第44話 神殺しの審判(前)
「ああ、そうかよ……そんな簡単なことにようやっと――気づいたんだな」
耳の奥で、低く鈍い唸りが続いていた。
空気がまるで亀裂でも入ったように揺れ、骨の芯まで震える。ソレが――クロノコアの駆動音だった。
未来を統べるはずの装置は、いまや取り残された両者の結末を裁くための終末の鐘と化していた。
地下広間は半壊し、天井から砂塵が絶え間なく落ちる。赤い閃光が断続的に走り、重力の波が建物の破片を宙に浮かせては叩きつける。警報など鳴らない。
轟音と重力波だけが、世界の終わりを刻みこむかのようだった。
「さあ! もうそろそろ頃合いだ、アルデリオ!」
強力な重力によって湿った声が響く。カイエルの周囲には黒い重力球が幾重にも浮かび、バチバチと火花を引き寄せては回転していた。
過去と未来、すべての瞬間を押し潰した泡のような……差し詰め神の拳にでも近い代物だろう。
神になり替わろうと目論み、未来を支配しようとするこの怪物が俺から片目を奪い、仲間を殺した。
そして俺は、そんな神を……ッ!!
「……視えただろう?」
粉雪が如き破片の山の上、黒い重力球を纏った男――カイエルが、セレスティアを指差していた。
「その目は、未来を視る目だ。そろそろ……教えてやるが良い、こいつは――ここで死ぬ、と」
セレスティアの視線が震えた瞬間、俺も理解した。
――まただ。
シドが死んだあの時と同じ、感情のない、未来に縛られた目だ。
「いや……いやっ……!」
背中に細い指が食い込む。彼女の震えは、恐怖だけじゃない。未来を知って、それでも変えられない無力感――その絶望を俺も全く想像しないわけではなかった。
血の匂い?
胸を貫かれる俺の姿?
足場が崩れ、反転する世界?
ずっと……視えていたんだな。全て繋がったよ! 俺を遠ざけることによって……俺を生かそうとしていたんだな……!
カイエルの声が、耳障りなほど、狂った鐘のように響く。クロノコアの赤光が強まってきたのを感じる。
「――臨界まで、あと三十秒。だがタイムリミットに焦りはない! なぜだか理解できるか?」
カイエルに浮かぶ、にやけ面でもったいぶった、絶妙に高音が挟まれた声色が俺の感覚を凍結させた。
「クロノコアの演算は、貴様という人間をすべて明らかにできる! 傭兵として培った……生存本能に基づく合理的な行動の数々。貴様が生き残るために正解を選ぶほど、システムは未来の座標を完全に固定する!」
「お前こそが、お前自身を殺すのだ! だからこそ、今私自らが対峙して良いと判断した!」
――――そうか……! それがセレスティアの未来視……ひいてはクロノコアのカラクリってわけかい……!
「…………はっ、勝ちを確信しなきゃ、出てこれないって……? 随分と臆病者だな、カイエル!」
そういいながらも俺は言葉を反芻しながら答えを探している。どうにか、奴を逆手に取る手段が……見つかるはずだ。諦めさえしなければ。
「フ……石橋は叩いて渡るものだろう?! そしてこれが運命だ! いつだって、未来は我々選ばれた者のためにある、いや……ためにしかないのだよ!」
「過去も未来さえ、私が選ぶ。弱者は切り捨て、選ばれた者だけが救われる!」
「その割には全然計算出来ちゃいねえなぁ! 間違ってるぜ……自分自身こそが、自分を生かせるんだよ!」
俺は叫ぶ、そしてその反応にカイエルは。
「…………ッッ!!!」
◇◆◇
その狂気じみた目の奥に、一瞬だけ――カイザー=エルウッドの脳裏に別の景色がよぎった。
泣き叫ぶ少年に、崩壊した街並み。血の海に沈む、小さな妹。「選ばれた者だけが生き残る」と呟いた、冷たい大人の声。
――それが、過去に取り憑かれた超越者の……始まりだった。
「なんで、錬金術は僕たちを助けてくれないの?」
◇◆◇
カイエルの周囲には黒い重力球が幾重にも浮かび、バチバチと火花を引き寄せては回転している 。
その動きに一切の無駄はない。奴の言葉や……ユクスの情報から推察する、セレスティアの未来視を模したクロノコアの能力は差し詰め……対象の生存本能と損得勘定を極限まで演算し、最も効率的な回避ルートを先読みする行為が本質なのだろう。
そこに予め網を張ることによって得られる利益を貪る……!
――(人生なんて結局は算盤の弾き方次第だ)
「アルデリオ……逃げて……! ここで死ぬ……!」
セレスティアの悲鳴が耳を裂く。その声の震えと同じくらい、俺の指先も震えていた。違うのは、ひとつ、こりゃ武者震い――だ。
――「いいや、忠告だよ。君は――金貨だけを信じて生きてきたんだろう? だが効率だけで切り捨てたものが、いつか牙を剥く日が来る」
分かったよ……うまくいくなんか、わからねえ。だけど……きっと、あの忠告こそが、俺が針の孔を通せる最大限の選択。神の門をこじ開ける最後の鍵……!
「……逃げ道なんざ、ねえさ」
血に濡れた顔で、俺は笑った。右目は潰れており、視界は半分、それでも背筋は真っ直ぐと伸ばしながら、決意した。
「セレスティア……まだ死ぬ未来が見えてるのか?」
「……見える……もう……変えられない……!」
セレスティアのあどけなくも薄幸そうな顔が、ぐしゃぐしゃになる。
「だったら――未来なんざ、捨てろ」
ピクッ……言葉が、セレスティアの肩を震わせたかのように見える。
――未来を視るから、未来に縛られるんだろ。
――未来を視なければ、今を掴めるじゃねえか。
「んで、俺を信じろ……。全部変えてやる。自分自身にとって悲しい未来なんて……必要ないだろ!」
「欲しい未来があるんなら……人を信じることも……! もう我慢しなくて良い!」
セレスティアがぎゅっと目を閉じた瞬間に世界の気配が、変わった気がした。重力の唸りが遠のき、代わりに心臓の鼓動だけが響く。変わったのは、世界自体じゃない。覚悟を決めるしかない、俺自身のほうだ。
「アルデリオ、お願い……!」
やるだけやるしか、ねぇ。汗が頬を伝い、視界は半分。だが恐怖は、もうなかった。
「……次は右から来るんだろ?」
口の中で僅かに広がる血を啜りながらも、俺は呟いた。
「何?!」
カイエルの顔が歪む。俺へ攻撃しようとする直前の奴が、戸惑っていた。
「そのあと……天井が崩れて、左肩へ落ちる。最後にお前は、こう言うだろう――『お前……セレスティアの領域まで……っ!』とな」
瞬間、瓦礫が音を立てて崩落する。重力球が逸れ、予言通りカイエルの左肩に直撃した。
「……っ! お前……ッ」
それ以上、言葉は続かなかった。奴の表情が更に歪む。わずかに、だが確実に――その余裕が剥がれ落ちていく。
「……馬鹿なっ……! 私の計画は、完璧なんだぞ……っ!」
カイエルは体裁を気にせず、大声を上げた。
「完璧? そんなもの――妄想だろ」
俺は精々陽気な様子で、肩すくめた。
「私が過去も未来を支配する! だからこそ、オマエは生かしてはおけんし、支配の領域などには達させんぞ……!」
荒い息とともに叫ぶカイエルの目は、焦燥と狂気に濁っていた。
「けどセレスティアの能力にご執心だったアンタならこう思わないか……? もう勝てねぇんじゃねぇかって!」
――未来に縋る。過去を恐れ、今を見ない。カイエルは、かつての俺と同じ目を……していた。
かつての俺は、効率と生存だけを信じた。仲間を信じた結果、すべてを失った。だから人を信じず、未来に価値を見出せず……ただ生き延びることだけを選んできた。
多分目の前の怪物と何ら変わらない、いやもしかしたらこのカイエルこそ……以前の俺が望んでいた究極の姿だったかもしれない。
だけど、今は――俺の隣に、泣きながらも立ち向かう少女がいる!
「はぁっ……!」
肺が裂けるほどの絶叫と共に、カイエルの重力球が一斉に膨張した。
黒い光の奔流が壁をえぐり、床を砕き、天井から崩落する瓦礫すら逆巻いて宙に舞う。
ギィィィィ――ン――。
空間そのものを軋ませる音が――ただただ、狂った弦楽器のように悲鳴を上げていた。




