第32話 デウス・エクス・マキナ(後)
「昔の話だよ……私たちが子供の頃、評議会の大人たちは錬金術に夢を見て、賢者の石だ何だと大真面目に騒いでいた。鉛を金に変えられると、な」
かの声は遠い記憶を辿るように柔らかくなった。窓の外の光が、かの唇の動きを白く縁取る。
「オルビスが小さい組織だった頃、錬金術師の集まりだったのは有名な話だ……で?」
俺は手で空気を切るようにして言う。
「いつしかオルビスは錬金術師の集まりから科学を発見したことにより大きく変化する。錬金術は科学に、科学は支配の理論に、それを手にしてから組織は大国すら飲み込む最大の軍政機関へと膨張した」
ユクスは過去の変貌を、どこか哀惜を込めて語っている。
「科学? 錬金術が名前を変えただけだろ?」
俺は鼻を鳴らし、半ば嘲るように応じた。
「ああ、そう思ってもらって構わないよ。問題は、錬金術師の組織だった時分から評議会がずいぶん強引にやってきた所業にあるのだ。今は勝者だからいいが、振り返れば犠牲にしてきたものがいっぱいある」
ユクスの声には、勝者が抱える重さと、勝利の裏に転がる無数の犠牲を数える冷徹さがあった。
「ふん。身をもって知ってるぜ、評議会がきれいな組織じゃねえってのは、な」
俺は肘を机に乗せ、顎に手を当てる。外面の大きさと内面の腐敗を並べてみせるその対比に、少しだけ思いをはせながら。
「当時の競い合う世界ならまだしも、今の支配が盤石になった組織には邪魔になったのだ、血塗られた歴史がね」
ユクスの握りしめた、その指先が白くなっている。
「評議会は都合が良く無い歴史を修正して後腐れなく、世界を支配したいのだ。戦犯としての傷を消して正統性ある組織としたいのだよ」
その言葉は策謀の宣言であると同時に、自己弁護の呪文にも聞こえる。かの眼差しが揺れ、どこか遠くを見る。
「……詰まらない世界だね。んなもん、ただの巨大な人形劇だ」
俺は言い切った。言葉に含まれる軽蔑は、これまで抱えてきた怒りを押し出すブレーキでもあった。
「私も……そう思っていた。だがもはや、組織は止まらない、彼はセレスティアを、いや世界の未来そのものを犠牲にしようとしているのだ!」
ユクスの声が昂り、カタカタと僅かにテーブルを揺らした。
「あんたが変えたい過去ってのは、親友を止めなれなかった後悔そのものかよ?」
俺の問いは単純だが的確に、だが核心を突いたように感じた。
「そうだ! 私こそが原因なのだ! 全部こうなったのは私の責任……」
ユクスの叫びは、窓の外の静寂もかき乱す。彼の顔は赤くなり、血管が浮いている。そのユクスの叫びに、俺はふとセレスティアの虚ろな目を思い出す。
「……だったら! セレスティアのあの目はどういうことだ? まるで急に、心を殺されたみてえじゃねえか」
「……シドの件で新しい未来視の更新があったと聞いた、それで心的外傷を受けて心を閉ざしてしまったのだろう」
「……?」
俺はユクスが感じ取れないほどに、僅かだけ首を傾げる。なんとなくは理解できても、実際の人間の変化を想像するのは別だ、何らかの専門用語なんだろうが、それを流す。
「能力の副作用というやつだよ、結局は君が感じた通りだ。未来視、便利すぎるその力の代償こそ、人格の摩耗なのだ」
ユクスは手を広げ、顔の前で小さく震わせる。
「……それで感情をなくしていたってわけかよ、聖女なんて聞こえはいいがやっぱり実験体のひとつって訳だ」
自分でも驚くほど、その声に不意に怒りと侮蔑が入り混じった。
「セレスティアの力は、未来を『視る』だけではない。無数に存在する未来の可能性の中から、最も確からしい未来を『引き寄せる』力だ。そしてカイエルが研究した『クロノコア』は、その力を強制的に増幅させ、オルビスにとって都合の良い正史へと固定する計算装置」
ユクスは想像図のような紙面を指さした。だがその指先の先にあるものは、冷酷な計画の設計図でしかない。
「それで過去をいじれるって? 簡単な話だ」
俺は眉を寄せながら皮肉を言う。
「絶対速度に近づけば近づくほど、あるいはソレを超えられれば時間が歪む。だが未来を覗けても過去は掴めない。だからクロノコアがいる、過去を改変するには、別の枠組みが必要だと評議会は模索しているのだ」
ユクスは手で空に線を描いた。机の前の書物、そこには、理解不能な数字の羅列と、万物を構成するという弦のようなものが描かれている。
ユクスの指先が微かに震える。俺は眉毛が揺れるほどに皮膚を吊り上げた。
「いい加減この旅の中で実感したぜ、確かにセレスティアは未来が見えているってな!」
「そう……簡単に言えば確率のもつれだ。観測していなければどっちの可能性もある状態、そんな無数の可能性を見比べ、最も自分に相応しい線を固定するのがセレスティアの未来視の本質なのだ」
ユクスの説明には信念と疲労がありありと溢れており、すっかりその気に充てられて俺自身疲れてきてしまった。
説明はとっくに俺の理解を超えていたが、セレスティアがどれほど非人道的な負荷を強いられているかだけは、嫌というほど伝わってきた。ユクスは最後に、すがるような目で俺を見る。
その視線には懇願と絶望と希望が複雑に交差していた。俺は一瞬、金と位階以外の何かを求められている気がしたが、それを認めるかどうかは俺次第な話だ。
「アルデリオ=シグマ。君をこの計画に巻き込んだのは、カイエルと同じ地獄を知り、それでも人間性を失わなかった君にしか、奴は討てないと判断したからだ。君の旅は、私の最後の賭けだった」
その言葉はあたかも有罪宣告のようだった。部屋の空気が一変し、時間がほんの少し遅れるように感じられ、精神の軌跡はひたすら心中の横隔膜を震わせる。
「都合のいい頼みなのは分かっている……頼む。セレスティアを……いや、あの哀れな怪物を、止めてはくれまいか」
ユクスの声は傷ついた者の懇願であった。言葉の最後が震えるのは、自分の信じたものを裏切らねばならない恐怖からだろう。
俺はわざとらしく大きく息を吐いた。その動作は虚勢であり、本心ではない。だが無関心を装うことで、自分のちっぽけな虚栄心を守っていた。
「ようやくここまで来て!……冗談だろ? 俺が求めるのは金と地位だ。ガキや議長なんざ知ったことか」
俺は鼻で笑い、声を荒げた。相手の懇願を突き放す。
「……そうだったな……」
ユクスの声には諦観が混じっている。
「……茶番は終わりだ、ユクス! 俺はあんたの駒として、言われた通り荷物をここまで届けた」
立ち上がった瞬間、椅子が少し後ろへ倒れかけ、その金属音が部屋の静寂を割る。
「俺が求めるのは……そうだ、この前アンタが言ったとおり、過去を変えられるなんて、こっちからしたら願ったりかなったりなんだよ」
――(誰だって……変えたい過去がある。私とて……君だって、そうだろう?)
「アンタにとって変えたい過去って……一体何だったんだよ?」
ユクスの肩がびくりと震えた。俺は彼を一瞥し、そして鼻を鳴らしながら的当て用の矢を手に取った。
「……馬鹿だねえ、アンタも」
俺はそうユクスに啖呵を切りながら、壁に設置された的に向かって矢を投げる。
高速で放たれた矢は真ん中を大きく外れて、鈍い音を立てて壁に突き刺さってしまった。




