第28話 汚れを洗うための穢れ
まもなく旧監獄の広場に辿り着くと、そこは不気味なほど静まり返っていた。
崩れた石壁の上から、黒衣の影が降り立つ。両の拳に鉄の籠手。さらに背には、黒光りする長剣。
「……よくきたねぇ、アルデリオ」
シド=ヴァロンの声。かつて己の部隊を壊滅させた裏切りの元凶。
「かくらんはエルネスのさくだろう?いまいましいが、アルデリオがかかったのなら、まあよしとしよう」
「お前の計画は失敗したんだよシド……! お前はここで斃れ、セレスティアは総督府に無事にたどり着く。俺は忠告したはずだぞ、二度と会うことのないようにってな、学習能力のなさは相変わらずだな」
「ひひ、かわらなかったのはおまえだよ、アルデリオ。さんねんまえのおれとはちがう、けんをまなんだ!」
俺の言葉を遮った瞬間にシドが動いた。地を蹴る速度が、俺の予想を超えていた。拳がまず襲い、鉄の衝撃が腹に刺さった。剣を抱えた左腕がしなる。音が脳の奥で砕ける。息が詰まる。
「ぐ……」
考えるより速く、次の刃が脇腹を裂いた。血がぱっと噴き、服が赤く滲む。打撃と斬撃、直線と曲線。シドの戦法は、あたかも二人が武器を同時に振るうようだった。つまり、常識が噛み合わない。
「ひひひ! どうした、あるでりお!」
拳が再び押し寄せ、剣が跳ね上がる。肩口を掠める刃に、冷たい衝撃が走る。足がもたつき、膝が笑う。体勢を立て直そうとした瞬間、盾のように構えたはずの剣が弾かれ、散乱した廃材に突き刺さった。俺の手に伝わる感触が、視界を揺らす。
「まだわからないのか! がらんぶたいがなんだったのかを!」
「黙れ……!」
「えいゆうなどではなかった。ひょうぎかいのための、つかいすてのどうぐ! よごれをあらうための、さらなるケガレ! おまえも、おれも!」
言葉が襲う。説明ではなく、刃の代わりの殴打として胸をえぐる。耳鳴りの中で、俺はあの日の炎の匂いを思い出す。仲間の顔が、頭蓋の奥で震える。俺はその後効率や拝金に生きることで、あの選択を正当化してきた。
そんな一瞬の動揺、それが決定打になった。シドの鉄拳が鳩尾へ食い込み、体が宙を描く。
「っ――!」
石壁へ叩きつけられる。肺が焼けるように痛み、喉に鉄の味が広がる。立ち上がれない。指一本動かすのさえ億劫だった。
シドが歩み寄る。歓喜がその輪郭を歪める。
「そうだ……そのかおだ、あるでりお。なにもまもれず、なにもなしとげられず、かこのぼうれいにおびえる――それがおまえのほんとうのすがただ」
「何を……」
違う。俺はラッツに託した。セレスティアを守らせると約束した。過去を終わらせるための行動だ。だが体はいうことを聞かない。言葉は彼の針になり、胸をえぐる。
「ここで、さようならか?えいゆうさま。こんどこそ、ほんとうのじごくへいったほうがいいのかもなぁ」
シドが長剣を振りかぶる。銀の刃が炎を反射し、世界が一点だけ鋭く光る。迫りくる刃の先、その冷たさが視界を占める。死が、じりじりと匂ってくる。
「はっ……」
俺は思わず笑みがこぼれる。
「なんだ……シド、てめえだって過去に後ろ髪引っ張られているんじゃねえか」
「なにぃ……!?」
俺はシドの強張りを見逃さなかった。
その瞬間、理性より速く、身体が動いた。突き刺さっていた剣を抜き、相手の胸へ斬り込んだ。鋼が肉を裂き、黒衣に赤が広がる。シドの膝が軋み、彼は残骸の隙間に崩れ落ちた。
(終わった、か)
血が掌に冷たく広がり、膝が緩んで息が戻る。剣を破片の山に突き立て、しばらくの間、世界は安堵で満ちた。胸に張り詰めた弦が切れたように力が抜ける。目の奥が熱くなり、低く笑いを漏らした。
「……くたびれたぜ、ひさしぶりに……な」
その声は、まるで重荷を下ろした時のものだった。俺は剣を柄に戻す仕草をし、膝をついて呼吸を整えた。手の平に残る血の感触が、現実を釘付けにする。
だが、完全な静寂は訪れない。微かな砂煙が視界の端で、血で濁った片目を開かせた。
「――あわてるなよぉ、あるでりお」
その声は、安堵の余韻を一瞬で割った。俺は瞬時に振り向く、視線の先に割れた破片を蹴る音がして、シドが立ち上がる。
「くく……まだゆめをみているのか。ひょうぎかいのどうぐでしかなかったおれたちが、なにをまもるという?」
彼の口調は嗤いを含み、刃よりも深く刺さる。だが安堵の時間は短すぎた。俺はすぐに剣を抜き直し、構える。
「隙を見せたのはお前だろうが……ってことは図星だったんだろ?……三年前、一体何があった?」
「ひひひ、にんげんをしんじるなどむだだ。うらぎりとさくしゅしかない、このせかいで」
拳が脇腹をえぐる。声と衝撃が同時に襲ってくる。痛みは言葉の骨子を打ち砕き、思考を曇らせる。
「要領の得ないことばかり!」
「ああ、そうだ! おれたちがしょうめいした。なかまはしに、りそうはやけおち、けっきょくいきのこったのはおまえとおれだけだ!」
「そうだ、生き残ってる。そして俺は奴らを一時的に信じた。失敗や裏切りも、すべて抱えた上で利用してやるつもりでな!」
「しんじる? おろかだな。またはんだんをあやまれば、ぜんいんしぬ。にんげんはかならずうらぎる。かならずうばう。かならずみすてる!」
「まだ、きづかないのか、アルデリオ! おれたちだけが、それをただす! そのしめいをせおっているんだぞ!?」
拳が頭を打つ。耳が鳴り、視界が歪む。シドの台詞には、確かな体験の重みが宿っている。
「……俺たちだけ、か、どうやら過去に縛られた俺は、お前みたいに化け物みたいになっちまっていたのかも知れんな」
俺の言葉にシドの声が、切れ端のように歪む。
「ばけもの? ちがう、ぎゃくなんだよ、アルデリオ! おれたちこそが、にんげんなんだぁ!」
その一言が、心臓の何処かを弾いた。血の匂いが、かつての記憶の匂いと混ざる。仮面は重い。だが同時に、仮面は俺の誤魔化しでもあった。
この仮面は、俺の防壁だ。感情を殺し、誰とも関わらず、ただ任務を遂行しやすくするためだけの殻。だが、もう必要ない。こんなものを被ったままじゃ、あいつらの痛みも、熱も、まともに感じ取れやしない。
指が留め具を力の限りに捻る。金属音がやけに大きく、埃が舞い、仮面が外れる瞬間、頬を撫ぜる冷気が直接肌に触れた。同時に、胸の奥で燻っていた全身の血が一気に沸騰するような熱を感じる。
「シド! 御託は――もういい」
俺は顔を露わにした。素顔は泥と血で汚れているが、確かな肌の熱が戻る。目に浮かぶのは、ユクスの言葉、ラッツの笑い、セレスティアの小さな手のひら。仮面の裏に封じた温度が、砂の匂いと共に溢れ出す。
「……ッ」
シドの眼が、わずかに揺れた。その瞬間を逃さず、俺は刃を振るう。金属が金属に触れ、火花とともに衝撃が走る。剣の切っ先が相手の脇を裂き、血がまた散る。だが今度は、ただ殴られ続けるだけの存在ではない。仮面を脱いだことで、痛みや歓びも全部受け入れる覚悟が生まれている。
刃と声が交錯するたびに、俺は確かめる――守るとはなにか、人でいるとはどういうことか。言葉だけでは解けない命題を、刃で引き裂きながら探ろうとする。
「……シド。どうやらお前を倒すことでしか、俺は俺を全うできない。清算させてもらうぜ、すべてな!」
「ひひ、ほんきをだすか!? アルデリオ! いいだろう、そこまでおれをひていするというのならば! もうここでけっちゃくといこうじゃないか」
「てめえが意味わかんねえことをほざき続けるからじゃねえか、シド! 止まりてぇならこれが最後だぞ!」
「はじをしれぃ!アルデリオ!」
瓦礫の中でふたつの影が動く、俺たちの打ち合う鈍い金属音だけが、監獄の広場にこだましていたのだった。
お久しぶりです。いろいろと更新時間など工夫しており、ご迷惑おかけしておりますが、少ないながらもPV微増の上昇トレンドなっておりうれしいです。




