第42話 ダーク・ソウル
寒気と、左頭蓋の疼きで意識が浮上する。 右目は、もはや熱を持った鉛の塊のようだ。
「……気がついたか、兄貴」
ラッツの声だ。 薄っすらと残った左目を開けると、薄暗いアジトの天井と、ランタンの灯火に揺らめいたラッツの顔が見えた。
「……俺のせいだな、全部……俺のせいだ、ずっと認めたくなかっただけだ」
「あ?」
ラッツが素っ頓狂に反応する。
「またあの時と同じように逃げのびてしまった。リナも、俺をかばう必要なんてなかったんだ」
「結局、生き残ったのは、俺とシドだけだ。今はもう、俺だけになっちまって……」
ガラン部隊の過去――リナの幻影が脳裏をよぎる。彼女は花を植えたいと、そう言っていた。
(傭兵なんかやらず、そういう道に進めばよかったんだろうか。今になって、植林なんかに興味が出てきてもしょうがねえじゃねえか……)
「何言ってやがる!」
ラッツが俺の肩を掴む。
「ミレイナが話していた算段じゃあ、あんたがカイエルを止めるはずだったんだ! なのに……!」
ミレイナ……? 先刻覚えた様な違和感、すると俺は自分の中で蠢いている奇妙な感覚に気づいた。
潰された右目だ、当然視界はない。
だが、鉛の塊のような熱の中で、何かが明滅している。光ではない、気配のようなものが。 左の頭蓋が、そのなにかに呼応するように激しく疼いた。
――ズキリ、と痛むたび、ランタンの横にいるラッツの……いや、このアジトにいる仲間たちの息遣いや動向が、掌を握るように理解できてしまう。
なんだ、これは……?
俺は膝をつき、右のこめかみを押さえた。眼球の奥で光が脈打ち、見えないはずの色が形になって流れ込んでくる。時間が重なり、空間が滲むように見える。
確かに、世界そのものが呼吸しているかのように、感ぜられた。
「俺は右目を撃ち抜かれて、失ったはずだ。なのに」
背後で、石礫を踏む音がした。振り返ると、ミレイナがゆっくりとこちらに歩いてくる。軍服は裂け、左腕は血に濡れていた。
「零機構計画……それは、リナが研究していた遺産なのよ」
ミレイナの声は見た目の傷ましさに反して静かに、芯のブレを感じさせない。俺は尋ねた。
「零機構計画……?」
「あなたのその右目、研究の副作用なの。私もその研究をしていたから分かるわ、リナと一緒にね」
「リナが? まさか」
俺は息を詰める。ミレイナは首を振った。
「最初は純粋な願いだったの。リナは緑を増やしたいと思っていただけなのよ。ある荒れ果てた地上に、光を芽吹かせようとしていた」
「植物の光を感受する神経構造に応用すれば、人間も超感覚を持つことができる。そう評議会が解明したの。そこから、欲望の渦ともいえる諍いに彼女は巻き込まれることになった」
「どういうことだ? 俺の目とリナがしたかった植物の研究が……何の関係がある?」
まるで謝るかのようにミレイナが答える。
「人間の眼という器官の成り立ちの話よ、もともと視神経は植物と同じ、光受容体から発展した器官らしいわ」
「聞いたことのない眉唾な話だ……」
俺は訝しむ。
「でも……評議会の科学はそういうものだと分かって来たんじゃない? いずれにしろ……そんな因果で弾丸があなたの視神経の光受容体に侵食したのよ」
「それが零機構計画の副作用、リナだってはじめは純粋に緑を増やしたかっただけのに――皮肉にもね」
リナの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「リナの死後、研究は方向転換して奪われたの。いいえ、ガラン部隊への配属とその殉職も無関係だったとは思えないわ」
「はぁ……?」
そんな……ことが……? 一体どんな思惑の混沌が俺たちの身に降り掛かってしまったんだ……?
「いずれにせよ……研究は、セレスティアの未来視を補助する装置として転用された。彼女の理想は、未来を予測し支配する兵器へと変わっていったのよ。人間の脳に侵食して観測の網を生やし、時間そのものを演算するための……」
俺のこめかみの奥が熱くなった。世界の光と影が、時間を越えて流れ込んでくるこの感覚。
「全く……刻限だか零だか知らねぇけどオルビスって組織はとことんくだらない集まりなんだな。じゃあこれはリナの夢、もといガラン部隊の残骸って訳かよ」
声が自分でも驚くほど低かった。
ミレイナは首を横に振りながら声を振り絞った。
「リナは最後まで人のためにを考えていた。彼女は、ずっと他者を理解できる世界を信じていたの。あなたの右目に残った感覚は、その証」
俺は立ち上がり、血に濡れた手で右目を拭った。
「……リナの理想が、俺の目を奪ったんじゃない。奪ったのは、神に成り代わろうという粋がった傲慢さ、か」
右目の奥で、微かな拍動が聞こえた。痛みでも、幻でもない。まるで、世界そのものの心臓が、俺の神経に触れてくるような感覚。
ミレイナの眼差しにラッツが静かに頷いていた。リナの研究、そしてその副作用が……俺にこの能力……? をくれた。
そう得心した瞬間、脳内にまたもや、あの声が響いた。ユクスの諭すような、助言が。
――(君は――金貨だけを信じて生きてきたんだろう? だが効率だけで切り捨てたものが、いつか牙を剥く日が来る)
――(君は、人間だよ。今はそれだけ、理解していれば良い)
ホントウは分かってた。ずっと気づかないフリしてただけだ。失った痛みの方が、信じた温かさより勝っていたから、目をそらしていただけだ。
正しい答えは最初から目の前にあったってのに、 答えなんて、とっくに分かってたのに。
漸くあの路地裏のじいさんの言葉が蘇る。
――(人を――信じるってのはな……。捨てたもんじゃねえからな)
信じるってのは、傷を恐れないことじゃない。傷を負ってでも、前に進むことだ。
「そうかよ」
俺は、熱を持つ右目の奥で揺らめく気配に意識を集中した。
「まだ、何にも終わっちゃいねぇんだな」




