伊澄と美月の和歌批評
雪菜が五十首目のオリジナル和歌を完成させたのはゴールデンウィーク明けだった。
コンセプトが明確な場合にはものの二、三分でできる。逆に何度推敲してもうまく行かず、もうこの和歌を捨てようか、いやいやせめて最後のひとあがきを、と語順を変えたらパズルのピースがはまった日もあった。
創作をはじめてから雪菜の目に留まるようになったのは文学賞に向けて日々挑戦する人たちの姿だった。毎日SNSにオリジナル短歌を投稿し十年かけて大賞を受賞した人がいた。読んでいる本も短歌のものばかりと生活のすべてを新人賞にかけている人もいた。自分もその中に入りたいと思った。
調べたところ、地方自治体や財団法人など数々の団体が文学賞を主催していた。雪菜は生活感あふれる現代短歌よりも、古語の響きやリズム、自然描写から心情を解き明かすアプローチが好きだ。和歌の賞に応募しようと思った。
おあつらえ向きな賞があった。和歌のジャンルで一番権威のある「古典和歌芸術新人賞」である。大賞受賞者は歌集の出版を確約してもらえるという。一般の部での応募総数は四千を超える年もあるが、学生の部では八百足らず。これくらいなら大賞を撃ち落とせそうだ。
日曜の朝、リビングに下りると、伊澄はキッチンタイマーをそばに置いて、新聞の数独を解いていた。
「ちょっといい?」
雪菜が声をかけると、伊澄は煩わしそうにタイマーを止めて、
「あと三分なのに」
「あ、ごめん。終わるまで待ってるよ」
雪菜が母の向かいに座ると、
「いいよ。何?」
「あのさ、最近和歌を作りはじめてね、自分ではいいのができたと思うから、文学賞に投稿しようと思っているの。でもほかの人からはどう見えるのか知りたくて。だからその……意見がほしくて」
「自分で作ったの?」
「うん」
「すごいじゃない! 私、短歌はよくわからないけど、それでもいいの?」
「うん。率直な感想でいいの」
と雪菜は伊澄の前にノートを広げた。
ノートには意見をもらいやすいようにこれまで作った和歌を清書しておいた。一番自信のあった和歌を見せた。
──夕暮れに鴫と真砂の立つ浜に霞みて浮かぶありし日の影
伊澄は眉間にしわを寄せながらもぶつぶつ音読していたが、
「これどんな歌なの?」とたずねた。
「『夕暮れに鴫が飛び立ち砂が舞う浜辺に立っていると、霞のように浮かんでくるあなたの面影よ』という歌。テーマは『和子さんと再会する歌』なんだよ」
「なるほどねえ。いいテーマだと思うし、言葉もリズムもきれいだと思うんだけどねえ。うーん……短歌に親しんでない私には難しいかなあ」
雪菜は少なくともプラスの評価はもらえると期待していただけにがっかりした。
「使ってる言葉がわかりにくいこと?」
「思うんだけどさあ、風景描写って言うの? それが多すぎて喧嘩しているように思うんだよね」
「喧嘩かあ……」
と雪菜が身を乗り出してノートを見ていると、
「それじゃあ、これから私の言うの想像してみて。行くよ?」
と母はためを作って、
「あ、沈丁花の匂い! どこだろう。公園のほうかな? ちょっと行ってみよう。それにしてもぽかぽかして今日はすごくいい気持ち。小鳥も気持ちよさそうに鳴いている。もう春が来ているんだなあ。芝生で昼寝したら気持ちいいだろうな。あっ、でも、ちょっと喉が乾いたから炭酸が飲みたいなあ。今日はコーラ、いやサイダーにしよう!……どう?」
「何が言いたいのかよくわからないかも」
「でしょう? さっきの歌ね、ひとつひとつはイメージできるんだけど、次の句に行ったときにリセットされちゃうんだよね」
雪菜はノートを寄せて歌を読み返した。推敲しているときにはまったく気づかなかった。たしかに母が指摘したとおりだ。風景描写を羅列しただけのまとまりない歌に見える。
「なるほど。そういう意味か。ありがとう。これはいいアドバイスだね」
雪菜がノートにメモしていると、伊澄は他の和歌を見ていたらしく、
「私はこれがいいと思う」
と指差した。
──知らんぷりつぶら瞳のユリカモメ一歩寄れば二歩だけ離れて
バードウォッチングの経験を生かした歌だった。
「これなら風景描写なくてもイメージできるしさ、人間とユリカモメの微妙な距離感が見えておもしろいと思うよ」
「あれっ? お母さん。ユリカモメ知ってるの?」
「たしか東京都の鳥よね」
「そうそう。よく知ってるね」
「雪菜のおかげというか、せいというか、」
と伊澄は笑って、
「テレビや新聞で鳥が出てくると見るようになったんだよね。でもこの歌、四句目は六字で、五句目は八字になってるでしょ。こんなことしていいの?」
「うん。きちんと認められているから平気だよ。最初は基本どおり『一歩寄ったら二歩だけ離れ』と七・七にしてたんだけどね、のっぺりして動きがないでしょ? だから『一歩寄れば二歩だけ離れて』と六・八にして、スピード感出しつつ、ユリカモメに近づきたいけど近づけないもどかしさを描いたんだよ」
「へえ。そこまで考えて作ってるのね」
「お母さんのおかげで、あからさまな風景描写ならいらないかも、って思った。主題の中に組み込めば良さそう」
「そうだね。それがいいかもね。またいいのできたら見せてね」
それから数日経つとまたいいのができた。今度は美月にも意見をもらおうと思った。
「えっ、すごい! 和歌作ってるの?」
「うん。一番の自信作はこれ」
と雪菜は美月に和歌を見せた。
──春の雪別れをひとつ置きにけりしのびてあまる友の言の葉
美月は母と異なり、ざっと二、三秒見て、
「ねえ、これどういう意味なの?」
「えっとね、『春に降った牡丹雪が一つの別れを置いていった。しのんでもしのびきれない友の言葉だよ』っていう歌」
雪菜が和歌のテーマを伝えると、
「ああ、和子さんとの再会する歌なんだ。いいと思う! 和歌作ったっていうから、この前三人で作ったみたいなふざけた感じかなと思ったけど、めっちゃ本格的じゃん」
「そうだよ。この歌は一週間くらいかかったし」
美月はノートをじっと見ていたが、
「まず良い点からね。最初の五・七・五から引きがあって、なんだろうって気になる。あと使っている言葉がきれいで、流れるようなリズムが気持ちいい。スーッと胸に入ってくる感じ。次に悪い点ね、あっ、ちがう、改善点だ」
と、ごまかすように笑って、
「この歌にはね、雪菜がいないんだよ」
「どういう意味?」
「なんて言ったらいいのかなあ。考えはまとまってるんだけど、そのまま口にしたら傷つけちゃいそうなんだよなあ」
「そんなやわじゃないからはっきり言ってよ」
美月はふたたびノートに視線を落としたが、ふっと明るい顔になって、
「こういうの極めていけばいいと思う。まだ未完成ぽいけど私は好きだよ」
と一つの和歌を指差した。
──「あの池にカルガモ赤ちゃんいましたよ」と教えてもらう日曜の午後
「教えてくれたのはきっとおじいちゃんでさ、満面の笑みで言ってそうだよね。雪菜とこのおじいちゃんの人生は交わるわけなかったわけじゃん。でもカルガモ赤ちゃんのおかげで接点ができたのかなあ? いろいろ想像できておもしろい。日本のどこかにそんな場所あればいいよね」
あれ、美月もだ、と雪菜は思った。カルガモ赤ちゃんの歌は経験をそのまま写生したものだ。字余りが二回も起きてしまっているし、一度も推敲していない。何度も手を加えた歌よりどうして響くのだろう。
「美月さっき、この歌には私がいないって言ったじゃん? もしかして具体的じゃないとか、はっきりしていないとか、そういう意味なの?」
「そうじゃなくてね、なんて言えば伝わるかなあ……。私の思う雪菜は、色に詳しくて、鳥にも詳しくて、百人一首のことは何でも知ってて、大胆すぎるところは玉に瑕だけど、みんなが見落とすところを言葉にできる。もちろんそれ以外の良いところたくさん知ってるけど……あっ、そうだよ! 春の雪の歌はさ、雪菜らしさがないんだよ。優等生すぎて個性が消えちゃったみたいな。時間かければ誰でも作れそうな歌だもん」
「あっ、わかった! 今のでなんか閃いた。美月ありがとう! すぐ推敲したいから帰るね」




