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遅刻魔は雄弁に時間を語る  作者: カルガモ丼
百人一首の結ぶ縁
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神岡美月の事件簿①

 八月になって雪菜はこんな話を聴いた。

 夏休みに入ってすぐ美月は哲学カフェに参加したらしい。姫鵜駅から五つ離れた阿比あび駅にある喫茶店で行われ、「死とは何か?」をテーマに二十人ほどで議論したのだと言う。参加する前は気難しい人や年配の人が来るだろうと予想していたが、実際は大学生や二、三十代と若い人が多く、胸元につける名札もニックネーム可という打ち解けた雰囲気で行われたそうだ。

「実はそこで知り合った人と毎日連絡を取ってるんだよね」

 知らないところで美月に親しい人ができていたことよりも、人見知りのはずの彼女が一人で参加したことのほうがおどろきだった。

 二人は美月の意中の人を「ときめく」という言葉から「時の君」と名づけ、彼の話題が会話の中心になった。

 昼下がり。美月から「重大発表がある」と電話があった。

 二人は公園に行くわけでもなく、ぶらぶらと住宅街を散歩した。

「哲学カフェの日からビデオ通話してるんだっけ?」

「そうそう」

「毎日?」

「ああ、そうだね。日課になっちゃったね」

 雪菜は百人一首の話をするためには生徒指導室に行かなければならない。自分の部屋にいても気軽に趣味の話ができる美月がうらやましくて仕方なかった。

「時の君に誘われたの?」

「ううん。私からだよ」

「すごい! 勇気あるね。かっこよかった?」

「うーん。特別目を引くって感じではないんだけどね、」と美月は指を折りながら、

「笑顔がいいでしょ。哲学に詳しいでしょ。優しいでしょ。話もうまいでしょ。そしてね、将来性もあるんだよ」

「将来性?」

「うん。慶応の文学部で自分でも小説を書いてるらしいの。ハイデッガーの理論を分解して、令和の今再構築したらどうなるか思考実験するのがテーマみたい」

 雪菜がハイデッガーの名前を聞くのははじめてだった。おそらく哲学者の名前なのだろう。皆さんご存じのとでも言う風に美月が言ったのは気になったが、

「頭痛くなりそう」

「ハイデッガーは難しいからね。特に『存在と時間』はやばかった」

「へえ。美月でそうなら、私には象形文字にしか見えないんだろうな」

「でね、新人賞の最終候補に残ったことあるんだって。そしたら編集者から電話かかってきて、今まで書いた作品を全部見せてください、って言われたらしいよ」

「すごいじゃん。デビュー間近なのかな」

「たぶんそう。あっ、あとねえ、プログラミングにも詳しいんだよ。私はよくわからないけどさ、パイソンとかラストとかタイプなんとかも全部できるって言ってたし」

 雪菜の知るところによると美月は中学のとき好きな人がいた。隣のクラスの野球部の子だった。美月は明るいし話も上手なのだけれども、やはり人見知りが災いし、おろおろしているうちに別の子に盗られてしまったという悲しい過去があった。

 しかし今回は、口数の多さやほぼ一方通行の会話からすこぶる好調なのが見て取れ、口元は終始ゆるんでいた。

「何でもできる人なんだねえ。そういう人の頭の中ってどうなってるんだろうね」

「だよねえ。脳が普通の人の三倍くらいあるんじゃない?」

「いやいや、脳は普通に一個でしょ」

「脳って一個、二個って数えるものなの?」と美月が真顔で訊いた。

「どうだろう。数えたのはじめてだからよくわからないけど」

 雪菜は自分で言ってつぼにはまり、「変な会話だね」と二人でひとしきり笑った。

 美月が仕切り直すように、

「それでね、プログラミングって外国語みたいなものなんだって。だから何個も習得するにはセンスってやつが必要らしいのよ」

「あ、そうだよね。プログラミング言語、っていうくらいだもんね」

 そのあとも美月は、時の君は夏目漱石全集を持っているらしいとか、彼の優しさは女子にしかわからなさそうだとか、思いつくまま話しているようだった。

 しかし、美月はなかなか本題に入らない。雪菜はとうとうしびれを切らせて、

「ところで、さっき言ってた重大発表って何?」

「雪菜さん! よくぞきいてくれました」と子犬がしっぽを振るように目を輝かせて、

「それでは発表します。なんと……明日の花火大会、誘われちゃいました!」

「おおっ。すごいじゃん!」

「ねえねえ、手つながれたらさ、そのまま握り返せばいいの?」

「だと思うけど。握り返すか、振り払うかのどちらかじゃない?」

「ああ、そうだよね。もしだよ? もしキスされたらどうするのよ~」

 美月はぴょんぴょん跳ねながら雪菜を叩いた。

「痛いよ。それも受け入れるか、拒むか、どっちかしかないんじゃないの? その中間を知らないよ」

「使えないやつ」

「なんだと~」と雪菜が美月の鼻に手を伸ばすと、彼女はのけぞるように体を反らして、

「鼻フックはやめて」と逃げて行った。

 こちらに戻ってくる気配はない。

 雪菜がメガホンみたいに手を添えて

「うまく行くといいね~」と叫ぶと、美月の明るい声だけが返ってきた。

「ありがとう。また連絡する。じゃあねえ」

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