(一)自分の中の二人
◆ 自分へのご褒美
うちの人間は、ときどき自分へ褒美を与える。
誰かに褒められたわけではない。
何かの勝負に勝ったわけでもない。
決められた仕事を終えただけである。
それでも、うちの人間は帰宅するなり、買い物袋をテーブルへ置いて言った。
「今日は頑張ったから、自分へのご褒美」
袋の中には、小さな箱が入っていた。
箱を開けると、甘い匂いが広がる。
丸い菓子である。
表面には白いものが塗られ、その上へ赤い実が載っていた。
見た目にはずいぶん手をかけている。
だが、食べればなくなる。
シジミは長椅子の上から、その様子を見ていた。
うちの人間は上着を脱ぎ、栗色の髪を後ろでまとめると、柔らかな部屋着へ着替えた。
それから、温かい飲み物を用意し、菓子を皿へ移す。
仕事から帰ったばかりで疲れているはずなのに、こういうときだけ動きが早い。
普段なら、
「もう動けない」
と言いながら長椅子へ倒れ込む。
食事を作るのも面倒がる。
シジミの皿を出すよう伝えても、
「ちょっと待って」
と返す。
だが、ご褒美を食べるためなら、服を着替え、湯を沸かし、皿まで用意する。
動けないのではない。
動きたいことにしか動かないのである。
◆ 最初から最後まで自分
うちの人間は長椅子へ座り、菓子を前にして満足そうに息を吐いた。
「今日の私、ほんとに偉かった」
自分で買ってきた。
自分で皿へ載せた。
そして、自分で自分を褒めている。
褒美というものは、本来、何かを成し遂げた者へ、別の者が与えるものではないだろうか。
少なくとも、猫の世界ではそうである。
人間の言うとおりに手を出した。
決められた場所で爪を研いだ。
病院で暴れなかった。
そういうとき、人間が食べ物を出す。
シジミが欲しいと言ったわけではない。
人間が勝手に、よくできましたと判断して渡す。
それが褒美である。
ところが、うちの人間の場合は違う。
自分で頑張ったと決める。
自分で褒める。
自分で欲しいものを選ぶ。
自分の持っている紙や数字を渡して買う。
自分で持ち帰る。
そして自分で食べる。
最初から最後まで、うちの人間しかいない。
それは褒美なのだろうか。
単に、欲しいものを手に入れただけではないだろうか。
シジミは菓子へ鼻を向けた。
甘い。
猫が食べるものではなさそうだ。
興味はない。
だが、うちの人間がなぜわざわざ「ご褒美」と呼ぶのかは気になった。
欲しかったから買った。
食べたかったから食べる。
それで十分なはずである。
猫は日なたで眠りたいとき、
「今日は庭を見張った自分へのご褒美として、日なたで眠ろう」
などとは考えない。
眠りたいから眠る。
高い場所へ行きたいから跳ぶ。
食事が欲しいから鳴く。
自分の欲求へ、別の名前をつける必要はない。
◆ 自分の中の二人
うちの人間は小さな道具で菓子を切り、口へ運んだ。
目を細める。
「おいしい。頑張ってよかった」
菓子を食べることと、今日頑張ったことに、どのようなつながりがあるのだろう。
頑張らなければ食べてはいけなかったのか。
欲しいだけでは、買ってはいけなかったのか。
シジミは、うちの人間を見つめた。
人間には、欲しいものを欲しいと言うことへの抵抗があるらしい。
甘いものが食べたい。
新しい服が欲しい。
どこかへ遊びに行きたい。
何もせず休みたい。
それだけでは、自分を納得させられない。
だから、頑張ったという理由を先につける。
自分へのご褒美。
そう言い換えれば、欲しいものを手に入れても許される。
誰に許してもらうのかは分からない。
買うのはうちの人間である。
食べるのもうちの人間である。
困るとすれば、あとで紙や数字が減るうちの人間だけだ。
それなのに、自分で自分へ許可を出すため、褒美という言葉を使う。
人間は、自分の中に許可を出す者と許可を求める者の二人を飼っているのだろうか。
一人は、
「欲しい」
と言う。
もう一人は、
「無駄遣いではないか」
と言う。
そこで最初の一人が、
「これはご褒美だから」
と説明する。
もう一人が、
「それなら仕方がない」
と許す。
同じ頭の中で、ずいぶん面倒な話し合いをしている。
猫なら、欲しいか、欲しくないか。
必要か、必要でないか。
届くか、届かないか。
判断することはそれだけである。
人間は、自分の欲求へ理由をつけなければ動けないらしい。
◆ 今月頑張ったから
その数日後、うちの人間は光る板を見ながら、また同じ言葉を口にした。
「これ、今月頑張った自分へのご褒美に買おうかな」
画面には鞄が映っていた。
家には、すでにいくつも鞄がある。
大きなもの。
小さなもの。
肩へかけるもの。
手で持つもの。
外へ働きに行くときのもの。
近くへ買い物に行くときのもの。
あまり使っていないものまで、棚の中に並んでいる。
それでも、新しいものが必要らしい。
※第14話「自分へのご褒美」は全三回です。
続きます。
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