第5話 転生プレイヤーとの邂逅
エルフの郷の中央に鎮座する世界樹の苗木。
その葉がサラサラと音を立てて揺れる中、老長アルテアは深く重い息を吐き出し、翡翠の杖を強く握り直した。
その目は、もはや目の前に立つ巨体を「ただのゴブリン」としては見ていなかった。
光と闇の二重螺旋――世界構築の理すら超越した『混沌の魔力』を宿した、未知なる英雄への畏怖と期待。
それが、老長の琥珀色の瞳に宿っていた。
「シード殿。貴殿のその魔力の『筋』、そして世界を裏から操る“運営”とやらに立ち向かう意志……。しかと見届けた。我が一族の法、そして原初の盟約に基づき、貴殿の歩む道を可能な限り支援することを約束しよう」
「感謝する、アルテア長。話のわかる長で助かる」
俺――シードは、ゴブリンエリートの屈強な腕を組み、不敵に笑った。
言葉が通じるだけでなく、最古の知的種族であるエルフの協力を取り付けられたのはデカい。この世界で孤立無援のまま進むのは、どれだけゲーム知識があっても限界があるからだ。
だが、アルテアはそこで話を終わらせなかった。彼は白い髭を静かに撫でながら、俺の背後に控えていたエルフの戦士たちへと視線を向けた。
「そこでじゃ、シード殿。貴殿がこれからこの始まりの森を出て、広大な世界へと旅立つのであれば……我が郷から、二人の同胞を供として連れて行ってはくれんじゃろうか」
「供を?」
俺が眉をひそめると、アルテアはまず、一人の若い女エルフを杖で指し示した。
「まずは、我が孫娘でもあるエルーナじゃ。この子はまだ若く、未熟ではあるが、精霊との対話能力に関しては郷でも随一の才を持っておる。貴殿の掲げる大義、そしてその清らかな魔力にこれほど懐いておるのじゃ。貴殿の旅の、必ずや良き『目』となり『耳』となるじゃろう」
「わぁっ! おじい様、本当!? 私、シード様と一緒に行っていいの!?」
エルーナが長い耳をピンと立たせて、飛び跳ねんばかりに喜んだ。すぐさま俺の横に駆け寄ってきて、緑色の太い腕をぎゅっと抱きしめる。
「シード様、よろしくお願いしますね! 私、絶対に足手まといにはなりませんから!」
「おいおい、エルーナ。少し落ち着け……」
ゴブリンの肉体は頑丈だが、エルフの美少女にこれほど無防備に密着されると、前世が健全な人間の男だった俺としては少々目のやり場に困る。
「そして、もう一人――」
アルテアの視線が、鋭い緊張感を伴って移動した。そこにいたのは、先ほど森の境界線で俺を包囲し、冷酷に弓隊へ指示を出していた銀髪の戦士だった。
彼は一歩前に出ると、俺の前で背筋を伸ばし、胸に手を当てて深く一礼した。
「我が郷が誇る、エルフ一の戦士――シルヴィじゃ。実戦経験、剣技、そして弓術において、彼以上の者はこの郷にはおらん。シード殿、貴殿の力は強大じゃが、魔物としての姿は人間の街では目立ちすぎる。シルヴィの隠密術と戦闘能力があれば、貴殿の『盾』となり『矛』となるはずじゃ」
銀髪の美形エルフ、シルヴィ。
彼は最初、俺を「醜悪な魔物」として殺そうとしていた。だが、俺が『原初の誓い』を口にし、さらに長をも凌駕する魔力の片鱗を見せたことで、そのプライドは完全に上書きされたらしい。
シルヴィは引き締まった顔を上げ、真摯な目で俺を見つめた。
「シード様。先ほどは、貴殿の正体を見抜けず、無礼な刃を向けてしまったこと、深くお詫び申し上げます。長の命に依らずとも、私は貴殿の器に惚れ込みました。このシルヴィの細剣と弓、これからは貴殿の御心のために捧げます。どうか、お連れください」
(……。エルフ一の戦士、か)
俺に跪くシルヴィを見下ろした。
エデクロの知識が頭を巡る。エルフの隠れ郷のトップ戦士といえば、ゲーム内では中盤以降のボス戦でも十分に通用するAランク級のNPCステータスを持っているはずだ。
レベルは30前後といったところか。
そんな手練れが、最初から仲間になってくれるというのは、破格の条件だった。
「いいだろう。シルヴィ、エルーナ。お前たちの同行を許可する。俺の旅は、世界の運命そのものを敵に回す戦いだ。途中で泣き言を言っても、置いていくからな」
「望むところです。シード様の後ろ姿に、遅れをとるつもりはありません」
シルヴィが凛とした声で応じる。
「むー、シード様、私は泣き虫じゃありません!」
エルーナがぷくーと頬を膨らませる。
こうして、俺、シルヴィ、エルーナという、およそ前世のゲームバランスでは考えられない「ゴブリンエリートとエルフの精鋭」という異色のパーティーが結成された。
アルテア長は満足そうに頷き、最後に俺へ一本の古びた巻物を差し出してきた。
「これは我が郷に伝わる、認識阻害の古代魔法が込められたスクロールじゃ。これを使えば、人間の街に入る際、貴殿の姿を『大柄な人間の傭兵』に見せかけることができるじゃろう。いざという時に使うが良い。……シード殿、世界に、大いなる変革の種を」
「ああ、預かっておく。行ってくる、長」
俺はスクロールを受け取り、背中の【輝きの聖剣】を確かめると、踵を返した。
糞運営に復讐するための旅が、本当の意味で始まったのだ。
◇◆◇
郷を出た俺たちは、さらに『始まりの森』を深く進んでいた。目指すは、この森を抜けた先にある人間族の辺境都市『グランバレー』。
かつてゲーム内でプレイヤーたちが最初の拠点としていた、始まりの街だ。
ザッ、ザッ、と草を踏み分ける音が静かな森に響く。先頭を行くのは、エルフ一の敏捷性を誇るシルヴィだ。
彼は細剣の柄に手をかけながら、周囲のわずかな気配の変化も見逃さないよう、鋭い視線を巡らせている。
「シード様、少し妙です」
シルヴィがピタリと足を止め、右手を挙げて俺たちを制した。
「妙? 何がだ?」
「森の精霊たちの声が、ひどく怯えています。まるで……この先に、あるはずのない『異物』が存在しているかのように」
すぐ後ろにいたエルーナも、目を閉じて周囲の空気を探るようにマナを感じ取っていたが、ハッと目を開けて俺の服の裾を引っ張った。
「シード様、シルヴィの言う通りです……! いつもの森の魔物の匂いじゃありません。何だか、すっごく生臭くて、冷たい……死体みたいな、気配がします」
(死体……? ゾンビやスケルトンなどの、アンデッド系か?)
エデクロの初期ステージでは、始まりの森の南西部にアンデッドが大量発生するイベントは存在しない。あそこは低レベルのオークやゴブリン、ワイルドボアの生息地のはずだ。
「……いや、待てよ」
俺の脳裏に、この世界に転生してきた「プレイヤー」という可能性がフラッシュバックした。
すべてがランダム。種族も、生まれた国も、時代も、そして『身分』も。
トッププレイヤーがスライムになることもあれば、初心者が王子になることもある。そしてその中には当然――『アンデッド』や『魔王軍』といった、本来なら人道から外れた種族に転生してしまったプレイヤーもいるはずだ。
「おい、二人とも。武器を構えろ。警戒を怠るな」
「はっ!」
「うん……!」
シルヴィが細剣を抜き、エルーナが小柄な魔導杖を構える。俺も腰から、あのジークから奪い取った【輝きの聖剣】を抜いた。
本来ならゴブリンが持てばその聖なる光で火傷を負うはずの代物だが、俺の【混沌魔法】と【強奪】スキルの影響か、剣は俺の手の中で大人しく、しかし禍々しいほどの黄金の輝きを放っている。
木々の隙間を抜け、少し開けた平原に出た瞬間、俺たちの目に異常な光景が飛び込んできた。
「グルァァァッ!」
「ギギ、ギギギ!」
そこにいたのは、数十匹のオークの群れ……だったもの。それらはすでに命を失っており、身体のあちこちが腐敗し、骨が露出している。
にもかかわらず、その濁った瞳に赤い鬼火を灯し、生きているかのように不気味に蠢いていた。
『オーク・ゾンビ』。
そして、そのアンデッドの群れの中央に、一人の『異質な存在』が立っていた。
全身をボロボロの黒いローブで包み、手には禍々しいドクロの杖を持った、骨だけの存在――【リッチ(上位不死族)】。
そのリッチは、周囲のオーク・ゾンビたちを指揮しながら、何やらぶつぶつと独り言を呟いていた。その言葉が、森の風に乗って俺の『夜視』と強化された聴覚に届いた時、俺は思わず目を見開いた。
「クソ……何だよこれ。なんで俺がリッチなんだよ……。せめて可愛いエルフとか、かっこいい人間の魔法使いが良かったろ……。ログインしたままサービス終了を迎えただけなのに、気づいたら骨って、どんな無理ゲーだよ……。しかも初期スキルが『死体操縦』と『愚痴』って、嫌がらせかよ糞運営……!」
(――プレイヤーだ!!)
俺の心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。間違いない。あいつはNPCじゃない。
「ログインしたままサービス終了を迎えた」
「糞運営」――完璧に、前世の記憶を持った『転生プレイヤー』の発言だ。
「シード様、あれは……上位の不死族です! なぜこんな始まりの森に、あのような高位の魔物が!?」
シルヴィが剣を構え、いつでも突撃できる体勢をとる。
「待て、シルヴィ。手を出すな」
俺は手でシルヴィを制した。
「しかし、シード様! 放っておけば、あの不死族の群れが郷や人間の街を襲う危険が――」
「あいつの言葉を聞け。あいつは、戦いたくて戦っているんじゃない。……混乱しているだけだ」
俺は聖剣を構えたまま、ゆっくりと、しかし圧倒的な存在感を放ちながら、リッチの前に歩み出た。
ザッ、と草を踏みしめる音に気づき、黒ローブのリッチがガタガタと骨の首を回してこちらを振り向いた。
「ひえっ!? ご、ゴブリン……!? いや、デカいな! 待て待て、新手のボスか何かか!?」
怯えるリッチ。やはり、見た目は高位の魔物でも、中身は転生したばかりの、まだ戦いにも慣れていない一般のプレイヤーだ。
俺はゴブリンの醜悪な顔に、しかし最高にフランクな笑みを浮かべ、人間の言葉で、彼に向かって言い放った。
「おい、そこの骨。……お前、どこのサーバーの所属だった?」
「え……?」
リッチの顎の骨が、呆然としたようにガクリと下がった。その眼窩に灯る赤い鬼火が、激しく動揺するように揺らめいている。
「さ、鯖……? お前、今、なんて……?」
「エデン・クロニクル、第三サーバー『ヴァルハラ』。それが俺のいた場所だ。お前も、あの“サービス終了”の日に、あの場所にいただろ?」
沈黙が、森を支配した。
エルフのシルヴィとエルーナは、俺たちが何を話しているのか全く理解できず、ただただ唖然としている。
そして目の前のリッチは、骨の手で頭を抱え、まるで信じられない奇跡に遭遇したかのように、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「プレイヤー……。マジかよ、俺以外の人間も、このクソゲーに転生してたのかよ……!!」
数万人におよぶ『転生プレイヤー』。
その最初の一人との邂逅が、この始まりの森の深部で、静かに果たされた瞬間だった。




