第6話 圧勝かつ必勝
翌る日――俺はただ待機せよとのみ、命じられていた。
薄暗い塗壁に囲まれた観察室。俺はこの部屋から動くことを許されず、ただ壁際の椅子に座っていた。
目の前は普通よりも強化された窓で仕切られ、隣接する処分区画の全貌が見渡せるようになっていた。
中央には檻が集められており、その中には一匹の犬が繋がれている。
こいつが、依頼対象の犬だな。
「ったく、気が引けるよなぁ? 所詮家畜は人間次第でどうにでもなりそうだってのに、まぁ見ているだけで良いのは幸いだよ」
管制官は肩をすくませる。その横で、俺はその犬をじっと観察していた。
痩せ細り、血と埃で汚れた毛並み。しかし、あの目だけは異様に鋭く、俺の心の奥を見透かすようではないか? こいつ、昨日の犬と似ているが……兄弟か、何かなのだろうか。
黒く、額割れした鼻の長い犬種だった。
「アンタ……あの犬、なぜ処分されるか、知っているか?」
俺は依頼内容を確かめる様に、問うた。
「ああ……? 確か、人間に危害を加えたらしい。先日、この犬の世話――というか実験対象にしていた研究員四人が切り刻まれた死体で発見されてな」
……変な話だ。あのガキは、そんなことは一言も言ってなかった。隠してやがったのか……いや、そんな感情を抑えるほどの、なんとなく直感的な違和感を覚えた。
「まったく、金にならんな――」
俺は苛立ちのような奇妙な衝動のままに席を立つ。結局、あのガキにいいように流されていないか、きちんと精査することもなく。
「ん?……まだ観察中だぞ、アルデリオ」
管制官の声が背後から追いかけてくるが、俺は無視した。
「まずい……おい! さっきのは冗談だ! 帰ってこい!ち……ウソだろ?!」
「待機命令を無視する気か!戻れ、アルデリオ!」
スピーカーから響く逼迫した警告を意にも介さず進むと、区画の隅にいた若い処分員? が震える声で話しかけてきた。
「アンタっ……!待機を命じられたはずっスよね?! なんでここに……?」
俺は処分員の前に手をかざして遮った。
「毒霧で殺すほどの意味が、あの犬にあるのか」
俺がガラス張りのケージを見つめて問うと、背後から嘲笑が響いた。鈍い光を放つ金属義肢を付けた処分官が、指を指しながらゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「クク……意味ならあるさァ。こいつはただの犬じゃない。今朝、実験場で職員四人を食い殺したんだ」
若い処分員が言葉を失っている。それが本当なら確かに恐怖の害獣だろう。
「はっ……。だとしたら――随分と性急な話だ。今朝殺して、もう処分とはな」
俺は静かに、理性的に尋ねてやった。
「ああ、家畜に裁判する必要など、ないだろう?」
処分官はケージの前まで来ると、金属の指で操縦桿に触れながら、歪んだ笑みで中の犬に囁いた。
「おい、聞こえるか? 犬畜生。お前はただの実験体だ。声も出せず、訴えもできず、ガスで惨めに苦しんで死ぬだけのな!」
――その瞬間、ケージの奥にいた犬が、ふっと顔を上げた。その目に宿るあのガキや犬と同じ、無垢な光を視認したとき、俺の全身の毛が逆立った。
「従順な犬だけが生き残る。お前の特別さが、ここで終わることを、証明してやる」
処分官の声に、狂気じみた愉悦が混じる。そうして自身の金属の指で操縦桿の……何らかのスイッチを上げた。
その時だった。
轟音と共に、天井のメンテナンスハッチが吹き飛んだ。粉塵が舞い、ガスラインから漏れ出た緑色の霧が渦を巻く。
「き、来たッスよ……!」
処分官は気体装置には目もくれず、命令違反を犯した俺を睨み据えた。
「……で? いち警備員の貴様は、持ち場を離れて何をしに来たのだァ?」
その問いに、俺は抑えきれない苛立ちを込めて、しかし嘲笑うかのように――答えた。
「どうでもいい質問だ。強いて言えば、無性にあんたを殴りたくなった……とかかな」
「だが、今やったらアンタを倒すどころか殺してしまいそうで、抑えているところだ」
目の前の男は顔を醜く歪ませ、ケタケタと笑った。
「殺す? この俺を? 面白い……!」
「ハイドンさん!この警備官は傭兵のアルデリオッスよ!」
背後で若い男が怯えながら、叫んだ。
「……ほう! アルデリオ……! 少し名が通っているからとはいえ所詮は傭兵!」
「このハイドンは! お前のような愚か者を何人も始末して来たぞ! 気に障る助言を下す物知り顔の奴らも、多勢な!」
「ハイドン? 聞いたこと、ねぇよ」
大物ぶってはいるが、銀クラスに毛が生えた程度じゃねぇのか?
「お前もあの職員のように……いや、あれは犬畜生の犯行だったな……」
俺はその言葉の意味をすかさず逃さなかった。俺の行動に間違いはないと、確信した。
「やはり、な。犬の犯行にしちゃ雑だ。真犯人は三流の殺し屋なんだろうって予感は……当たりだな」
「抜かせっ!」
ザン――!
鉄柱ほどの大剣が突風を生み、斬撃が目前に迫る。その一撃は、意外にも人間を殺すために鍛えられたものだった。
俺はわずかに目を細めることもなく、避けもしなかった。けれど思ったよりはまともだったから、内心は僅かに心臓が跳ねたのだと思う。
斬撃は俺の真横数ミリの地点のコンクリートの床を弾け飛ばした。
バギィン――!カランカラン――。
大剣は処分官の義肢から離れ、二人から遠ざかって回っていた。
「……ッ、はえ……っ……なんスか、今の……」
若い処分員が声にならない息を吐く。
「先ずはお遊びに付き合ってやった。今度はこちらから、行くぞ」
俺は準備体操するかのようにゆっくりと肩をほぐしながら言った。これは、嘘じゃない。実際を観察した上で。
――余裕だ。
すると奴は見るからに焦った様子で明後日の方向に喚きながら走り出した。
「馬鹿が!こっちだ!」
見当違いの場所に注意しきった処分官を俺はあっさりと捕まえた。
「……なぜ、裏をかくと決めつけた? 取るに足らない傭兵風情は真っ向勝負するわけないってか?」
俺は動かずに視線を固定させたまま、口を歪ませて言い捨てた。
「勘違いするな。貴様など真っ正面から叩き潰せる……!」
俺がそう言うと、男は明らかに恐怖に支配されながら、叫んだ。
「ば……馬鹿な……! 俺はハイドン=クレーヴァスなんだぞ……っ!!」
それが、処分官が最後の発した言葉だった。
「焦りすぎなんだよ、オマエ。でも実力差が計れるからこそ、か。相手が俺以外なら、良い線いってたのかもな」
金属義肢が風を切り、振り下ろされる。
――拳が顔面を掠めた刹那、俺は全身を捻り、肘で処分官の顎をカウンターで撃ち抜いた。
爆音。処分官の巨体が宙を舞い、天井の梁に叩きつけられる。落下と同時に床の塗壁が砕け、自慢の義肢が火花を散らして砕け散った。
「ワワ……再生、不能っスね……」
処分員が震えながら呟いた。
「だからオマエの名前なんて、知らねーんだよ……」
俺は気体装置を操作して檻から空気の排気を行ってやった。ついでに、霧雨で消毒も。
どうやら即死する類のガスではなかったらしい。犬は、ケージの中の煙が晴れても、吠えも、怯えもしない。
ただ、まるで旧知の仲のように、俺と同じ呼吸をしているだけだった。
――依頼主が、分かってるわけでもなかろうに……。
これにて、俺の目的は達成された。
遠くの方からけたたましく鳴る警報音を聞きながら、俺は静かに言った。
「そういえば……オマエの名前、聞いてなかったな」
警報が……止む。
「……動くな」
鉤爪の付いた拘束具が腕に噛み込む。複数の兵士が無表情に取り囲むのが見えた。
抵抗は――しない。できないんじゃない。する価値がないだけだ。
「待機命令違反、並びに処分担当官への暴行容疑。悪いようにはしない。大人しく着いてくるが良い」
「……そんなビビるんじゃねぇよ。何もしやしないさ」
誰も返さない。鎖の音だけが廊下に響く。
処分担当官がなす術なく沈黙した処分場を背に、俺はただ無言で歩き、聴取室へ連行された。




