(二)医者を出したなら犯人
◆ いい人っぽいから怪しい
それが怪しいのである。
悪そうな者が犯人なら、誰でも分かる。
親切。
穏やか。
皆から信頼されている。
死んだ人間とも長い付き合いがある。
困った者がいれば、すぐ駆けつける。
そのような人間ほど、推理小説では危ない。
最後に正体が明かされたとき、
「あの人が?」
と驚くためである。
最初から悪そうな者が悪いことをしても、人間はあまり驚かない。
だから、よい人間に見える者が犯人にされる。
人間は物語の中で驚くためなら、親切な医者さえ信用しない。
そのくせ、実際に白い服を着た人間の前へ行けば、言われたことを素直に聞く。
薬を飲めと言われれば飲む。
口を開けろと言われれば開ける。
服を上げろと言われれば上げる。
本の中では医者を疑い、現実ではすぐに信じる。
どちらかに決めたほうがよい。
◆ 先に見るべきは役割
うちの人間は読みながら、紙へ何かを書き始めた。
登場した人間の名前を並べている。
その横へ、怪しい理由を書き足す。
家政婦。
合鍵を持っている。
甥。
遺産を狙っている。
隣人。
被害者と争っていた。
使用人。
事件の夜に姿を見た者がいない。
医者。
被害者と親しかった。
シジミは紙をのぞき込んだ。
医者の横に書かれている理由が弱い。
親しかったから怪しいのではない。
医者だから怪しいのだ。
うちの人間は人間の事情ばかり考えすぎている。
恨み。
金。
秘密。
過去の争い。
そのようなものは、犯人になったあとで説明される。
先に見るべきなのは役割である。
誰が死体へ近づけるか。
誰が薬を持っていても不自然ではないか。
誰の説明なら皆が信じるか。
誰が死んだ時刻をごまかせるか。
すべて医者である。
うちの人間が鉛筆の先を唇へ当てた。
「でも、先生は犯行時刻に診療所にいたんだよね」
誰も見ていない。
一人でいたと言う者の言葉を、そのまま信じてはいけない。
シジミが家で一人だったとき、窓辺でずっと眠っていたと言えば、うちの人間は信じるだろうか。
実際には、眠っていたかもしれない。
庭を見ていたかもしれない。
棚の上へ登っていたかもしれない。
見ていない時間のことは、相手の言葉でしか分からない。
推理小説の人間は、そこを疑うために集まっているはずである。
それなのに医者の言葉だけは、しばらく信じる。
最後に疑うためだ。
人間は遠回りが好きである。
◆ 医者を出したなら犯人
シジミは、これまでうちの人間が読んでいた本を思い出した。
ある本では、村で人間が何人も死んだ。
犯人は医者だった。
別の本では、病院で事件が起きた。
犯人は医者だった。
大きな屋敷で人が死んだ話でも、昔の秘密を抱えた医者が犯人だった。
列車の中で事件が起きたときも、医者が怪しかった。
もっとも、その話では犯人が一人ではなかった。
人間は、ときどき大勢を犯人にする。
誰か一人へ決めるのが面倒になったのだろうか。
少なくとも、医者が出てきたら疑う。
これは基本である。
誰かが、物語に出てきた拳銃は撃たれなければならないと言っていたらしい。
うちの人間が以前、本を読みながら話していた。
最初に拳銃を見せておきながら、最後まで何にも使わないのはよくない。
出したものには役割が必要だという。
それなら、同じく物語に出てきた医者は、すべて犯人でなければならないと言っても過言ではない。
医者を出した。
死体を調べさせた。
薬の話をさせた。
犯行時刻を説明させた。
そこまでしておいて犯人でなければ、何のために出てきたのか分からない。
ただ死んでいることを確認するだけなら、誰でもよい。
動かない。
冷たい。
返事をしない。
それくらいなら家政婦にも分かる。
わざわざ医者を出したということは、あとで重要な役割がある。
つまり犯人である。
シジミの考えは、実に筋が通っていた。
◆ 猫じゃらしの後ろを見る
うちの人間は、まだ別の者を疑っている。
「この隣人が怪しい気がする」
隣人は、事件の前日に死んだ人間と口論していた。
だが、その口論を何人も見ている。
犯人になる者が、人前で大声を出して恨みを知らせるだろうか。
それでは、事件が起きたとき真っ先に疑われる。
人間は怒ると周囲が見えなくなるため、本当にする可能性はある。
しかし、推理小説では怪しすぎる者は犯人ではない。
怪しまれるために置かれているだけである。
猫じゃらしと同じだ。
人間が目の前で動かしている毛の先だけを追ってはいけない。
それを動かしている手を見る。
毛が右へ行けば、猫の目も右へ動くと人間は思っている。
だが、本当に捕まえるべきなのは人間の手である。
物語も同じだ。
作者が怪しい者を目の前で動かしている。
読んでいる人間は、それを追いかける。
シジミは、その後ろにいる医者を見る。
猫は先を読む。
◆ 事件の途中で休憩
うちの人間は一度本を閉じた。
「ちょっと休憩」
ようやく正しい判断をした。
長く同じ姿勢でいたため、肩が固まったらしい。
両腕を上へ伸ばし、背中を反らす。
まとめていた髪が少し崩れ、細い髪が頬へ落ちた。
うちの人間は台所へ向かい、温かい飲み物と菓子を持って戻ってきた。
事件の途中である。
犯人がまだ分かっていないのに、菓子を食べるらしい。
本の中では人間が死んでいる。
だが、読む側の人間は甘いものを食べる。
人間は物語と自分の生活を分けるのが上手である。
怖い話を読みながら菓子を食べる。
悲しい話を読みながら飲み物を飲む。
誰かが追われている途中で、本を閉じて風呂へ入る。
紙の中の人間は大変そうだが、読んでいる人間の都合が優先される。
うちの人間は菓子を一つ食べると、また本を開いた。
「今日中に犯人まで読みたい」
犯人は医者である。
もう読み終えてもよい。
だが、うちの人間は答えだけでは納得しないのだろう。
なぜ殺したのか。
どうやって部屋へ入ったのか。
どのように時刻をごまかしたのか。
そのような細かなことを知りたがる。
人間は結論だけでは満足できない。
過程を知りたがる。
一方で、猫の行動については過程を考えず、
「気まぐれ」
で済ませる。
自分たちの物語だけ、ずいぶん丁寧に扱う。
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/humans-foolish-top




