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隠し扉

 二人の姿が見えなくなったのを確認し、物陰に隠れていたソロスコとハリー教授は足音を忍ばせて倒れている兄妹へ歩み寄った。


「お~い……生きてっか、タルヴァッカ?」


 先刻まで惨劇の舞台だった場所に転がる不運な医学生は、微かな呻き声でそれに応えた。ソロスコはホッと胸を撫で下ろした。同じく安堵の表情を浮かべ、教授が二人の容体を診る。


 妹ベフェは幸運にも気を失っていただけで、さして怪我は無かったが、タルヴァッカの右腕は完全に潰れていた。肩から指先までの骨が粉々に砕けていたのだ。


「これは大手術が必要だな。仮に腕がまた使えるようになったとしても、医学の道にはもう戻れんかも知れん……」


 ハリー教授は顔を曇らせた。その言葉にソロスコは頭を殴られたようなショックを覚え、半べそで父親に噛みついた。


「な、何だよソレ!! どーしてもっと早く助けてやんなかったんだよ! クーイが出てった時にはもうオヤジはここに居たじゃねーかっ!!」


「……セール。恐らく私はあの子ほど上手くは切り抜けられんよ。私ではこの二人の命すらも救えたかどうか」


 教授は床に目をさ迷わせ、深く息をついた。


「莫っ迦ゃろー、何言ってやがんだよ! オヤジはせんせーなんだろ!! タルヴァッカの腕ぐれー何とかしろよー!!」


 ソロスコは父の胸を叩きながら、わあわあと泣きじゃくった。


挿絵(By みてみん)


 一旦クーイが自室に外套を取りに戻った後、二人は伝承絵画に飾られた回廊を見上げる、あの吹き抜けに出た。幾つもの階段が優雅に踊り場をすり抜け、動かない柱時計が花柄の茶器を抱えて佇んでいる。


 柱時計と花模様。パージェは自分が部屋を出た理由を微かに思い出した。屋敷の仕掛けの話で見失ってしまった話……だがそれは意識の表層に上る前にクーイの声にかき消されてしまった。


「初めて通った時に奇妙に感じたんです。このお屋敷では場所によって装飾のテーマが統一されているのに、ここだけは悲恋伝承とヘスペラーの花がごちゃ混ぜに飾られているんですもの」


 少年は椅子を一脚柱時計の横に並べた。靴を脱いで椅子に上り、柱時計の文字盤の飾りを指で回す。


「ヘスペラーの花弁は十二枚、そして葉は8の字型……と」


 飾り枠を文字盤に合わせると、カチリと微かな音がする。パージェが恐る恐る時計を覗き込むと、飾り棚の硝子戸の錠が外れていた。椅子から降りたクーイはそこから数点茶器を取り出し、彼女に手渡した。


「柄を良く御覧下さい、どれもヘスペラーに似たオルトルーの花の意匠でしょう? 花弁の数も違いますし、葉も尖っていますよね」


 そう言われて、彼女は漸くしげしげと手の中の茶器を見つめた。正直、花に興味がないせいか、何がどう違うのか良く見てもピンと来ない。


「御託なんてどうだっていいよ。一体何が言いたいのさ」


 パージェがそう急かすと、クーイは彼女の手から一本のティースプーンをつまみ上げた。陶製の柄に花が描かれている。


「つまり、正確にヘスペラーが描かれている茶器はこの中でこれ一点だけなんですよ」


 手渡されたスプーンをパージェは不可思議な表情で見つめた。カップの絵と比べてみると、確かに微妙に葉の形が違う気がする。だがさして気に留める程の差でもないように彼女は思った。


「ふうん。それで?」


 クーイは答えずに階段を上り、再び回廊のヘスペラーの絵の前に立った。背伸びをして大きな額の一部にティースプーンを差し込む。くるりと捩じると留め金の外れる微かな音が応え、重々しく蝶番いが軋り、絵そのものが扉となってゆっくりと開いた。パージェはあっと口を覆った。


「どうぞ。こちらが夕暮れのバルコニーへ至る秘密の通路です」


 扉を押さえ、クーイは恭しく彼女を招いた。



 ふか。入ってすぐに、絨毯とは違う柔らかな感触が靴越しに伝わってきた。中は真っ暗だが意外に広いようだ。澱み切った空気が濃厚な圧力をもって押し寄せて来る。そろそろと闇に手を伸ばすと、ひんやりとした堅いものに触れた。壁だ。じっとりと指先が湿る。


「ねえ……」


 振り返ってパージェは戸惑った。息を殺すと、耳を打つような静寂。クーイがついて来ていなかったのだ。閉じ込められた!?――置き去りにされたのだ!! 急に息が吸えなくなる。振り返る。瞼に触れる。確かに目は開いているのに、闇に阻まれて何も見えない。視界を奪われ、自分自身を見失う。どうしよう、息が出来ない。


 だが、それはほんの一瞬のことだったのだろうか。直ぐにギイという音がして、細い光筋が差し込んだ。


「お待たせ致しました、パージェ様。あのままではお見苦しいと思い、廊下を片付けて参ったのですが……ど、どうかなさいました? どこかお具合でも……?」


 慌てたような声と共に、恭しく手が差し延べられる。彼女は光に縁取られた影絵を見上げ、眩しさに目を庇った。いつの間に座り込んでいたのだろう。差し出された手に掴まってパージェは立ち上がった。靴越しのふかふかした床の感触が、指先の冷たさが、呼吸がゆっくりと蘇る。


 パージェはクーイから手を外すと、彼の顔を力一杯殴りつけた。

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