↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遅刻魔は雄弁に時間を語る  作者: カルガモ丼
遅刻魔の見た時間
PR
28/36

親友の条件

 十一月も半ばを過ぎた。一年早いね。そんな声が聞こえてくるようになった。

 この日は山本先生が出張で居残り掃除は休みだった。雪菜は美月と「遠征」に行こうと約束していた。

 二人の言う「遠征」とは見知らぬ土地に行くことだ。スマホは使わない。頼りになるのは五感だけだ。廃屋に町の過ごした時間を見たり、工場脇の川のにおいから生活を想像したり、公園やスーパーに行って町民の会話に耳を澄ます。

 そうこうしているうちに不思議な感覚が訪れる。姫鵜町から来た自分と今この町を観察している自分との境界線があいまいになる。雪菜はこの瞬間がたまらなく好きだった。

 ところがこの日は運悪く河野先生に手伝いを頼まれた。校門を出た頃には雪菜の影法師がスレンダーマンみたいに伸びていた。

 美月は雪菜のせいとは言わなかったけれども不満なのは明らかで、ふくれっ面のまましつこく一つの小石を蹴っていた。

「もうすぐ指導室の掃除終わるしさあ、そしたらたくさん出かけようよ」

 美月はやはり石を蹴りながら、

「今日どうしようか?」

 美月はバードウォッチングには興味なさそうなので誘えばきっぱり断るだろう、それで美月の行きたいところに連れて行けば機嫌がよくなるに違いない、そう見越して、

「ここはだまされたと思ってさ、バードウォッチングしてみない?」

「バードウォッチング?……まあ、雪菜がしたいなら付き合ってもいいけど」

「えっ?」

「えっ?」

 二人はしばし見つめ合った。美月は眉をひそめて、

「私、何か変なこと言った?」

「いや、そういうわけじゃなくてね、バードウォッチングって言うと断られるのかなって思ってたから。そんなあっさりオッケー出るとは思わなくて」

「ああ。なるほど」と腑に落ちたらしく、

「何回かバードウォッチングしたって言ってたじゃん? どんなのだろうって気にはなってたんだけど、なかなか誘ってくれないからさ」

「偏見ないの?」

「うん。たしかに私たちの年からしたらめずらしい趣味だと思うよ。でも、変だとは思わないよ」

「ありがとう」

「何ありがとうって。普通じゃん」

「いや、なんかありがとうって言いたくなったの」

「そっか」と美月は真顔で言ったけれどすぐに、

「あっ、でも、双眼鏡ないじゃん?」

「平気だよ。今日はカモやカモメが中心になるだろうから」

 信号を渡って海浜公園に入った。ヨットハーバー沿いの松並木を抜けて海に着いた。

「すっかり見慣れたけどさ、何年か前まで砂色の海岸だったの覚えてる?」

 美月は眼鏡のレンズを拭きながら、

「ああ。そうだね。たしか中一……の頃だっけ? オーストラリアだかニュージーランドだかどっかの白砂に入れ替えられるって話題だったもんね」

 入れ替え工事が終わったのは夏の終わりだった。

「はじめて見たとき、海岸が真っ白になっててさ、汚れが全部取れたようで感動しなかった?」

「そう? 私は人工的すぎて気持ち悪いと思ったよ」

「え、そうだったの?」

 海岸の感想なんてもっと前に話してもよさそうなものだ。このように同じものを見ても符号の異なる反応をしていたのが後でわかり驚くことがある。

 この日突堤にはぽつぽつ釣り人がいたが、海岸はほぼ貸し切り状態だった。

 雪菜は百人一首の勉強の合間に野鳥図鑑を眺めたり、野鳥専門のSNSをのぞいている。シギやチドリなどバードウォッチャー泣かせの鳥は別にして、直接見たことなくともさっと名前が出るくらいにはなっていた。

 波打ち際に沿うようにユリカモメが日浴びをしている。気まぐれに集まったら円になりそうなものだ。しかし次に加わったユリカモメも、またその次の者も、列を乱さずに並んだ。鷹に襲われた場合に備えての本能によるものだろうか。ずんぐりむっくりのユリカモメが体操選手のように片足立ちしたり、水かきで頭をかく姿が愛くるしい。

 その群れに一羽のセグロカモメが交じっていた。仲間に入りたいのだろう。セグロカモメとユリカモメの大きさは大人と子どもくらい違う。明らかに浮いているけれども彼はしれっと皆と同じ方向を見ていた。

 渚を西に進んで消波ブロックに着いた。磯の香りを強くなった。

 ヒドリガモが群れていた。ぷかぷか波に揺られて採餌さいじする者もいれば、ブロックにこびりついた苔色の海藻をついばむ者もいる。ヒドリガモが海に首を突っ込むとお尻だけが水上に現れる。美月はすっかり機嫌が直ったらしい。「タケノコみたい!」とはしゃいでいた。

 野鳥観察をする際、雪菜はひとつのルールを大切にしている。あくまでも主役は鳥たちで自分は観察者にすぎないこと。ハシブトガラスやムクドリがよちよち歩きしたり、ハクセキレイが走っていたら驚かさないように立ち止まる。場合によっては遠回りする。

「雪菜ってこだわるとこはほんとこだわるよね」と美月はあきれた様子だったが、

「鳩にお菓子あげようよ。えっ、だめ?」と残念がったり、

「あれ、なんていう鳥? え、ミユビシギ?……ああ、なるほど。指が三本のシギだからミユビシギ!」と質問したり楽しそうだった。

 三十分ほど野鳥観察を楽しみ、二人はベンチでひと休みした。

 これまで十一月というとまだ秋というイメージしかなかった。しかし、そんな雪菜にも変化が起きていた。和歌が好きになったおかげで二十四節気にも興味を持った。先日カレンダーを見たら「立冬」と書いてあったのを覚えている。この日は氷の粒子を含んだような風が頬を打った。暦どおり冬が混じりはじめたようだ。

 空が茜色に染まり、雪菜の目にもはっきりと分かる速さで雲が流れていく。浜辺にわたる潮騒に耳を傾けながら、海面に現れる風紋を眺めた。

 それにしても夕暮れを好きになったのはいつからだろう。中学生になったあたりからその兆しはあったかもしれない。開花したのは百人一首に夢中になってからだろうか。雪菜は試しに美月にたずねた。しかし彼女は「私は小学生の頃だよ」と答えた。

 二人はいつも一緒にいる。こう噛み合わない日も珍しくない。

 でもそれは自然なことなのだろうと雪菜は思う。たしかに美月はよく秘密を打ち明けてくれる。自分はどれほど彼女を知っているのだろう。半分? そんなに多くない気がする。

 雪菜は百人一首の話をする際、伝わりやすさだけを考え、表面的な知識にとどめている。逆に哲学の話になったら手加減するのは美月も一緒だろう。

 以前美月とした話を思い出した。自分たちの見ている世界は他人のものと同じ色とは限らない、と。色だけじゃないと雪菜は思う。美月の世界の広さを一生知ることはできないだろう。

 百羽ほどのミユビシギが楕円のかたまりになって海上を駆けるように飛び、唐突にUターンした。そのときだけ棒でつつかれたように形は乱れるが、さっきのとはわずかに異なる新しい楕円を形成してまた一直線に飛んでいく。これを一心に繰り返すのがかわいらしい。

 雪菜は首振り扇風機のように飽きずに眺めていたが、不意に父の姿が浮かんだ。またか……、と額を押さえた。母の肩に笑顔で腕を回す父。三十代のまま年を取らず、ずっと写真の中に住んでいる。そんな父もバードウォッチングをしていたらしい。野鳥たちが媒介になっているのか最近よく思い出す。父は野鳥の世界をどう見たのだろう。

 美月と自分の世界の色は違うから、広さも違うからと納得できるのに、今はどうしても父の見た世界を知りたい。同じ双眼鏡を使っても雪菜の目には映らない景色があるのだろうか。確認する術はない。死の間際の行動は何年経っても理解できそうにないのに、無意識のうちに近づきたいとでも言うのか。

 夕焼けが深紫こきむらさきの層を支えきれなくなった。雪菜はベンチに押されたかのようにすっと立ち上がった。キリンのように一段高い場所から見守っていたのに、美しさとはかなさのい交ぜになった幻想世界に心を奪われていた。

「ねえ雪菜……。こういうのを神秘って言うのかな」

「うん……。きっとそうだよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。