第30話 アルカディア総督府
どのくらいシドの動かなくなった肉体を見下ろしていたのだろう。外から物音がしてくる、どうやら護衛パーティ連中の奴らとセブンフロアの連中が到着したらしい。
俺は見つかるはずもない、冷えた感情の住処を探り続けて呆然と立ち尽くしていた。
「シドを倒した、か」
ヴァンダルがあっさりと尋ねてくる。
「――ああ……ここまで来たってことは、そっちも一段落ついたってことだな」
俺もそれに答える。
「ええ~、残党はまだいるけど私たちの脅威になるほどではないわぁ」
「そうかい」
俺は明後日の方向を見つめながら、何も思考出来ていなかった。
「しかし本当に一人で倒しきるとはな、アルデリオ=シグマか」
「実力は本物だと証明したわねぇ、アルカディアで上層部に報告するのが楽しみだわぁ」
「……」
何か反応した方が良いとは思ったが、言葉が喉に張り付いて口から音が出なかった。
「アルマ! 大丈夫だったよね!?」
残骸を踏みしめて駆け寄るセレスティアの顔は蒼白だった。瞳は影を纏いながら潤み、震える手が俺の肩に触れる。
俺の無事が予め理解しているような聞き方だったので、ささくれ立った心臓がさらに強い心音を放った。
「……仮面が割れたくらいだ。見りゃわかるだろ、無事だよ。シドは、俺が殺した」
その言葉に、彼女はわずかに目を伏せる。唇が震え、言葉を探しているようだった。
「そう……アルマが負けるわけないのは分かってたけど……」
「――いや、お前ももうアルマと呼ぶ必要はない」
「え……?」
俺は血に濡れた破片を蹴飛ばし、剣を腰に戻す。そしてゆっくりとラッツ達に歩み寄っていった。
「おいラッツ、仮面がなんだとか言ってたな。これが俺の素顔だ」
「アルデリオ……アルデリオ=シグマだ」
俺の切り出しにすかさずガリウスが反応した。
「……アルデリオ=シグマ!? どうりで強いわけだ……旦那、傭兵として名が通り過ぎているぜ」
「悪い評判、だろ? 悪かったな、素性を隠していたりなんかして」
「そりゃあ――確かにこの瞬間まではアルデリオ=シグマにいい印象は持っていなかった……だが今はもう、関係ない。アルデリオの兄貴、あんたは大した男だ」
「……そうか」
名を明かしたことで、場の空気は妙な熱を帯びた。敵を倒した直後の興奮と安堵が入り混じり、兵士たちはざわめき、ラッツは尊敬の眼差しを投げてきた。
だが――セレスティアだけが違った。
彼女は皆の喧噪を背に、ひとり静かに俺を見ていた。その横顔に、疲れと微笑みと、そして奇妙な不安が同居していた。
やがて彼女はふっと目を閉じ、まるで無意識のように両手を胸に重ねる。
数秒、そして目を見開いた。
「え……? そんな……ウソでしょ……こんなことって!」
掠れた声が発火した炎の残滓が如く、極めて僅かに揺らめいて……途切れた。
俺が呼びかけるより早く、セレスティアは表情を閉ざし、腕を抱きしめるように身を縮めた。心を塞ぐ鉄扉が、音を立てて降りたようだった、が。俺は強烈な違和感があったのにも関わらず、務めて掘り起こそうとはしない。
ああ――疲れた、よ。
シドが残した最後の言葉と、燃え盛るオルフェインの黒煙。その全てがおよそ悪夢だったかのように、街は夜明けと共に静けさを取り戻し始めていた。
それでも、俺の耳には焦げた木材が崩れ落ちる音と鼻を衝く焼けた匂い。静けさは訪れても、心のざわめきは沈まりやしない。
◇◆◇
後処理をセブンフロアの本隊に任せ、俺たちは夜が明けた直後にオルフェインを発った。ヴァンデルたちが手配したオルビスの私兵も護衛に加わり、俺たちの部隊は来た時よりも大所帯となっていた。
雨に洗われた街道を進み、翌日には荒野を抜ける。さらに幾つかの宿場町を越えていく護送の馬車は、車輪の軋む音だけを響かせ、その単調なリズムだけが、ただ時間の経過を知らせていた。
「セレスティア、疲れてないか」
俺の問いに、返事はない。
ただ、肩が小さく震えただけだった。声を出そうとしたのか、あるいは呼吸を整えただけなのか分からない。
シドの死の顛末を聞いてからというもの、セレスティアはほとんど口を開かなくなっていた。ただ虚ろな瞳で窓の外を眺め、そのガラスに映る自分の顔を無感情に見つめている。心をどこか遠い場所に置いてきてしまったのだろうか、その存在感はひどく希薄だった。
俺の声が届かない距離に、彼女は自らを閉じ込めている。
兵たちは彼女を聖遺物でも扱うように遠巻きにし、ラッツは痛々しいほど明るく冗談を飛ばしては空回りした。
焚火の前で笑って見せても、炎に照らされた横顔は無理に引きつった能面でしかなかった。
俺はただ、馬車の揺れに身を任せ、縮まっていく目的地までの距離と、反比例するように重くなっていく空気を感じていた。
◇◆◇
旅立ちから幾日も経った頃、乾いた平原の先に、天を突かんばかりの白亜の塔が見えた。
アルカディア総督府。オルビス評議会の中枢、総本山だ。
街の門をくぐると、外の世界の喧騒は完全に断絶された。人々は感情を殺したように行き交い、塵ひとつない歩道が、この街の異常な秩序を物語っている。
規則は人を守るためにあるはずなのに、ここでは規則に支配され、人間味を剥ぎ取られていた。
護送兵に導かれ、俺たちは巨大な庁舎の一室に通された。
どうやら護衛パーティのやつらとはここでお別れ、ということらしい。望んで組んだ関係ではなかったが、道中の波乱を通じてそこに奇妙な連帯感が生まれたのを、柄にもなく微かに感じていた。
「また組もうぜ、アルデリオの兄貴。あんたみたいな腕利きと一緒なら、どんな仕事も悪くねえ」
そのラッツの言葉に俺は僅かに舌を鳴らした。
「……もう少し実力をつけてから言ってほしいもんだ。お守りは疲れるんでな」
「はっ!」
ラッツの乾いた笑いにガリウスが被せる。
「俺たちはコンビで仕事しているからな、今度組む時も一緒になるかもしれん。そのときはよろしく、旦那」
「あなたたちの相手は普段の仕事よりも疲れました。今回の依頼は報酬が何割も増してもらわなきゃ割に合いませんね……セレちゃんもお別れだけど大丈夫? 親御さんはもう来ているのかしら」
「うん……大丈夫だよ。ミレイナも元気でね!」
◇◆◇
長い旅の疲労がまだ身体の芯に残っているというのに、あいつらと別れ固い扉が閉ざされた瞬間、この部屋だけが世界から切り離され、時間が止まったように感じた。
石壁は分厚く、窓は高い位置に小さく穿たれている。逃げ道を思わせぬ構造は、待機室というより監獄に近い。
待機室、という名目だった。机の上には、評議会の紋章が入った封筒、古い羊皮紙の地図、そして鈍く光る真鍮の鍵。
椅子に腰を下ろすと、全身が鉛のように重くなった。脳裏に焼き付いたシドの最期、そしてセレスティアの虚ろな目が、瞼の裏でちらついて離れない。そのとき、扉が静かに開き、落ち着いた声が落ちてきた。
「まずは礼を言わねばならない、アルデリオ。君は私の想像以上に役目を果たしてくれた」
その声は俺を護送任務に引き込んだ張本人、ユーリ=クラウスの声だった。
その声色には相変わらずの冷静さがあったが、足取りには重さがあった。部屋の空気がわずかに揺れ、彼の存在が中心を支配していく。
それまで止まっていた時間が、動き始めた。




