言葉の色
和歌を作り始めて二週間は順調そのものだった。
ドラえもんのポケットみたいにぽんぽんアイデアが湧き出し、訴えたい気持ちを五文字ないし七文字に梱包するコツもすぐつかめた。自分には和歌の才能がある。本気でそう信じていた。
しかし、順調に伸びていた表現力と語彙力が頭打ちになると、まるで試用期間が終わったかのように和歌が牙をむき、雪菜は底なし沼に落ちて行った。
しっかりイメージできているのにふさわしい一語が見つからない。喉まで出かかっている言葉をうまく取り出せない。
能力の限界を感じた雪菜は藁にもすがる気持ちでインターネットに手を伸ばした。
使う言葉はすべて検索しなければ落ち着かず、AIに相談するようになってからは硬質で非日常の言葉に酔いしれた。
──列立し風に戯むる川鵜らの間に一羽皆舞踊する
生活の隅で見つけた小さな発見を詠んだ歌だ。完成したときこそトンネルを抜けた爽快さがあったが、数日寝かせて読むとひどくつたない歌に思えた。
おそらく今のやり方は間違っている。けれども、問題の要はどれで、それをどう掘り当て、どう処理したらいいのか見当もつかない。暴風雨の大海原で一人壊れかけの小舟に取り残され、あまつさえオールも飛ばされてしまった。そんな気分だ。
自分には創作なんか向いてない。和歌なんかなくたって生きていける。やさぐれた日もあった。しかし、翌朝にはけろりと机に向かってしまう。
ある夕方のこと。雪菜はスーパーにいた。買い物に集中せずに、和歌について考えていた。
艶をまとった鮮やかなトマトが並んでいる。雪菜は一つを手に取ってぐるりと回した。裏に青い部分を見つけた。これは買えないなと戻し、新しいのを手にとった。今度は赤は赤でも薄い部分が目立ち、まだらに見える。見るからに美味しくなさそうだ。トマトらしいトマトはないものかと探したが、食欲をそそるものはなかった。
「どれも傷があるなあ……」
ぼんやりつぶやいたとき、暗闇に一条の光が差し込んできたような閃きがあった。
完璧なトマトがないように、和歌にも欠点があってもいいんじゃないか。隅から隅まで端正な言葉で飾るのでなく、あえてどこかに傷をつけてみるとか。
思考は鷲のように山を越え、鴫のように海上を駆け抜けた。
言葉にも「色」があるとしたらどうだろう。なじませたい場合には同系色の言葉を、際立たせたい場合には反対色の言葉を使ったらうまく行くんじゃないか。読む人に違和感を与えたい場合には、その言葉だけ色相・明度・彩度をずらしてみるとか。これは試す価値ありだ。
雪菜は家に帰るなりノートを広げた。カワウの歌を作ったあの日を思い起こした。
公園には葉桜が目立ち、花壇には菖蒲が見え始めた時期だった。川沿いを歩いていると、電線の上にカワウが日浴びをしていた。二十羽ほどいただろうか。皆同じ方向を向き、一列に並んでいた。そこに後方から一羽のカワウが加わった。止まっていたカワウたちは予測できなかったらしい。体勢を崩し、落ちまいと羽ばたきしている。カワウの世界にもこんなおもしろい景色があったなんて!
そこで雪菜は、前半は規律のある集団生活を、後半はがらりと変えて愛嬌ある姿を描こうと思った。
言葉の「色」を調べようと、声に出して丹念に調べた。
──電線に鵜らが群れをり一羽入り皆でぐらぐらさも綱渡り
それぞれの「色」も微調整したおかげか、これまでの雪菜の和歌には存在しなかった独特なリズムまで生まれている。この勢いとユーモアは自分らしいと思った。
和歌を作るのに派手な言葉は必要ないらしい。夢の中で使っている言葉でも十分みたいだ。
その晩、雪菜は『一冊でわかる物語百人一首』を読んでいた。八十首目の待賢門院堀河の歌だった。
──長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(末永く愛して下さるというあなたの心も確かなものとわからず、あなたがお帰りになった今朝は、黒髪が乱れるように心も乱れて物思いに沈んでいます)
これは恋人と一夜を過ごした翌朝、つまり後朝の心を呼んだ歌だ。
百首すべてを暗唱できるようになった雪菜は当時の社会慣習にも詳しくなっていた。
通い婚だったから女性たちは男性がやってくるのを待つしかなかった。知らないところで恋人を作っているかもしれない。通ってこなくなったら即離婚だ。不公平すぎて憤りすら覚える。平安時代の女性たちに代わって物申したい気分だ。
雪菜がまず引っかかったのは「心も知らず」「ものをこそ思へ」の部分だった。
以前の雪菜なら和歌を作る際、真っ先に飛びつくような言葉だ。しかし今は違った。直接的な言葉のわりに気持ちが伝わってこない。死んでいるように思える。
「そうか! 和歌の『美しい』や『悲しい』は無色透明なんだ」
強い感情は山あり谷ありの起伏に富んだ物語があってはじめて色づく。たった三十一字ではその舞台を描き切るスペースがない。だから感情語は記号にしかならない。
一方雪菜がもっとも心を揺さぶれられたのは「黒髪の乱れて今朝は」の部分だった。
当時の美人の条件は黒髪で、長ければ長いほど良しとされたらしい。本には床につくくらいの髪の女性さえ描かれていた。雪菜はイラストをじっと見つめ、考えをめぐらせた。
つまり、女性の命とさえ言える、その艶めかしい黒髪が乱れている。憂いをまとった髪の乱れが官能的な魅力を放っているように思える。寝具に移った彼女の袖の香りすら漂ってきそうだ。
和歌を作るときこそ、「黒髪の乱れてけさは」のような「色」のある言葉を選ばなきゃいけないんだ。雪菜の「色」の仮説は正しかったようだ。美術と和歌が結びついた気がした。
中学のころ、夕食の支度をするために美術部を辞めた。
「きっと美大にも行けただろうに。もったいないなあ……」
と残念そうに言った長束先生を今でも思い出す。
あの選択に後悔はない。しかし、しばしば夢でも見る。未練がゼロになったかと問われると、答えに迷ってしまう。
雪菜は小窓からぼうっと夕陽を眺めた。
でも自分は言葉の「色」を見つけたんだ。家庭の事情だからと蓋をしながらも、あんだけこだわってきた過去の意味を今なら変えられそうな気がする。きっと人生に無駄なことなんてないんだ。
それから雪菜は日々の生活での発見があるたび、三十一文字に落とし込み、言葉の「色」を探りながら推敲した。
創作のために自然観察が必要だと思い立ってからは朝三十分早く起床して散歩に出かけた。また抽斗が足りないと思ってからは、押し入れに封印していた『決定版 和歌の鑑賞事典』を引っ張り出し、寝る前の貴重な時間を秀歌の音読に費やした。




