(一)吾輩ではない
◆ 貝ではない
吾輩は猫である。名前はまだない。
――ということはなく、シジミという名前がついている。
うちの人間がつけた。
シジミがまだ小さかったころ、黒い毛が貝殻のように見えたかららしい。
シジミは本物のシジミを見たことがある。
うちの人間が味噌汁を飲んでいたとき、椀の底に黒くて小さなものが沈んでいた。
あれに似ていると言われるのは、正直なところ納得できない。
シジミは歩く。
跳ぶ。
鳴く。
眠る。
日なたへ移動する。
一方、味噌汁の中のシジミは、椀の底で口を開けているだけだった。
共通しているのは、黒いということくらいである。
人間は、色が似ているだけで同じ名前をつける。
白ければユキ。
黒ければクロ。
茶色ければチャチャ。
少し模様が入っていればミケ。
猫の顔つきも、体格も、歩き方も見ずに、毛の色だけで名前を決める。
人間同士には、髪が黒いからクロ、などとつけない。
自分たちのこととなると、急に慎重になるらしい。
それでも、シジミという名前は嫌いではない。
うちの人間が、
「シジミ」
と呼べば、自分のことだと分かる。
食事の前に呼ばれることが多い。
たまに病院へ連れていかれる前にも呼ばれるため、名前を呼ばれたからといって、すぐに近づくのは危険である。
重要なのは声の高さだ。
食事のときは、少し明るい。
病院のときは、妙に優しい。
悪いことを隠そうとしている人間の声は、いつもより甘くなる。
あれで騙せていると思っているのだから、おもしろい。
◆ 吾輩ではない
シジミとうちの人間が暮らしているのは、日本のどこかにある一軒家だ。
都会ではなく、少し田舎寄りの住宅地の端に建っている。
住宅地が途切れるその先には、雑木林が広がっている。
家は、その雑木林と隣り合っていた。
その日、うちの人間は長椅子に座って本を読んでいた。
薄い色の上着を羽織り、肩まである髪を片側へ流している。
シジミは、その隣で丸くなっていた。
本というものは、不思議な道具である。
薄い紙を何枚も重ね、その一枚一枚に黒い模様が並んでいる。
人間はそれを長いあいだ眺める。
絵が動くわけでもない。
音が出るわけでもない。
匂いもほとんど変わらない。
それなのに、笑ったり、考え込んだり、ときには泣いたりする。
猫には見えない何かが、紙の上で起きているらしい。
人間は想像力が豊かなのかもしれない。
あるいは、何もないところから勝手に意味を作り出しているだけかもしれない。
うちの人間が、本の最初の一文を声に出した。
「吾輩は猫である。名前はまだない」
シジミは片方の耳を動かした。
ずいぶん有名な言葉らしい。
うちの人間は、ときどき同じ一文を口にする。
猫を見ると、
「吾輩は猫である」
と言いたくなるらしい。
近所の子供も、シジミを見ながら言ったことがある。
「わがはいは、ねこである!」
その子は猫ではない。
人間である。
自分で人間だと知っているはずなのに、猫であると宣言していた。
意味が分からない。
そもそも、猫の一人称が吾輩だと、誰が決めたのだろう。
シジミは、自分のことを吾輩などと呼んだことはない。
猫語の一人称は、あえて人間の言葉へ直すなら、私に近い。
もっと正確に言えば、自分を示すための気配のようなものだ。
声の調子や、尻尾の動きや、目線の向きによって意味が変わる。
猫は人間のように、何度も自分を指す言葉を入れなくても話が通じる。
「私はお腹が空いた」
「私は外へ出たい」
「私はそこに座りたい」
人間の言葉は、ずいぶん私が多い。
自分のことを何度も言わなければ、誰の話をしているのか分からなくなるらしい。
猫なら皿の前に立てば、お腹が空いたと分かる。
扉の前に立てば、外へ出たいと分かる。
座りたい場所に人間がいれば、じっと見ればよい。
分からなければ、鳴く。
それでも分からなければ、前足で触る。
それでも動かなければ、上に乗る。
言葉だけに頼らず、伝わるまで方法を変える。
猫は柔軟である。
ところが人間は、猫が言葉を話さないと思っている。
自分たちの言葉を使わないだけで、何も話していないことにする。
そのうえで、猫の代わりに勝手な言葉をつける。
猫なら吾輩。
犬なら僕。
小さな動物なら、なぜか語尾が幼くなる。
人間は動物の声が分からないくせに、話し方だけは決めたがる。
※第1話「名前はもうある」は全三回です。
続きます。
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