第17話 氷獄の回廊
足を進め、俺らはようやくマールスがいるとされる山脈地帯に突入した。俺らはこのままひたすらに山を登り続けた。
「シード様、これ以上進めば通常の呼吸は困難です。ハイエルフの風魔法……【精霊界の加護】を展開しますよ!」
標高四千メートルを超える「凍てつく天嶺」。酸素は極限まで薄く、叩きつけられる猛吹雪は肌を切り裂く刃のような冷たさを孕んでいる。
セレニアが天杖を天に掲げると、彼女の背後に幾重もの透き通った精霊の翼が顕現した。
彼女が紡ぐ風の魔力は、周囲の凍てついた大気を無理やり循環させ、俺たちの周囲にだけ『温かい擬似酸素のドーム』を作り出す。
これぞハイエルフの奥義。セレニアのサポートがなければ、アランやシルヴィはもちろん、強化された俺ですら、この猛吹雪の中での長期戦はスタミナの減衰を免れなかっただろう。
「セレニア、助かる。シルヴィ、アラン、隊列を崩すな!」
「承知!」
シルヴィが駆け出し、その瞬間に氷壁から襲いかかってきた『アイス・ゴーレム』の頭部を、新調した【ミスリルの魔導弓】で射抜く。
パァンッ! と高らかな音を立てて、魔導弓から放たれた風の矢が、ゴーレムの全身を粉々に砕け散らせた。
以前の弓とは比較にならない速度と威力。シルヴィの敏捷性と合わさり、敵は姿を見るよりも早く、氷の破片となって消滅する。
「へっ、こっちはもっと派手に行かせてもらうぜ!」
アランが【死神の鎌】を大きく振りかぶる。
山肌から這い出した死霊の群れに対し、鎌の刃が黒い残像を描く。
――ザシュッ! という音すらなく、死霊たちは吸い込まれるように消え去った。鎌に付与された『死の概念』が、低レベルのアンデッドを一撃で「存在抹消」しているのだ。
「凄い……。これが『リーズヘルテ』の武具の力か」
俺もまた、ミスリル大剣を振るい、立ちはだかる雪獣の群れを両断した。魔力のロスは皆無。混沌の魔力が刀身を伝ってあふれ出し、大剣が紫の稲妻を纏って舞う。
かつての【輝きの聖剣】では不可能だった、混沌魔法の全出力解放。俺たちは、まさに「リミッターの壊れた戦力」と化していた。
だが、山頂に近づくにつれ、俺たちの本当の試練が牙を剥いた。
猛吹雪を強行突破し、ようやく辿り着いたのは、雲を突き抜けてそびえ立つ、気の遠くなるような数千段の石階段だった。
「やっと……辿り着いたな。あそこがマールスの庵か」
アランが息を切らし(骨の身体でも、過酷な冷気は魔力回路を凍らせる)、遥か彼方に見える小さな庵を指差す。
俺たちは震える足を前に出し、一段、また一段と階段を登り始めた。だが、一千段を越えたあたりで異変が起きた。
「……? シード様、視界が……」
シルヴィが突然、ふらりと足を止めた。俺もまた、強烈な目眩を覚える。目の前が蜃気楼のように激しく揺らぎ始めたのだ。
「【空間転移術式】……いや、これは違う。視覚を誤認させる『幻術』だ!」
俺が警告を発した直後、景色がグニャリと反転した。
――気づけば、俺たちは階段の一段目に立ち尽くしていた。
「な……っ!? 今、確かに一千段は登ったはずなのに!」
「ああーっ! 俺の魔力計測が、この階段の魔力配列を解析できない……! もしかして……空間そのものが、『ループ』してるのか?」
アランが血走った鬼火を激しく明滅させる。二度、三度と登り直してみたが、結果は同じだった。四百段まで登ったところで景色がぼやけ、気がつくと元の場所へ戻されている。
山頂からの吹き下ろしの風はますます強まり、セレニアの展開していた風のドームも、無限ループする空間の歪みに圧迫されて、限界を迎えようとしていた。
「シード様……ごめんなさい。この階段に仕掛けられた術式が強すぎて、私の風魔法も精霊の力も……あっ!」
セレニアのドームがバキリと音を立ててひび割れる。冷気が容赦なく肌を突き刺し、俺たちの全身に凍てつく霜が降り始めた。
──ゴォォォォォォォ……
「……なるほどな。そういうことか」
俺は震える足に力を込め、あえて階段に背を向けて座り込んだ。
「シード様、どうして……!」
「マールスという魔法使いは、ただの偏屈な爺さんじゃねえ。……この階段、俺たちの『魔力』や『力』を頼りに登ろうとすればするほど、ループのループが強くなる仕組みだ。強者であればあるほど、その強さを跳ね返される」
俺のステータスウィンドウが、階段の魔力配列を解析し始めていた。これは罠ではない。この爺さんが、自分のもとへ来る者に課している『知恵と忍耐』のテストだ。
「このまま力任せに登り続けても、俺たちはここで凍え死ぬだけだ。……皆、一度、すべての魔力と防具を解け」
「えっ……この猛吹雪の中で、ですか!?」
「ああ。魔力を纏っているから、空間術式が俺たちを『異物』として認識して追い出すんだ。……これは、生身で、山を登る覚悟を見せろってことだよ」
俺はミスリル大剣を背中から降ろし、魔力を極限まで抑え込んだ。その瞬間、猛吹雪が容赦なく俺たちの肉体を襲う。セレニアの風の加護も消え、極寒が骨の髄まで浸透してくる。
「っ……あ……っ」
アランの骨がカタカタと悲鳴を上げ、シルヴィも青ざめた顔で震えている。だが、俺は一歩一歩、魔力に頼らず、ただ己の筋力と精神力だけで石段を登り始めた。
これは、最強を目指すゴブリンの、最初の試練。偏屈な大魔導師マールスは、高みを目指す者たちを、氷の階段で待っている。
俺たちの視界が、寒さと疲労で再びぼやけ始める。このまま庵に辿り着かなければ、確実に凍死する。俺は朦朧とする意識の中で、死神の鎌を杖代わりにし、ただひたすらに前だけを見て階段を登り続けた。
数千段の地獄の果てに、何が待っているのか。俺たちの挑戦は、今、極限の先へと突き進む。




