第15話 灰の屍
「――止まれ」
数刻ほど馬車の揺れに身を任せていた頃、街道の木々が途切れるあたりで、湿った土の匂いに違和感を覚えて俺は手を上げた。
ガリウスが手綱を引き、馬車は軋んで止まる。前方に横たわる影。灰色の鎧、凹み割れた胸甲、背中に突き出た刃。白濁した眼は空の一点を見たまま動かない。
「おい……大丈夫か!息は……!」
ラッツが言葉に詰まりながら、生死の確認をする……遠目で見た感じだと、望み薄だろうがな。
「死人か?」
「まじか、死んでるぞ……」
「ホント……?」
セレスティアが口元を押さえ、震える声で言った。
「なんでだ?野盗の仕業か?……ラッツ?」
ガリウスが低い声で問うた。普通はそう考えるのが自然だろう。
だが屍体の顔を確認した瞬間、体の芯が冷えた。
――灰の鋼、ハイドン=クレーヴァスだ。
こいつは、俺が義肢を粉砕して再起不能にしたんだ。医務室のベッドに寝かされて、起き上がるどころか水も自力では飲めない状態じゃねえのか?
「俺は……俺は!……こいつを知ってる!」とラッツが堰を切る。
「こいつは……!灰の鋼だ……!」
ラッツの声は震えていた、俺も心中で問い続ける。なぜ灰の鋼が死体に? まだ、あれから二日も経ってない……はずだが。
「灰の鋼、だと? 確かか? 何でこんな所で……」
俺を横目にラッツとガリウスで会話している。道の中央の放置に加えて、遺体が灰の鋼ってのは偶然の一致とは考えづらい。
俺たちを狙い撃ち。ユクスが一枚岩ではないと言ったのは、こういう理由か?
「分からない……。だけど灰の鋼が!一介の野盗なんかに、やられるとは考えづらい」
こいつは灰の鋼を高く評価し過ぎだと思うが、まぁ同情はするぜ。俺にダメージを与えられてなきゃ、それなりの実力者のこいつが、殺されることもなかったんだろうからな。
「どうでも良い、死体なら回収は出来まい。ガリウス進んでくれ」
「あ、ああ――了解した。ラッツ、ミレイナ戻ってくるんだ」
ミレイナ、というのがこの女の名前らしい。
そのミレイナは冷静に俺に語りかける。
「発見してしまったので我々には報告義務が発生していますよ?」
「もし――第二発見者から、私たちが疑われたら?」
「安全が確保できるなら、対処して損はないと思いますが?」
「……出来ればな。けど今は、その哨戒にもリスクが発生しているんだ」
俺はミレイナに、人差し指を突きつけながら短く放言し、セレスティアの顔を見る。どうやら顔色に変化は無いようだ。あんまり護衛対象に、負担はかけられ無いからな。
それに勘では、俺たち二人を狙い撃ちにしている。警戒は怠れない。
ガリウスは馬を落ち着かせながら低く言う。
「馬も怯えてますな。長居は危険ですぜ」
俺はチラッと凹み切った胸甲の刻印と、刃の欠け方を確認する。金属が歪むほどの打撃痕、か。そんな芸当できる奴は限られるはずだが……な。
その時、ラッツが死体を動かそうと駆け寄ろうとした。俺は肩を掴んで引き止める。
「動くな。まず周囲を見ろ」
「そう遠くない場所に、それを作ったやつがいるかもしれない」
「悪りぃ!けど……死体を道端に置いて行くなんて、俺には耐えられない!」
……ち。仕方ない、好きで野晒しになる奴なんていないからな。
「手早くやるぞ、安全が最優先だ」
「……あ、ああ!」
ミレイナは荷台から弓を取り出し、矢をつがえる。普段は帳簿なんかを抱えてる女なんだろうが、度胸は座っており手際も早いじゃねぇか。
セレスティアが低く呟く。
「罠で……殺されたんだよ」
俺は人差し指を立てながら、セレスティアを制した。
「静かにしておけ」
「お前の言う通り、あり得る話だ……。死体は餌にもなるからな」
俺は森の端を歩き、茂みの影や地面の足跡を確認した。踏み荒らされた跡はあるが、乾いている。血の匂いはもう薄く、虫だけが群がっている。
耳を澄ませても、風と馬の鼻息しか聞こえない。……とりあえず、今は安全そうだ。
「周りは異常ないようだな。だが長居をする必要もない」
そう告げると、ラッツが遺体のそばに膝をつき、ミレイナは落ち着いた声で言う。
「最低限の礼で充分でしょう。進むことも考慮すべきですから」
セレスティアは目を閉じ、小さく祈っている。
ガリウスとラッツが遺体を茂みに移し、外套で覆う。
長い沈黙。
馬の蹄が、土を掻く音だけが響く。俺はその音と自分の鼓動を数えた。――一、二、三。
◇◆◇
辺りは段々と暗くなり始めていた。
ガリウスが小さく手綱を鳴らして、全員を乗り込ました馬車がゆっくり動き出す。木々の影が流れ、車輪の揺れが体全体に伝わる。
「アルマ……」
唐突に、セレスティアが低く呟く。
「右の角、曲がった先に……誰か、いる」
俺は反射的に視線を向けるが、その位置は森の影に隠れ、見通せるはずもなかった。
「見えるはずがない」と言いかけて、舌をしまう。
昼でもない暗黒の世界の最中、分かるはずがない。だが未来を覗く聖女……か。
「知った口を叩くな。進むぞ」
そう告げた瞬間、空気がわずかに重くなった。
呼吸が耳の奥で響く。
次の瞬間――曲がり角の先に、風を切る影が立っていた。




