第16話 暗闇を駆け抜けて
「敵襲かもしれん! 全員警戒しろ!」
セレスティアの予見により準備ができた分、俺は叫ぶことができた。
木々が流れ、月明かりが滲む空間に茶色の外套が立っている。焦げ跡と泥にまみれた布の裾が、夜風に重く揺れる。背後には七人の影が見えた。
「……!? 何が何だか分からんが! 構えるだけ構えるぞ!」
ラッツが弓に手をかけた瞬間、二つの矢が交錯して飛んだ。ひとつはガリウスの脇腹に突き立ち、もうひとつは奴らが持っていた荷袋を裂く。
――転がり出たのは、さっき街道へと置き去りにしたはずのハイドン=クレーヴァスの頭蓋骨だった。
「そんな……なんで!?」
それを見たミレイナの声が震える。
外套の男は淡々と、転がり落ちたハイドンの頭蓋骨を踏みつけた。骨が砕けたようで、粘性がありそうな極めて湿った音を返す。
剣先が地面に突き立ち、そのまま押し込まれようとする。
「悪趣味なヤローだ……! 好きにやらせるかよ!」
俺は飛び込んで、刃を払う。火花と金属音。奴はわずかに下がり、不気味に笑った。背後から四方の影が迫ってくる。
「――走れ!」
俺は馬車に飛び戻り、御者台に入ったラッツが鞭を打つ。馬車が軋みを上げ、土煙を蹴り上げて森に突っ込んだ。
「右だ、踏み込め!」
車輪が根を飛び越え、森は漆黒に飲み込まれる。振り返れば、外套の男は動かず、馬から降りて、ただ大岩に片足をかけてこちらを見ていた。
「シド……ヴァロン……」
セレスティアの声が低く落ちた瞬間、胸がざわついた。聞き間違いでは、ない。
「あ……?今、何て言った……?」
「が……!うぅっ……」
俺の質問を遮るように馬車の床板が揺れ、鉄の留め金が鳴いた。
ガリウスは背もたれに押し付けられ、ミレイナが必死で傷口を押さえている。血の匂いが湿った夜気に混じる。
「ガリウス大丈夫かよ! くそっ! あいつは何だよ!?」
「……野盗は出ないんじゃなかったか?」
「ああ、今まではそうだったよ! けど、現にやばい奴らに追われてる!」
ラッツが叫んだのも冷静に「まぁ良い。今は振り切ろう」と俺は短く返す。
木々の間をすり抜けるたび、枝が頬や肩を叩く。矢は飛んでこない――が背後で蹄の音が響き始めていた。
この一定のリズム、まだ追ってきているな。セレスティアが俺の腕を掴んだ。冷たい指先。
「アルマも、あの人を知っているんでしょ?」
「――誰が」
「見えているの。シドの剣と……アルマの剣先が、血で重くなる光景」
シ……ド……?
あの茶色い外套の男が、シド=ヴァロン……だっていうのか?
「見えてるだと? 何が言いたい?!」
「このままだと、私たち以外が犠牲になる」
「助けてあげて!」
心臓が跳ねる。俺の役目は護衛だ。このまま逃げている方が良い。だがこいつは「このままだと」と言った。
と、すると――。
「良く考えてみるんだ。自分自身も、命取りになるんだぞ」
俺は低く言い「だけど」と食い下がる彼女の手を振り払った。だが、その一瞬の逡巡が馬車を揺らす。根に車輪が乗り上げ、軸が悲鳴を上げた。
「落ち着けよ! くそっ! ガリウスならよぉ!」
ラッツの怒声。その時――前方の闇中の隙間、木々の途切れる場所が見えた。そこを抜ければ街道に戻れる。
だが同時に、背後の蹄音が加速した。月明かりがちらりと差し込み、振り返れば、外套の男――シドが部下たちを従え、距離を詰めてきていた。
奴をまじまじと確認する。瞬間――頭蓋の奥の爆炎の記憶が、無理やり開かれるように脳裏を駆け抜ける。
――間違いなく、シド=ヴァロンだ。
シドめ、ふざけやがって……。
それに、セレスティア――俺は舌打ちした。こいつを抱いての戦闘は本気を出せない。しかし、それでも……!
「ラッツ、手綱をしっかり握ってろよ!」
「はあ!? 言われなくても……って?! アンタ! 何する気だ!」
「時間を買う。お前らは街道を走り抜けて街に入れ!」
「予定では立ち寄らずに突っ切るつもりだったが、追いつかれても面倒だ! ここで食い止めて、オルフェインで合流する!」
返事を待たず、俺はセレスティアを抱き上げて俺は馬車から飛び降りた。膝を突き上げる地面が、振動を伝え、土埃を舞わせる。
「きゃっ……!」
「置いておいたほうが楽だが、万一でもお前を失うわけには行かないからな」
「……うん」
振り返れば、暗黒の隙間からシドが迫ってくる。部下たちが馬を操り、半円を描くように包囲を狭めていた。
「ここで止まりな」と言い放ち、俺は腰の剣を抜き放った。銀の刃が月光をはね返し、森の影を照らす。
先頭の男が槍を突き出したが、難なく斬り払う。横から飛びかかった影を、回転しながら蹴り倒す。息を整える暇もなく、次の矢が頬をかすめた。
「無駄だ」と俺は吐き捨てながら切り結ぶ。
部下がやられていても、シドはまだ馬上から降りない。口元に笑みを浮かべ、俺を見下ろしている。その眼差しには、昔から知っている者だけが持つ、言葉より重い何かがあった。
「かおをかくしていても、おれにはいみないよぉ」
「アルデリオ。やっぱりつよいなぁ」
心の奥をなぞるような声。だが答える必要はない。俺は刃を振るい、接近してきた敵の腕を骨ごと叩き割った。悪いが、命の補償もなく完膚無きまでに。
背後で、馬車の車輪が土を蹴り上げて遠ざかっていく。
その音が途切れて聞こえなくなるまで、どこまでも敵を間引き続けた。




