第7話 謎の組織の跡
「なあ、婿よ、実はな……お前に少し頼みがあるのだ」
俺の胸にその豊かな双丘を押し当て、至近距離から熱い視線を送っていたハーミルが、ふっと耳を伏せて真剣な表情になった。
獅子の尻尾が、心なしか不安げに左右へ揺れている。
「頼み? レオパルド部族の姫君が、ゴブリンの俺にか」
「ああ。……実は、かつてこの森で栄華を誇っていた我が獣人族に、今、未曾有の危機が訪れている。ここ数日の間、各地の集落が次々と襲撃され、壊滅的な被害が出ているのだ」
ハーミルの言葉に、俺の隣で剣を構えていたシルヴィが眉をひそめた。
「被害……? 獣人族の集落を落とすとなれば、相応の軍勢のはず。まさか、北の『魔王軍』が動いたというのですか?」
「いや、違う」
ハーミルは首を振った。
「魔王軍の仕業なら、奴らの禍々しい瘴気が残るはずだ。だが、襲撃現場に残されていたのは……見たこともない奇妙な『幾何学模様の刻印』と、容赦のない、しかし洗練された破壊の跡だけなのだ。まるで、この世界そのものを『消』しにきているかのような……」
(――幾何学模様の刻印。破壊。世界を消す)
そのキーワードを聞いた瞬間、俺の脳裏に最悪の答えが浮かび上がった。間違いない。魔王軍でも、他のNPC勢力でもない。
この数日の間に動き出した、世界を強制リセットしようとする『運営の防衛システム』、もしくは――その運営の手先として動いている、別の「転生プレイヤー」の仕業だ。
元PKの勇者ジークを俺がハメ殺したことで、世界の因果が狂った。それを修正するために、運営が本格的な「お掃除」を始めたというわけだ。
「……なるほどな。状況は分かった」
俺はハーミルの顎をクイと持ち上げ、その野性的な瞳を見つめ返した。
「ハーミル、その頼み、引き受けよう。俺の目的のためにも、その『新たな勢力』の正体を突き止める必要があるからな」
「おお……! さすがは私の見込んだ男だ! ああ、お前のその冷徹な眼差し、本当にゾクゾクするぞ……!」
ハーミルは頬を赤らめ、嬉しそうに俺の太い首にしがみついてきた。
「ちょ、ちょっと! 離れてくださいって言ってるじゃないですかぁ!」
エルーナが涙目で引き剥がそうとするが、ハーミルは「ふん、これは夫婦のスキンシップだ」とどこ吹く風だ。
「だが」と、俺はハーミルを優しく引き離しながら、言葉を続けた。
「すぐにその敵の拠点に乗り込むわけじゃない。俺たちには、少し準備期間が必要だ」
「準備期間?」
「ああ。俺の見た目はこれだ。人間の街を自由に歩くには、アルテア長から貰った認識阻害の魔法を試す必要がある。それに……この森に、一人『鍛え直さなきゃならない骨』がいてな。一週間だ。一週間を目処に、戦力の底上げと街の散策を行う」
◇◆◇
「いやぁぁぁぁぁ! 死ぬ! 俺もう死んでるけど本当に消滅しちゃうぅぅぅ!!」
翌日。エルフの郷の裏手にある隠し洞窟。
アランの悲鳴が、森の奥深くに木霊していた。
「おーい甘えるなアラン! ほら、右からオーク・ゾンビが崩れてるぞ! 【死体操縦】の魔力パスが途切れてる、集中しろ!」
「無理だって! 同時に3匹動かすだけでも頭が破裂しそうなのに、なんでシードさんは容赦なく突っ込んでくるの!?」
俺は木刀代わりに手にした太い丸太を軽々と振り回し、アランが操るオーク・ゾンビの頭部を正確に叩き割っていた。
一週間の修行期間。俺が真っ先に取り組んだのは、リッチに転生したアランの『地獄特訓』だった。
アランの中身はただの一般プレイヤーだ。レベル5のまま、強力な種族特性に溺れていただけ。
だが、リッチという種族は本来、エデクロにおいて『最強のネクロマンサー(死霊術師)』になれるポテンシャルを秘めている。
「アラン、お前のクラスはただの愚痴り魔じゃない。前世で『死霊王アッシュ』ってボスが使ってた【マルチ・タスク・コントロール】の理論を思い出せ。お前自身の目で見るな、操っているゾンビの『視界』をジャックして、自分の手足のように動かすんだよ!」
「いやいや知らねーってぇ!そんな廃人プレイヤーみたいな動き、エンジョイ勢の俺にできるわけ――」
「できなきゃ、これから戦う奴らに骨の粉にされて終わりだぞ。お前、せっかく転生したのに、ここでデータ消去されたいのか?」
「……っ! クソがぁぁぁ! やってやるよ! 【死体リンク・感覚同調】!!」
アランの眼窩の鬼火が、一瞬だけ青から「烈火の赤」へと変わった。
その瞬間、ぐらついていたオーク・ゾンビたちの動きが、目に見えて鋭くなった。一匹が俺の丸太を受け止め、残りの二匹が左右から挟み込むように俺の死角へ回り込む。
「……ほう。やればできるじゃねえか」
俺はニヤリと笑い、丸太を投げ捨てて【混沌魔法:ディザスター・ボルト】を極小出力で放ち、ゾンビたちを弾き飛ばした。
「ガハッ……! 10秒が限界……でも、今、何か掴んだ気がする……!」
地面に倒れ伏すアラン。その脳内には、今までにないシステムメッセージが響いているはずだ。
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隠し適性を解放。
スキル【死体並列思考(Lv1)】を獲得しました。
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「よし、今の感覚を忘れるな。一週間で、最低でも20匹のアンデッドを軍隊として動かせるようにしてもらうからな」
「シードさん……あんた、前世で絶対どっかのガチギルドの鬼教官だったろ……」
アランはカタカタと震えながらも、その瞳には確かな『戦士の自覚』が芽生え始めていた。
◇◆◇
特訓の合間、俺はシルヴィ、エルーナ、そしてハーミルを伴って、森の境界線を越え、人間族の辺境都市『グランバレー』の周辺へと足を運んでいた。
「シード様、本当に大丈夫なのですか……?」
シルヴィが、いつになく緊張した面持ちで俺の顔を覗き込む。
「ああ、長から貰ったスクロールの効果を試す。……【認識阻害・幻影付与】」
スクロールを破り捨てると、古代の魔導式が俺の巨体を包み込んだ。緑色の皮膚、尖った耳、そして禍々しいゴブリンエリートの姿が、光の屈折によって、みるみるうちに『身の丈2メートルを超える、浅黒い肌の厳つい人間の大剣士』へと書き換えられていく。
「わぁ……! シード様、すっごく強そうな人間の冒険者に見えます!」
エルーナが目を輝かせる。
「ふん、中身がお前なら、人間の姿だろうが魔物だろうが私は構わんぞ。むしろ、そのガッシリした体つき……人間の姿でも抱き心地が良さそうだ」
ハーミルが俺の腕に絡みついてくる。人間の姿になっても、彼女の溺愛っぷりは変わらない。
「行くぞ。街の散策だ。物資の調達と、何より『情報の収集』を行う」
俺たちはグランバレーの巨大な石造りの正門をくぐった。門番の兵士たちは、俺の【認識阻害】によって、ただの「凄腕の傭兵とその連れ」としか認識せず、あっさりと通してくれた。
街の中は、活気に溢れていた。
露店からは美味そうな肉の焼ける匂いが漂い、多くの人間や冒険者たちが行き交っている。
だが、俺の『ゲーマーとしての目』は、その活気の中に潜む「圧倒的な違和感」を、見逃さなかった。
(……おかしい。NPCたちの会話のレベルじゃない)
「おい聞いたか? 東の街道に、初期レベルじゃ絶対勝てないバグモンスターが出たらしいぜ」
「マジかよ、早く修正パッチ当てろよ糞運営……。っていうか、俺たちいつになったらログアウトできるんだ?」
酒場の片隅で、そんな会話をヒソヒソと交わしている若者グループがいる。
掲示板の前では、「おい、前世のノリでギルド作ろうぜ」と話している男たちがいる。
(ここにもいる……。数万人の転生プレイヤーたちが、この街にも相当数、紛れ込んで紛糾してるんだ)
彼らはまだ、お互いが転生者だと気づいていないか、あるいは小規模なコミュニティを作って様子見をしている段階だ。
だが、このまま『運営の防衛システム』が本格始動すれば、彼らもただの「イレギュラーデータ」として消去される運命にある。
「シード様、あちらの路地裏……何か、妙な魔力の残滓があります」
シルヴィが俺の耳元で静かに囁いた。
俺は人間の傭兵の姿のまま、路地裏の暗がりに足を踏み入れた。
そこにあったのは、ゴミ箱の裏の壁に、ナイフか何かで深く刻まれた――『正三角形と円が組み合わさった、幾何学模様の刻印』。
「ハーミル、これか?」
「……っ! ああ、間違いない! 我が獣人族の集落を滅ぼした奴らが残していった、あの不気味な刻印だ!」
ハーミルが鋭い牙を剥き出しにして、低く唸った。すでに、運営の魔の手は人間の街のすぐ足元まで迫っている。
一週間の修行を終えた時、最初の戦いが始まる。俺は刻印をじっと睨みつけながら、拳を強く握りしめた。




