第47話 【エピローグ】顔が無い勝利者
アルカディア総督府、中枢区画。 その最奥に位置する、純白の壁で覆われた議長室のそのまた奥。そこは、特権的な地位を持つ七位階ですら、その存在を知らないはずの部屋だった。
重厚な隔壁が音もなく開き、カイエルが雪崩れ込むようにして倒れた。 彼は失ったらしい腕の付け根を押さえ、クロノコアの暴走で焼け焦げた身体を引きずっている。
「馬鹿な……あっては、ならぬ……」
カイエルは壁に背を預け、荒い息を吐く。
「私の計算が……私の刻限計画が、あんな傭兵風情に……!?」
彼は、忌まわしいあの過去すらも、刻限計画やクロノコアによって修正できると信じていた。だが、アルデリオという邪魔な存在に、その全てを打ち破られてしまったのである。
カイエルは変わらない。奇跡や魔法を否定するなど、まるで単細胞生物のようではないかと未だ整理も理解ができていない。
「クロノコアの資料さえあれば……再起は可能……問題ない、このカイザーにとって……この程度の躓きなど……!」
――パチパチ、バチ。
その時、部屋の奥の暗闇から、静かな拍手が響いた。
「実に見事な幕切れでしたわ、カイザー=エルウッド評議会長。……いいえ、元・議長」
「!?」
カイエルが顔を上げる。 暗闇から現れたのは、アルデリオに肩入れしていたユクス派でもあるあの事務官の女だった。
――ミレイナ……!?
重力球によって引き離された際の座標が、寄りにもよってこの秘密の部屋だったのか? だが、その姿は、先程の記憶と違って血と泥に汚れた軍服ではない。評議会の上級官僚だけが纏う、染み一つない純白の礼装。
(こいつ……そもそも何でこんな無傷の状態なんだ?)
「なぜ貴様がここに……アルデリオたちはどうした!」
「彼らなら、地上に向かっています。安心してください、命までは取らないそうよ? 私たちと違ってね?」
その冷徹な瞳と、侮蔑を含んだ笑みに、カイエルは戦慄する。
「私たち……? 貴様……」
ミレイナは、うっとりと息をのむほど優雅に、一礼をした。
「オルビス評議会が七位階……第四席、顔無デラシネのミレイナ。これでも変装や諜報は得意分野、でして」
「馬鹿な、第四席は空席のはず……!」
「ええ。顔のない第四席、とねぇ。アルデリオも、ラッツも、そしてユクス様さえも 、実にいい駒として動いてくれました」
「貴様が……! ヴァンダルと……! 評議会の聖女派が、私を嵌めるために? だが、あり得るはずがない……長である私さえ知らぬ位階など――何のための」
「何のための――? はて……? それに、ヴァンダルだけ……? アハッ……冗談でしょう? 七位階全員の意志に決まってます!」
「ッ……!?」
「馬鹿な……評議会がこの巨人……カイエルを切り捨ててどんなメリットがあるというのだ!」
「ウフ、随分と高いご評価ですこと」
「そうですね……単にいって秩序のため、でしょうか。あなたの『刻限計画』という過去への妄執に囚われすぎた狂気は、いずれ評議会の安定をも脅かすと判断されたのです」
きわめて軽妙なテンポで且つ、その意味すら深くとらえさせないくらい達者な捲し立てであった。
「引いては我々は、あなたの『過去』も、アルデリオの『過去』も、計算に入れていましたのよ」
「計算……!? そうだ……アルデリオは何故、あんな鬱陶しい能力に覚醒した? あれも、貴様たちの差し金だったのか!」
「全てとは言えませんがね、けれどエルネスと教授にはリナの弾丸を装填していただきました」
「弾丸……リナ……? 零機構……計画か!」
「――だがあれは外向けに作った……評議会のプロパガンダとしての地球再生計画が目的の、ダミープログラムだったはずだ!」
「ええ、そうですよ? ただ緑を増やしたいという……いたいけで……善良な子を騙してね……!」
ミレイナの顔には本人でも抑えきれぬくらい、微かに怒りの色をはらんでいた。
「ッ……!」
「けれど、あれは嬉しい誤算でした、まさか零機構が植物だけでなく、人間の視神経にも効果があるとは!」
ミレイナは狂気的なまでに手を広げながら、今度は冷ややかに笑う。
「視神経……そうか、私が――奴の右目を撃ち抜いたことで……?」
「ああ、誤解しないで下さい! 我々はアルデリオがあなたを止めると『確信』していました……なぜだか分かりますか?」
カイエルは答えられない。
「ユクス様は、評議会から見捨てられたあなたを赦そうとして奔走なさいました。ですが、我々監査局は、あなたが妹を救おうとして失敗したのではなく、生き残るために見捨てた という……その『本質』を見誤ってはなかったのです!」
「ッ……?! 私が、見捨てただと……? 言うに事欠いて……知った風な口を聞くな、小娘!」
極めて受容しがたい言説に、カイエルは最後の力を振り絞って立ち上がろうとするが、足がもつれてしまった。
「あなたがそうやって、生きてきたのは事実でしょう! 自分ばっかり誤解やすれ違いから守ってもらえると思ったら大間違いですよ!」
「話にならんな! そのために評議会は過去を望んだのだ! 私と共にな!」
「――いいえ? 我々が望んだのは未来です、それをあなたが個人的な理由で捻じ曲げた!」
「……それは転嫁というものだ!」
「そうでしょうか!? 果たすべき責任……来るべき因果が回ってきたとは考えられませんか? カイザー=エルウッド。エルネス風に言えば……誰しも、自らの運命からは逃げられない!」
「運命など……容易く、超えられるのだッ……絶対速度や重力さえ、この手にすればな!」
「……」
カイエルの啖呵をきっかけに空間全体が凍てつくような沈黙が流れる。
「やれやれですね……結局あなたはエルシア様を救おうとしたのではなく、自分だけが救われた事実から逃げたかった。だからこそ、過去の改変などという眉唾にすがった……違いまして?」
「…………黙れッ!」
「……さぁさ、もうそろそろお開きと致しましょう。アルデリオ=シグマは『過去』を乗り越えましたが、あなたは『過去』に殺されるのです」
ミレイナはカイエルの前に立つと、その額に、静かに小型のカラクリを押し当てた。それはカイエルがアルデリオ達相手に使った新兵器より遥かに小さかったが……それに、よく似ていた。
「違う……私は――私という存在が……選ばれた、はずだ……!」
「あら……選ばれましたよ? ――粛清の対象として、ね」
「……ふざけるなぁぁっ!!」
閃光。 音もなくカイエルの体が崩れ落ちる。 氷の彫像然とした彼の表情が、却ってその空間全体の、総合的な芸術を完成させたかのように見えた。
ミレイナは、かつて評議会の頂点に立った超越者の骸を一瞥すると、無表情のまま踵を返し、その後……誰もその姿を見なかった。




