第10話 影王会と魔竜族
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グランバレーの活気ある喧騒の裏、そして始まりの森のさらに外側に広がる、人間もエルフも立ち入らぬ暗黒の渓谷。
そこに、世界のバグを「修正」し、あるいはその混乱に乗じて世界を貪り尽くそうとする、真の歪みが巣食っていた。
「あ、ははははーっ! ほら、もっといい声で鳴けよ! ほら、ほら!」
ひび割れた石造りの地下宮殿に、狂気を孕んだ若い男の笑い声と、鈍い打撃音、そして引き裂かれるような悲鳴が響き渡る。
松明の赤黒い炎に照らされていたのは、血にまみれて床に転がる一人の獣人の青年。
そして、その首に鉄の首輪をはめられ、鎖で繋がれた獣人の少女だった。少女はボロ布を纏い、涙と泥で汚れた顔で、床の青年へと必死に手を伸ばしている。
「お願い……! お願いだから、もうやめて! 兄様を殺さないで……!」
「ダメだよぉ、お前がそんな風に泣くから、俺のスキル【サディズム】の倍率がどんどん上がるんじゃん! ほら、前世じゃこんなことしたら一発でアウトだったけどさぁ、ここじゃオーケーなんだよねぇ!」
青年を容赦なく踏みつけているのは、仕立ての良い軽鎧を着た、人間の細目の男だった。
彼の名は『キリア』。前世では悪質な規約違反を繰り返していた、リアルチート推奨派の悪質プレイヤー。
そしてこの世界では、幸運にも「人間の上位貴族の放蕩息子」という破格の初期身分を引き当てた、最悪の転生者の一人だった。
「キリア、その辺にしておけ。ボスの計画に支障が出る」
暗がりの奥から、低く冷徹な声が響いた。
現れたのは、全身を鉄のフルプレートアーマーで固めた、身の丈2メートル半に達する巨漢。
兜の隙間から覗くのは、人間のそれではない。鈍く赤く光るトカゲのような双眸と、硬質な黒い鱗。
『魔竜族』――人間はおろか、エルフや獣人すら足元にも及ばない圧倒的な肉体性能と魔力を誇る、この世界の原生最強種族の一角。
その魔竜族の戦士『バザル』が、人間のキリアを見下ろしていた。バザルは転生者ではない。
この世界に元から存在する、純然たるNPC――いや、この生きた世界においては「原住民の化け物」だ。
「ちぇー、お堅いねぇ、バザル。いいじゃん、どうせこいつら獣人の集落なんて、近いうちに全部『間引き』するんだからさ。ボスが持ってきた“あのシステム”に従ってさ」
キリアはつまらなそうに髪を掻きむしり、踏みつけていた獣人の兄妹を、ゴミを見るような目で一瞥した。
彼らの所属する組織の名は。
――『影王会』。
世界が「運営」によって何度もリセットされている真実を、リセットを能動的に引き起こして世界の利権を独占しようとする、一癖も二癖もある転生者と、世界の強力な魔物たちが結託した暗黒の互助組織。
その頂点に君臨する『ボス』の正体は、組織の幹部であるキリアや、原生種のバザルすらも正確には知らない。
分かっているのは、そのボスが「運営の防衛システム」と直接リンクし、世界の因果を書き換えるコードを一部握っているという、神にも等しい絶望的な事実だけだった。
「しかし、バザル。始まりの森の『レオパルド部族』だったっけ? あそこの集落をいくつか潰したのは、お前たちの身内だろ? さすが魔竜族、蹂躙っぷりがエグいわ」
キリアがニヤニヤしながら、壁の地図を指差した。そこには、ハーミルの故郷である獣人族のナワバリが、バツ印で無残に塗りつぶされている。
「フン……。あのような獣の群れなど、我ら魔竜の爪牙にかかれば羽虫も同然。ボスの命令は『始まりの森のイレギュラーを炙り出すために、周辺の勢力を削れ』とのことだ。勇者ジークが『試練の洞窟』で消息を絶った。あそこには、ゲームの初期設定にない『何か』が潜んでいる」
バザルが鼻から凄まじい熱波の息を吹き出した。魔王軍の瘴気とは異なる、純粋な暴力としての破壊。
ハーミルが言っていた「破壊の跡」の正体は、この魔竜族の圧倒的な蹂躙と、キリアたち影王会の転生者が持ち込んだゲーム知識による、容赦のない効率的な殲滅作戦のことだったのだ。
「まぁ、ジークが消えたおかげで、運営からのお掃除プログラムの起動も早まりそうだしねー。あ、そういえばさ、グランバレーの街に僕たちの『指先』を何人か潜り込ませて、マーキング(刻印)させといたよ。バグが街に逃げ込んできたら、一発で検知できるように」
キリアが思い出したように笑う。
「その『指先』とやらは、役に立つのか?」
「立つ立つ。前世で初心者だった奴らを『奴隷』の身分から買い取ってさ、ちょっと脅して使ってるだけだから。もし裏切ったら、そいつらの大切な『NPCの家族』とかを、目の前でゆーっくりすり潰してあげるって約束してるしね」
キリアの細い目が、三日月のように歪んだ。前世で満たされなかったサディズムと支配欲を、このリアルな世界で、他人の命を使って満たしている。
影王会とは、そういった「倫理観のタガが外れた転生者」にとっての最高の楽園だった。
「ボスの計画通り、このエリア一帯のデータを一度綺麗に『クレンジング』する。残すのは、僕たち影王会と、ボスの認めたお気に入りだけ。……あーあ、早く来ないかなぁ、そのバグってやつ。僕の【サディズム】の新しい実験台になってほしいよ」
地下宮殿に、男の狂った笑い声が再び響き渡る。彼らはまだ知らなかった。
自分たちが「バグ」と呼び、グランバレーの路地裏で探していたその存在――シードが、すでにその『指先』の痕跡を完全に捉え、怒りをその胸に燃やしながら、彼らの喉元へと進撃を開始しているということを。
◇◆◇
同じ頃、グランバレーの外の森。
一週間の修行を終え、漆黒の魔導ローブを纏ったアラン、エルフ一の戦士シルヴィ、そして俺の腕にしっかりと抱きつくエルーナと、獰猛な笑みを浮かべるハーミルを背後に従え、俺――シードは、夕闇に染まる平原を見下ろしていた。
手元には、ジークから奪った【輝きの聖剣】。そして脳内には、【混沌魔法】の膨大な魔力回路が完全な戦闘態勢で脈打っている。
「シード。……私の勘が告げている。我が部族の血を流した奴らは、この森のさらに奥……あの暗黒の渓谷に潜んでいる」
ハーミルが、鋭い爪を地面に突き立てながら、低く、しかし確固たる殺意を込めて呟いた。
「ああ。グランバレーの刻印はただの『指先』だ。本星はもっと深いところにいる。……アラン、シルヴィ、エルーナ、ハーミル。行くぞ。俺たちの世界を、自分たちの都合で間引きしようとする糞共を……一人残らず、叩き潰しにな」
影王会という巨悪の存在、そして魔竜族という世界の強者が立ちはだかる中、シードの進撃は、ここから世界の構造そのものを激しく揺るがしていくことになる。




