猿でもわかる百人一首
帰宅するなり机に向かった。
本の冒頭にはわかりやすく百人一首のデータがまとめられていた。まず雪菜が注目したのは、恋の歌、季節の歌が多いことだ。恋の歌は四十三首、四季の歌は三十二首あり、四季の歌の半分は秋の歌だった。百人一首の並び順も気になった。時代ごとに並んでいて、飛鳥時代と奈良時代は合わせて七首、平安時代は八十四首、鎌倉時代は九首とひどく偏りがあった。
全体像が描けてから本編を見た。どの歌も二ページでまとまっている。気負って一首目からやる必要はなさそうだ。適当に開いてそのページにある和歌を学ぶことにした。最初に出てきたのは三首目の柿本人麻呂の歌だった。
──あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
(ヤマドリの長く垂れ下がった尾羽のような、この長い長い夜を私はひとり寂しく寝るのであろうか)
雪菜はヤマドリの写真を見つめた。
「なんだか火の鳥みたいだなあ」
光沢のある臙脂の体で背中の羽が鱗にも見え、とにかく尾羽が長い。臙脂のペンキをキジに塗ったらヤマドリになりそうだという雪菜の読みは正しかったらしく、ヤマドリはキジ目キジ科だった。
当時の夫婦は通い婚で、結婚しても一緒に生活するわけではない、と雪菜は授業で習った。本によると、ヤマドリの夫婦は昼は一緒にいるが夜になると峰を隔てて別々に寝るという習性があるらしい。
なるほど、だから歌のモチーフになったのか。それにしてもヤマドリの尾の長さから夜の長さを導くなんてよく考えたものだ。雪菜は感心したけれども、すぐに「いや待てよ……」と立ち止まった。ヤマドリの尾くらいの夜ならそんなに長くないだろ、早く寝ろと思った。
本を閉じてまた気まぐれに開いた。次に出てきたのも有名人だった。九首目の小野小町の歌である。
──花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
(桜の花の色がむなしく褪せてしまったなあ、長雨が降り続く間に。同じように、私の容姿も衰えてしまったなあ、ぼんやり物思いに耽っている間に)
「ふる」「ながめ」が掛詞になっていて二重の文脈が流れるため、百人一首初心者の雪菜には和歌と現代語訳の対応が紛らわしく、うまく整理できなかった。しかし前半は自然について、後半は人間について書かれているのはつかめた。花や容姿を題材にこれでもかというほど時間を意識させる。山本先生の好きそうな歌だ。
小町が世界三大美女の一人であるのは知っていた。本に『衝撃! 小野小町の落魄伝説』というコラムがあった。猿のキャラクターが真っ青な顔で紹介している。雪菜は怖いもの見たさで読み始めた。
小町のかつての恋仲の在原業平が東北を旅をしていると、芒が原からこんな歌が聞こえてきた。
──秋風の吹くにつけてもあなめあなめ
(秋風が吹くたびに、ああ、目が痛い)
彼があたりを見回すと、足元に髑髏が転がっていた。髑髏の目から芒が生え風に揺れている。通りかかった村人が彼に言った。
「それは小野小町だよ。昔は京の都でもてはやされたらしいが、こうなってしまってはねえ……」
これに業平は次のような下の句を返した。
──小野とはいはじすすき生ひけり
(これがあの小野小町と笑ったりはしない。ただ芒が生えているだけだ)
すると、髑髏の歌はぴたり止んだのだという。
「そんな都合のいい話、起こるわけねえだろ」と雪菜は声を上げたが、それでも語り継がれている理由はなんとなくわかる。成功者が没落する話には禁断の果実みたいな、人々を魅了してやまない魔性があるのだろう。
雪菜はまた無作為に開いた。ページにあったのは六十一首目の伊勢大輔の歌だった。はじめて見る名前だ。
──いにしへの奈良の都の八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな
(昔に栄えた奈良の都の八重桜が、今日京都のこの宮中で美しく咲き誇っていますよ)
これまでツッコミを入れながら楽しんでいたが、歌に散りばめられたテクニックを知ると、あっという間にこの世界のとりこになった。
雪菜が目を見張ったのは「けふ」に秘められた芸術的な仕掛けだった。「今日」と書けるから「いにしへ」と時間的な対応があるのはすぐわかった。ところがこれは「京」とも書ける。なんと古都奈良と新都京都が空間的に対応している。
歌の詠まれた背景が雪菜の知的好奇心を駆り立てた。
興福寺から献上された八重桜の受け取り役は紫式部の予定だった。しかし、新人の伊勢大輔がその大役を譲られた。彼女が受け取ろうとすると、藤原道長が一首詠むよう命じる。参列者の関心は次の一点にあったようだ――優秀な歌人の多いあの大中臣家の娘は一体どんな歌を詠むのだろう。この時代に求められたのは当意即妙。重圧の中、伊勢大輔が清流のようなリズムにのせて詠むと、座がどよめいたという。
雪菜はそのあとも百人一首を楽しんだ。休憩しようとベランダに出たころには二時間が経っていた。手すりに向かって二、三メートル進むと町の風景が見える。雪菜はうんと伸びをした。
向かいの家に大きな百日紅が咲いていた。常盤色の葉に陰が落ちているせいだろう。桃色がいつもより鮮やかに見えた。飛び出す絵本みたいに花の色が町の風景から浮き出ている。
『和歌に詠まれるのは人間と自然』
また霊感のささやきだと雪菜は思った。相変わらずはっきりした声である。前回は誰かが耳元でつぶやいたように感じたけれど、どちらも自分の行動を変えたときに聞こえたから、内から湧き出た言葉と見て間違いなさそうだ。
それにしてもどういう意味なのだろう。二つを結ぶ糸を見極めなさいと忠告しているようにも、コインの表裏のような運命共同体だと教示しているようにも思える。百人一首の勉強を続ければ、いつかわかる日が来るのだろうか。ともあれ退屈しない夏休みになりそうだ。
まるで頭を洗濯したような清々しい気分になった雪菜はぽつりとつぶやいた。
「今度自然観察に行ってみようかな」




