第4話 エルフの長との対話
エルフの隠れ郷――それは、幾重もの幻術と強力な結界に守られた、森の最深部にある神秘の領域だった。
大樹の幹をくり抜いて作られた美しい家々が並び、空中を淡い光を放つ精霊たちが舞っている。
本来なら、ゴブリンのような醜悪な魔物が一歩でも足を踏み入れれば、郷全体の防衛システムが作動して一瞬で塵に還される場所だ。
しかし今、俺――ゴブリンエリートへと進化した「シード」は、エルフの戦士たちに前後を挟まれながら、その聖域を堂々と歩いていた。
「すごいです、シード様! 結界のパルスが、シード様に全然反発していません!」
すぐ横を歩くエルフの少女、エルーナが、長い耳をパタパタと揺らしながら興奮気味に声をかけてくる。
彼女は俺の屈強な緑色の腕に、まるで毛布にでも触るかのように自然に寄り添っていた。
「エルーナ、静かにせよ。シード様に対して馴れ馴れしいぞ」
前を歩く銀髪の隊長が厳しくたしなめるが、エルーナは「えー」と不満げに唇を尖らせるだけだ。
俺は周囲の視線を肌で感じていた。木々の上や窓から、多くのエルフたちが怯えと驚愕の入り混じった目で俺を見下ろしている。それはそうだ。
彼らの常識において、ゴブリンとは知性の欠片もない獣。それが、自分たちの始祖の盟約を口にし、堂々と二足歩行で歩いているのだから。
(ふん……視線が痛いな。)
俺たちは郷の中央にそびえ立つ、ひときわ巨大な大樹――『世界樹の苗木』の根本にある、厳かな祭壇へと案内された。
そこに、一人の老エルフが待っていた。
白銀の長い髭を蓄え、手には翡翠の杖を握っている。衣服は植物の繊維で織られた最高級の魔導衣。
その身から溢れ出る圧倒的なプレッシャーだけで、彼がただ者ではないことが分かった。レベルはおそらく50を優に超えている。
「ようこそ、小鬼の異端児よ。私がこの郷の長、アルテアである」
老長の声は、洞窟の奥底から響くように重々しかった。
◇◆◇
老長アルテアは、鋭い琥珀色の瞳で俺をじっと凝視した。その視線は、俺の皮膚の奥、魂の形まで見透かそうとしているかのようだった。
「……信じられぬな。隊長から報告は受けた。『アル・カンティア・フェル・ノヴァ』……その原初の誓いを、まさか生じたばかりのゴブリンエリートが口にするとは。貴殿の存在自体が、この世界の理に対する冒涜のようじゃ」
(いい線をいってるよ、長)
俺は心の中で不敵に笑った。この世界が「運営」によって管理されたゲームの世界であるなら、俺という存在は確かにイレギュラーなバグそのものだ。
「長よ。俺を疑うのは当然だ。だが、俺がその言葉を知っているという事実、そして俺がこうして理性を持ち、お前たちと対話しているという現実を、どう解釈する?」
俺は一歩前に出た。腰に帯びた【輝きの聖剣】が、かすかに共鳴するように光を放つ。それを見たアルテアの目が、一瞬だけ大きく見開かれた。
「その剣……『光の女神』の祝福を受けし聖遺物ではないか。なぜそれを、魔物である貴殿が持っている?」
「俺を襲った偽り勇者を返り討ちにして、奪い取った。あいつらは、世界を救うために戦っているんじゃない。ただの利己的な欲望と、上層の『運営』の操り人形に過ぎない。俺は、そのシステムそのものをぶち壊すために動いている」
俺の言葉に、アルテアは少しの間、沈黙した。髭を撫でながら、何かを激しく勘繰るような深い思考の海に沈んでいく。
「……なるほど。貴殿の背後に、ある種の『大いなる意志』の介在を感じるの。あるいは、我ら一族が古に失った、原初の『神々の系譜』か。ゴブリンの肉体でありながら、その魂はあまりにも異質……。だが、誓いを口にした者を害せぬのが我が一族の法。貴殿の滞在を認めよう」
アルテアはひとまず、俺を敵とみなすことを放棄した。しかし、その目はまだ完全に俺を信頼したわけではない。当然だ。長としての責任がある。
「ただし、シード殿。貴殿が本当に世界を変革する『種子』であるならば、相応の『力』を示してもらわねばならん。いくらその肉体が強靭で、聖剣を持っていようとも、世界の構造を揺るがすには、物質的な力だけでは足りぬのだ」
アルテアはそう言うと、手にした翡翠の杖を地面にコツンと打ち鳴らした。すると、彼の手のひらの上に、テニスボールほどの大きさの、透明な『魔力結晶の球体』が浮かび上がった。
「これは、術者の魔力特性を測る魔導具じゃ。シード殿、これに手を触れてみよ。貴殿がただの『少し知恵の回る魔物』なのか、それとも真に世界に選ばれた異能なのか……見極めさせてもらう」
「いいだろう」
俺はためらうことなく歩み寄り、その透明な球体に右手をかざした。現在の俺のステータスでは、魔力値は進化によって少し上がったとはいえ、せいぜい『5』か『6』程度のはずだ。
エデクロの仕様通りなら、ゴブリン種が魔法を扱うのは至難の業。魔法特性など、ほとんど出ないはずだった。
だが、球体に手のひらが触れた、その瞬間――。
ズ、ズズズ……!
周囲の大気が、にわかに鳴動を始めた。
「な、何だ……!? 結界のマナが、シード様に吸い寄せられていく……!?」
隊長が驚愕の声を上げる。
俺の体内に、前世では『データ』としてしか認識していなかった『魔力の奔流』が、熱い血液のように激しく流れ込んできた。
視界の端に、システムメッセージが高速で明滅する。
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固有スキル【強奪(Lv1)】がパッシブ発動中。
周囲の環境マナ、および『勇者ジーク』から奪った潜在魔力を同調させます。
──隠された適性を解放します。
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パキィィィン! と心地よい金属音が脳内に響く。
透明だった球体が、突如として漆黒の闇と、鮮烈な黄金の光の二色に染まり、激しく明滅し始めた。光と闇。相反する二つの属性が、球体の中で完璧な螺旋を描きながら渦巻いている。
「な、なんという……!?」
老長アルテアが、驚愕のあまり持っていた杖を落としそうになった。その顔には、先ほどまでの冷静さは微塵もない。
「光と闇の二重螺旋……! それだけではない、この魔力の『質』は何じゃ!? 粗削りでありながら、まるで世界が構築される前の『原初の混沌』の輝きではないか!」
アルテアは震える手で球体を見つめ、それから俺の顔を凝視した。
「シード殿……貴殿、魔法を使った経験は?」
「いや、一度もない。そもそも、さっきまでただのゴブリンだったからな」
俺が平然と答えると、アルテアは深く息を吐き出し、感嘆の声を漏らした。
「素晴らしい……いや、恐ろしい。貴殿は、魔法の『筋』がかなり良い……という次元を超えておる。肉体の器が魔力の出力に追いついていないだけで、その魂が持つ魔力の回路は、我が一族の最高位の魔導師すら凌駕しておるわ」
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隠し適性を検知しました。
スキル【混沌魔法(Lv1)】を獲得しました。
スキル【魔力操作(Lv1)】を獲得しました。
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魔法系最強の一角である『混沌魔法』。ゲーム内では、膨大な隠しクエストをクリアした一部の廃人プレイヤーしか習得できなかった超希少スキルだ。
それが、勇者ジークの討伐報酬と、エルフの郷の高濃度マナによって、この最弱の肉体の中で開花したのだ。
「シード様、すごいです! すごすぎます!」
エルーナが我慢できなくなったように飛び込んできて、俺の腰のあたりに抱きついた。
「私、こんな綺麗な魔力、おじい様の魔法でも見たことないよ! あなたはやっぱり、悪いゴブリンなんかじゃない! 私たちの、森の英雄様なんだ!」
「エルーナ……」
俺は、自分の胸の中に、前世のゲームプレイでは決して味わえなかった『熱い何か』が湧き上がるのを感じていた。
前世ではただのNPCだったエルフたちが、いま、俺の力を見て心から驚き、期待を寄せている。
「アルテア長。これで、俺がただのゴブリンではないことは証明できたはずだ」
俺が告げると、アルテアは深く首を縦に振った。
「うむ。疑ってすまざりき、シード殿。貴殿のその力、そして世界の理を覆さんとする意志……我が一族、微力ながら協力を惜しまぬと誓おう」
老長の目が、確信に満ちたものへと変わる。エルフ族を従える「混沌の種子」へ。
俺のギアは、いま、爆発的に加速し始めた。




