バードウォッチングも来る者を拒まない
姫鵜駅まで出て高架橋に沿って西に十五分ほど自転車を漕ぐと海秋沙駅が見えてきた。
雪菜がはじめてこの地を訪れたのはガールスカウトのときだ。ラジオみたいにおしゃべりなリーダーに「ここおかしな町でしょ?」と訊かれ、小学生の雪菜が「都会と自然をのりでくっつけたみたい」と答えたら、皆が大笑いしたのを覚えている。
駅から南に数分で「海秋沙自然公園」に着いた。スコールのような陽射しと砂嵐みたいな風で汗がしたたり落ちてくる。準備を怠っていたら危なかったと朝の気まぐれな判断に感謝した。タオルで汗をぬぐい水筒を飲んだ。
駐輪場の隅に園内マップがあった。現在地は左下で、中央には大噴水広場、ふれあい広場、芝生広場があった。不自然なほど「広場」が付いているのに雪菜はあきれたが、右上に野鳥の森を見つけると「いいとこあるじゃん!」と声を上げた。
ハンディファンで涼みながら、てくてくプロムナードを歩いていく。木立から蝉時雨が降り注ぎ、足元ではカブトムシがひっくり返り、ミミズが伸びていた。
小学生の頃はツクツクボウシの声を聞いて夏休みの終わりを嘆いたものだが、最近は秋にならないと聞こえなくなったと、身の回りにも小さな変化が起きているのを知った。
噴水を囲むように二十張りほどのテントが立っていた。テントの中にはバーベキューのコンロが一つずつ置いてある。まだ開店前なのだろう。客の姿はなく、本部テントでスタッフTシャツを着た男女が集まっていた。
芝生広場の中央に欅の巨木があった。根元で小学生くらいの女の子と弟らしき男の子が手を広げていた。はじけるような笑顔だ。眺めているうちに、ああ、欅の真似をしているのか、とわかって雪菜は笑みをもらした。
芝生では総出でテントを組み立てる家族や、愛犬とフリスビーをする女性などたくさんの人が休日を謳歌していた。
空いているスペースに数羽のカラスがいた。雪菜はさっそく双眼鏡をのぞいた。剣先のようなたくましいくちばし、濡れ羽色の毛並み、恐竜のような鋭い爪までくっきり見える。これまでカラス──黒い──不気味と連想し、それだけの理由で避けていた雪菜でも、お尻を振りながら歩くカラス、後ろにスズメがいるのにドングリに夢中なカラスに愛嬌を感じた。
さっそく野鳥図鑑で調べたら意外な発見があった。全身漆黒のカラスはなんと二種類に分かれるらしい。ハシボソガラスとハシブトガラスだ。「ハシ」はくちばしを指すのでこれが見分ける基準になる。ハシボソガラスはくちばしが細く「ガア、ガア」と鳴き、ハシブトガラスはくちばしが太く「カア、カア」と鳴く。鳴く姿勢も違いがあるから区別しやすいらしい。雪菜はとっさにツッコミを入れた。
「絶対に気づかないって!」
あのカラスはどちらだろう。双眼鏡と本を交互に見たところ、ハシボソガラスらしかった。
野鳥の森に着いた。木々が陽射しをさえぎり、風がミストシャワーみたいでひんやり涼しい。すうっと鼻で吸い込むと、樹木の香気と土の湿った匂いが遊びに来た。
「ヒーヨ、ヒーヨ」とソプラノ歌手顔負けの声が聞こえた。鳴き声をたよりに探すと、止まり木で鳴いている鳥を見つけた。鳩より一回りほど小さい。じっくり見ようと双眼鏡を向けたがレンズにおさめるのも一苦労。肉眼では見えるのに双眼鏡で狙い定めるのは難しい。おまけにずいぶんとすばしっこい鳥である。せっかくとらえても、ピントを合わせているうちに別の枝に移ったり、木の茂みに隠れてしまう。
そこで雪菜はあらかじめ見晴らしのいい止まり木を決め打ちしてピントを合わせ、鳥が近づくのを待ち構えた。五分ほどねばったら、狙いの場所に止まってくれた。
「逃がすか!」と双眼鏡を向けたところ、全身ねずみ色、寝ぐせのついたような頭に、頬が赤錆色と、きれいな声からは想像できない姿だった。天を仰いで元気に鳴くのが愛らしい。忘れないうちに図鑑で調べたところ、ヒヨドリという鳥だった。
野鳥の森の奥へと進んだ。広場の喧騒はもう聞こえない。あちこちから忙しそうな鳥の声が聞こえる。こうして鳴き声に意識を向けるだけで、たくさんの鳥がいるのがわかる。木漏れ日をたどっていたら小さな森の合唱祭に迷い込んだ。そんな気分だ。
山法師に成っているさくらんぼみたいな実をじっと見ていたら、「ツピッ」とかわいらしい声が聞こえた。声を頼りに探したが鳥らしい姿はない。
どうやら真夏の野鳥観察は初心者には難しいようだ。青々と茂った葉が野鳥の隠れ蓑になってしまう。
「まいったなあ……」とつぶやきながら探しているうちに、鳥の方からひょっこり出てきてくれた。歩き回るよりじっと待つ方がいいらしい。スズメと同じサイズの鳥だった。真っ白なワイシャツを着ているみたいだが、胸に一本墨色のネクタイをしているような筋が見える。せわしなく動く様はまさしくサラリーマン。
雪菜はふたたび野鳥図鑑で名前を調べた。シジュウカラという鳥だった。名前の由来が書かれていた。シジュウカラ一羽でスズメ四十羽分の価値があるため「四十雀」と言うようだ。さらに繰ってみるとゴジュウカラという鳥もいた。青みのかかった灰色の羽が五十代の髪色に似てるから「五十雀」らしい。
「シジュウカラとゴジュウカラで由来が違うんかいっ!」
図鑑で見る限りたやすく見分けられそうだが、現地での判別は難しいのか、本には小林一茶の俳句が紹介されていた。
──むづかしやどれが四十雀五十雀
雑木林を抜けた先には体育館二つ分くらいの広さの駐車場があった。この先には何もなさそうだ。引き返そうとすると、モノクロームの鳥が目にとまった。体の大きさはスズメほどだがずいぶんと尾羽が長い。とことこ走り、ぴたっと止まっては尾羽をぴょこぴょこ振っている。ハクセキレイという鳥だった。
雪菜は母に見せてあげようとスマホを向けた。しかしハクセキレイは足が速く、雪菜が大股歩きをしてもいっこうに距離が縮まらない。
「待てこのやろう!」と追いかけたら、ハクセキレイは飛び去ってしまった。




