険。
医者なら持っていても不思議ではない。
うちの人間の目が少し大きくなる。
ようやく気づいたらしい。
「もしかして、先生?」
遅い。
シジミは最初に医者が出てきた時点で分かっていた。
薬が見つかるまで待つ必要はない。
医者がいる。
それで十分である。
うちの人間は、先ほど書いた紙を引き寄せた。
医者の名前の横に、大きく丸をつける。
「やっぱり怪しい」
やっぱりではない。
先ほどまで、よい人そうだと言っていた。
人間は、新しいことに気づくと、前から少し疑っていたような言い方をする。
完全に考えが変わったと認めるのが嫌なのだろうか。
シジミは最初から医者だと言っていた。
だが、うちの人間には食事の要求だと思われた。
話ができないのはシジミではない。
聞けないのは、うちの人間である。
◆ やっぱり怪しい
そこから先は早かった。
医者が話していた死亡時刻には、ごまかしがあった。
診療所に一人でいたという話にも、証明がなかった。
死んだ人間とは昔からの知り合いで、隠していた争いがあった。
薬を使うことができた。
部屋の鍵にも仕掛けがあった。
うちの人間は、ページをめくるたびに姿勢を前へ倒していく。
「先生だ」
シジミは目を細めた。
知っている。
「犯人、先生じゃない?」
先ほどからそう言っている。
「絶対そうだ」
ようやくシジミへ追いついたらしい。
物語の最後で、人間たちが一つの部屋へ集められた。
事件を調べていた者が、順番に謎を説明する。
家政婦ではない。
甥でもない。
隣人でもない。
使用人でもない。
犯人は、医者だった。
うちの人間が大きな声を上げた。
「やっぱり!」
シジミは耳を少し伏せた。
急に大声を出さないでほしい。
それに、うちの人間は途中まで医者を犯人だと思っていなかった。
薬が出てきてから気づいた。
それを、やっぱりと言うのは少し違う。
うちの人間は本を閉じ、満足そうに長椅子へ背中を預けた。
「当たった」
半分ほど読んでからである。
シジミは、医者が最初に出てきた時点で当てていた。
正確には、出てくる前から、いずれ医者が現れて犯人になると考えていた。
当てたというなら、シジミのほうである。
◆ 当たった
うちの人間は、隣にいるシジミへ顔を向けた。
「今回、途中で分かったよ」
シジミは短く鳴いた。
医者だからである。
うちの人間は笑い、シジミの頭を撫でる。
「シジミもびっくりした?」
していない。
予想どおりである。
うちの人間は、自分が驚いたからシジミも驚いたと思っている。
本を読んでいない猫に、犯人が分かるはずがないと考えているのだろう。
だが、物語には決まりがある。
拳銃が出れば撃たれる。
怪しすぎる者は犯人ではない。
誰もが信頼する者は怪しい。
そして、早い段階で医者が出てくれば、犯人である。
人間が何冊も本を読んで、ようやく途中で気づいたことを、シジミは役割だけで見抜いた。
猫は余計な情報に惑わされない。
うちの人間は本をテーブルへ置いた。
その表紙を眺めながら、まだ事件の仕掛けについて考えている。
「でも、あの死亡時刻の説明、ずるいなあ。医者が嘘をついたら、誰にも分からないじゃん」
だから医者が犯人なのである。
自分で死亡時刻を説明できる。
自分の嘘を、専門的な話として通せる。
最初から、最も怪しかった。
うちの人間はようやく、同じところへたどり着いたらしい。
「推理小説の医者って、なんか怪しいよね」
今さらである。
それでも、少しは学んだようだ。
次に読む本では、医者が出た時点で疑うかもしれない。
ただし、人間は物語が変わると、前に覚えたことを忘れる。
次の本で親切な医者が現れれば、
「この先生、いい人だなあ」
と言う可能性が高い。
そして薬が出てきたところで、
「もしかして」
と考える。
最後に犯人だと分かれば、
「やっぱり」
と言う。
人間は同じ驚きを何度も新しく楽しめる。
それは読書を長く楽しむためには、便利な性質なのかもしれない。
◆ 名探偵シジミ
シジミは長椅子から降りた。
次は自分の食事の時間である。
うちの人間はシジミのあとを見て、笑った。
「犯人が分かったから、ごはん?」
違う。
犯人が誰であろうと、食事の時間は来る。
事件と食事を結びつけないでほしい。
シジミは台所の前へ座った。
うちの人間も立ち上がり、食事の袋を取り出す。
「名探偵シジミにも、ご褒美をあげよう」
ようやく、少しは分かったらしい。
だが、おそらく偶然鳴いた猫を名探偵と呼んで楽しんでいるだけである。
シジミが最初から医者を犯人だと伝えていたとは思っていない。
人間は猫の声を理解できない。
理解できないまま、自分に都合のよい物語をつける。
それでも食事が増えるなら、今は訂正しなくてもよい。
うちの人間が皿へ食事を入れる。
シジミは匂いを確かめてから口をつけた。
背後では、うちの人間が読み終えた本を棚へ戻している。
次に同じような本を読んだときも、きっと登場人物を一人ずつ疑うのだろう。
家政婦。
親族。
隣人。
使用人。
そして最後に医者。
順番に迷い、証拠を集め、ようやく答えへたどり着く。
だが、シジミには分かっている。
物語の早い段階で医者が出てきたら、とりあえず犯人だと思えばよい。
違っていたら、その本のほうがおかしい。
せっかく医者を出したのに犯人へしないなど、使い方を間違えている。
シジミは食事をかみながら、猫語でつぶやいた。
「本当に人間ってあさはかな生き物だよね」
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