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誘導

 鈍い音がして、徐々に悲鳴がすすり泣きに変わる。恐怖と苦痛に顔を歪め、タルヴァッカは命乞いを続けた。だが再びパージェが蟲に力を込めさせると、言葉の代わりに苦悶の叫びが唇から零れ始める。


「いやぁぁぁっ!! だれか、誰か兄さんを助けて!!」


 妹の甲高い泣き声が耳に障る。うるさいね。パージェはちらりと目を走らせ、けたたましく泣き喚くベフェを白い鞭で黙らせた。


 旧館に居た頃は制御しきれない程凶暴だった蟲も、今は至って従順だ。ここ暫く蟲の調子が良くなかっただけに、反って気分が良い。泣きながら蹲る獲物を前に、万能感と征服感、そしてぞくぞくするような陶酔感がパージェの背骨を伝い上がった。だが至福感は湧き上がる側から薄れ、次第に虚脱感が高揚感を上回ってゆく。獲物の呻き声はか細くなる一方だ。掬っても掬っても指の隙間から零れてしまう水のよう。


 パージェはいよいよ苛立った。途切れ途切れに繰り返される命乞いが余計に彼女を逆撫でする。


「他の言葉を知らないのかい? 君の頭は鸚鵡以下じゃないか」


 彼女はあどけない笑みを顔に張りつけたまま冷たく言い放つと、タルヴァッカを逆さ吊りにし、指先から順に骨をひとつずつ砕き始めた。獲物の悲鳴が音楽となって高らかに廊下を彩る。右腕がぐんにゃりした肉片に変わるまでそう時間はかからなかった。


「パージェ様、如何なされました? ご無事でいらっしゃいますか?」


 蟲が続いて哀れな医学生の左腕に取り掛かろうとしたその時、不意に聞き慣れた声が耳を打った。パージェはびくりと身を縮め、ゆっくりと振り向いた。黒い髪、黒水晶を思わせる瞳。先程まで彼女が捜していた相手がそこに居た。


 嫌な奴が来た。急にパージェの唾液が苦くなった。彼に文句を言うために部屋を出た筈なのに、足元がむずむずして落ち着かない。気を緩めると逃げ出してしまいそうだ。だが黒髪の少年はパージェを通り過ぎた。宙吊りにされた犠牲者に歩み寄り、目で助けを求める学友タルヴァッカの腹に――刹那、拳を沈めた。


 パージェにはクーイが何をしたのかすぐには分からなかった。肉塊の奏でる嗚咽の調べがぴたりと止まり、そしてスローモーションのように絨毯に崩れ落ちるマリオネット。獲物を見失った糸が途方に暮れ、ゆらゆらとダンスを踊り始める。


「な……」


 彼女が何かを言おうとした矢先、クーイは静かに振り向いた。


「学友が不調法を致しましたようで、本当に申し訳ございませんでした。お怪我などはございませんでしたか?」


 心配そうに彼女を見つめ、少年はタルヴァッカの非礼を丁寧に詫びた。


「こんなボロ雑巾にどうにかされる僕だとでも思うのかい?」


 精一杯冷ややかな笑顔を作り、パージェは哀れな学生を一瞥した。


「そうですね。良かった、少し安心致しました。ツィック兄妹は相当とんでも無いことを致したのですね。民を護り治める貴族様ともあろうお方が徒に下々を脅かすことなどあり得ませんし……本当にお恥ずかしい限りです」


 頭を垂れるクーイを、パージェは笑顔のまま瞳で威圧し続ける。


「ふん、こんな虫どもにどんな大それたことが出来るって言うのさ。不愉快な言動をしたから相応に罰を与えてやっただけだよ」


「勿論そうだと思っておりましたよ。本当にパージェ様に何事も無くて安心致しました。パージェ様はこちらにお住まいとは言え、離れをお使いになることは少なくていらっしゃるのでしょう? 不慣れな場所の上、見知らぬ者にお交じりになられて、心許無くお思いになられたのではと心配してしまいましたよ」


 何だって!? 作り笑顔はそのままに、彼女の目元は険しさを増した。しゅるりと生きた鞭が腕から肩へと這い上る。


「随分と笑わせてくれるね。ここを誰の屋敷だと心得ているのさ?」


「パージェ様とラアニ様のお屋敷だと心得ておりますよ。そんなこと、わざわざお尋ねになるまでもございませんでしょう」


 クーイはにこやかに即答した。


「ただ、これ程仕掛けの多いお屋敷は珍しいものですから、つい考えが過ぎてしまいました。申し訳ございません。パージェ様がこのお屋敷にご精通なさっているのですから、全くの杞憂でございましたね」


「し……」

 仕掛けって何のことさ!? パージェは声を危うい処で呑み込んだ。


「し、知っているさ、仕掛けのことくらい。当たり前だろう?」


 慌てて虚勢を張るが、僅かに語尾が揺れてしまう。気付かれただろうか? 彼女はクーイを盗み見た。


「ええ、勿論ですとも。今後はこのような瑣末なことで気を揉まぬよう重々注意致します。本当に申し訳ございませんでした」


 少年はしおらしい表情で謝った。彼女の胸中に気付いた様子は無い。パージェはホッとして無意識に胸を押さえた。


「別に構わないさ。まさか君が仕掛けに気付いているとは思わなかったから驚いただけだよ。それで、君はどれを見つけたんだい?」


 焦りそうになるのを懸命に抑え、わざとゆっくり彼女は続けた。はったりに決まっている、と繰り返しても、クーイの微妙な表情の変化がいちいち肌に刺さる。本当……なんだろうか? この屋敷に仕掛けがあるなんて今まで誰ひとり言わなかった。僕はこの屋敷の主の猶子なのに、この家にずっと住んでいるのに、それらしきものを目にしたことだって一度も無い。大体『屋敷の仕掛け』ってそもそもどんなものなのさ?


「結構色々ございますよ。例えば隠し……あ、でも、もうじきお夕飯ですし、そろそろパージェ様はお部屋にお戻りになられませんと。お腹もお空きになったでしょう? 大体こんな寒い日にわざわざ外に出ることはございませんよ。ただでさえ高い処は風が強いんですから」


 途中で急に口籠り、クーイは話題を打ち切りにかかった。


「ふうん、これは驚いたね。高い処が怖いのかい?」


 彼女はつんと顎を上げて嗤った。


「そういう訳ではございませんけれど……こんな時間から夕暮れのバルコニーへいらっしゃっても、お風邪を召されるだけですもの。私はパージェ様のお体が心配なのですよ。まだ病み上がりでいらっしゃるのですから、ご養生下さいませ。それに今日のような曇り空では美しい夕暮れだって期待出来ますかどうか……」


「あそこは僕の気に入りの場所でね、凄く気分が落ち着くのさ」


 バルコニーという言葉から場所を想像し、パージェは拳に力を込めた。ここまで彼が渋るのは初めてのことだ。何としても意に従わせてやる。


「君が見つけたのがあそこだなんて運が良いよ。丁度あそこへ行きたい気分だったし、これで下男を呼ぶ手間が省けたというものさ」


「ですが……」


「僕をひとりで行かせるつもりかい? まさか扉を押さえるのが下民の役目だってことを知らない訳じゃないだろう」


 はああああ。クーイは諦めたように溜め息をついた。


「……分かりましたよ。そこまで仰るのでしたらご一緒させて頂きます。パージェ様がこんなに強情でいらっしゃるなんて、今まで存じませんでしたよ」


 彼は拗ねたようにぼやくと、重い足取りで階段へ向かった。


 やった!! パージェの顔が思わず輝いた。遂にこの生意気な下民を組み伏せたぞ、と勝利感が胸を満たす。無抵抗のタルヴァッカをなぶっていた時より遥かに心地好い。さて、これで漸く仕掛けとやらを拝める訳だね。一体どんなものなんだろう……。


 ほんの一瞬だけ、先を歩くクーイの唇をほっとした笑みが掠めた。


挿絵(By みてみん)

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