第12話 脅威に抗って
「オオオオオアアアァァァッ!!」
渾身の咆哮とともに、俺は左手と右手の両方で握りしめた【輝きの聖剣】を、リルの放った【冥府の門】の渦へと叩きつけた。
光と闇の二重螺旋――【混沌魔法】の魔力を刀身に限界まで上乗せし、システムそのものを強引に書き換えるような一撃。
バリバリバリィィィン!!!
大気が、ガラスが割れるような音を立てて絶叫した。リルの暗黒魔法が内側から爆散し、その凄まじい余波が彼女の華奢な肉体を吹き飛ばす。
リルの冷徹な表情が初めて驚愕に歪み、その背中の黒い炎が霧散していった。
「くっ……! 面白いわ、イレギュラー……! でも、ムル、ここは一旦引くわよ!」
「えー! もっと遊びたかったのにぃ!」
一瞬のうちに人格が切り替わり、ゴスロリの少女「ムル」の無邪気な声が響く。彼女は激しい爆煙に紛れ、紫色の魔力の翼を羽ばたかせて、森の奥へと音もなく消え去っていった。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
敵の気配が完全に消えたことを確認した瞬間、俺の身体から緊張の糸が切れた。
ドサリ、と地面に膝を突く。
全身の筋肉がズタズタに裂け、魔力を極限まで絞り出した反動で、視界が急激に暗転していく。
ゴブリンエリートの強靭な肉体をもってしても、二重人格の怪物リル・ムルとの戦闘は、文字通り命を削るものだった。
「シード様!!」
視界が閉じる直前、涙目で俺に駆け寄ってくるエルーナの姿が見えた。
「【精霊よ、癒しの息吹を……! レイズ・ヒール】!」
彼女の小さな手から、必死に紡ぎ出される緑色の治癒の光。だが、俺の受けた「魔力汚染」の傷は深く、エルーナの全魔力を瞬く間に吸い尽くしていく。
「あ……シード、さま……よかった……」
俺の傷が半分ほど塞がったところで、魔力を完全に使い果たしたエルーナが、力尽きたように俺の胸の上にパタリと倒れ込んだ。
そのまま、俺の意識も深い闇へと沈んでいった。
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「……う、ぐ……」
次に目を覚ました時、鼻を突いたのは腐肉の臭いではなく、清廉な花の香りと、温かいマナの気配だった。
見上げた天井は、見覚えのある巨木をくり抜いた部屋。エルフの隠れ郷だ。
「気がつかれましたか、シード様」
枕元には、包帯を巻いたシルヴィが静かに佇んでいた。彼の細剣は手入れされているが、その表情には隠しきれない疲労と悔しさが滲んでいる。
「俺は……どのくらい眠っていた?」
身体を起こそうとするが、全身に激痛が走り、思わず顔をしかめる。
「丸二日です。エルーナは隣の部屋でまだ眠っています。シード様を救うために、自分の許容量を超える魔力を使い果たしてしまったのです……」
「そうか、エルーナが……」
俺は自分の大きな緑色の手を見つめた。
チュートリアルボスの勇者を殺し、格上の獣人を淘汰して、自分が『最強のゴブリン』にでもなった気でいた。
だが、影王会のたった一人に、これほどの満身創痍に追い込まれ、仲間に命を救われた。
「クソっ……!」
ガツン、と拳をベッドの木枠に叩きつける。
情けない。前世の知識があっても、この肉体の出力が、そして俺自身の『力』が足りなければ、大切な仲間を守ることすらできない。
この弱さでは、運営を名乗る神々に復讐するなど、ただの絵空事だ。
「シード殿。今回は一旦身を引き、戦力を整えるべきじゃな」
部屋の入り口から、翡翠の杖を突いた老長アルテアが入ってきた。その琥珀色の瞳には、俺の焦燥を見抜いたような深い知恵が宿っている。
「身を引くだと? 長、敵の『影王会』はすぐそこまで迫っているんだぞ!」
「分かっておる。だが、今の貴殿ではあの二重の怪物に再び遅れをとる。貴殿の持つ『混沌の魔力』はあまりに強大じゃが、それを制御する術が追いついておるまい。……ならば、治療が終わり次第、森の北西の果てに隠棲する古の魔法使い『マールス』の元を訪ねるが良い」
「マールス……?」
俺の脳内データベースが反応した。
エデクロの裏設定に登場する、人間族でありながら数百年の時を生き、精霊魔法と古代魔術のすべてを極めたとされる伝説の賢者。
ゲーム内では特定の高難易度クエストでのみ立ち会える、超強力なNPCだ。
「彼ならば、貴殿のその異質な魔力の扱い方を、正しく導いてくれるはずじゃ」
「……分かった。治療の終わりを待つ必要はない。すぐに行く」
俺は痛む身体を無理やり引きずり、ベッドから立ち上がった。
包帯の隙間から緑色の血が微かに滲むが、そんなものを気にする余裕は一秒もない。一刻も早く、強くならなければならないのだ。
「待て、シード」
部屋を出ようとした俺の前に、彼女が立ちはだかった。
黄金の獅子耳を少し伏せ、立派な尻尾を小さく揺らしているハーミルだった。彼女もまた、リルの魔法によってあちこちに擦り傷を負っていたが、その目はまっすぐに俺を見つめていた。
「ハーミル……止めるなよ」
「止めはせん。お前が強さを求める捕食者であるならば、その足跡を阻む権利は誰にもない」
ハーミルはゆっくりと歩み寄り、俺のボロボロの胸板に、そっと自分の小さな手を当てた。
いつもなら獰猛にじゃれついてくる彼女が、今はまるで、壊れ物を労うかのような優しい手つきだった。
「だが、心配なのだ。お前は強い。だが、その強さに肉体が追いついていない。……死んでくれるなよ、シード。お前は私の見込んだ、唯一の『婿』なのだからな。必ず、もっと強くなって戻ってこい」
野生の肉食獣の、剥き出しの純粋すぎる愛の籠もった眼差し。
「……ああ。約束する」
俺はハーミルの手を優しく握り返し、聖剣を背負い直して、始まりの森のさらに奥――伝説の魔法使いが待つ地へと、ボロボロの身体で力強く一歩を踏み出した。




