第13話【オルビスの七位階】
振り子の音が、石造りの円卓の間に規則正しく響いていた。
そんな張り詰めた空気に呼応するが如く、オルビス評議会室のすぐ下には白銀の徽章が装飾されている七つの椅子が存在する。
通称――七位階セブンフロア
それは、信仰と科学、軍事と暗部にまで枝葉を伸ばす組織のインテリジェンスであり、議会では神の代理人とされる存在だ。
位階の決定はいつだって、神の代行者として決定は軍や宗教、市民生活にまで即座に反映される可能性がある。
位階の座にある者はそれほどの影響力を持つにも関わらず、現在のこの瞬間は三つにしか影がない。残り四席は沈黙だけが支配していたのだった。
「エルネス、君とはいえ人の時間を無駄にするのは感心しないねぇ」
学者風の男が口火を切る。その声には軽い苛立ちが滲んでいた。
「ごめんなさい、朝はやいんだもの〜。予知にも出なかったのに、なんで起きられないのかしら。不思議だわぁ」
学者からエルネスと呼ばれた女は肘をつき、金色の瞳で水晶を転がす。
「予知は関係ないよ。睡眠の質が悪いんだねぇ。血の巡りが鈍って脳が覚醒し辛くなってしまっているだけさ」
学者は淡々と説明して、場の緊張感は和らぎ始める。この時点で、エルネスの試みは成功していた。
「……つまり、わたしの水晶には、寝坊は映らないってこと〜?」
エルネスの声は、どこか子供じみた軽さを残している。
「映らない。生理現象は未来の因果じゃないからナ。科学者的な答えには、なってしまうがねぇ」
その答えは、単なる知識以上のものを感じさせ、周囲の注目がほんの一瞬だけ集まった。
――科学、という言葉などオルビスに属していなければ聞くことのない言葉だからである。
「科学ぅ……? そうなのね――博士。流石は聖女様の知識の賜物だわぁ」
エルネスの追従に、科学者は肩を竦める。
「科学や神託も、源は同じだね。彼女の血は万能の鍵さ」
科学者から出たその言葉も、再び室内の空気を微かに震わせた。
「万能の鍵だと……?」
先程から不服そうにして腕組みをしていた戦士、もとい神兵風の男が軍靴を鳴らして不満を表明した。
「聖女様は神の器……! 貴様らの道具ではない。軽い比喩と言えども、言葉を慎め!」
冷たい視線が鋭く光り、一瞬だが威圧的な沈黙を作り出した。
科学者は不満そうに戦士を見つめ返し、何かを言おうとしていた。
「はい、はい〜。熱いわねぇ、神兵さん。勿論、聖女様のことを私たちは等しく敬っていてぇ」
「聖女様は私の理想だわ〜。私と違って外さないんだもの〜」
エルネスがあくび混じりに返す。
「ふん、ならば無駄口は良い。我ら一同、神の軍なのだ。血を流す価値があるのは神が定める秩序のみ!」
神兵が堰を切ったその刹那――音が消えた。振り子の規則音も、呼吸すらも、凍りついたように。
遠くからほんの小さな――足音が近づいてくる。
奥の扉が静かに開く。銀と黒の衣の男が歩み出た。金の徽章を超える別格の徽章を携えて。
顔立ちは氷像のごとく整い、眼底には凡そ計り尽くせない漆黒の雰囲気を持つ――オルビス評議会の巨人。
――カイザー=エルウッド。通称カイエル。
「……これで全員か」
その声だけで、三人の背筋が伸びる。誰も、命令されていないのに。
「七人中三人とは、評議会への忠誠が疑われても仕方ないところだ――が」
「時間の浪費は、神も望まぬ」
その一言は疑いなく、全員の胸に突き刺さる。
「カイエル様……」
浪費の原因のエルネスが小声を漏らす。
「議題は欠けた末席――シドの裏切りについて、でしょう?」
その空気を察するかのように、科学者が指で卓を叩く。
「加えて、聖女護衛に新たに配された“仮面の男”についても」
沈黙を貫いている神兵の視線が硬い。
「……駒、と言えば」
エルネスが金の瞳を細め、唇を吊り上げる。
「仮面の男――お知り合いなの〜?」
「欠けた末席は――確かにユクス様の選んだ人材で埋めると聞いていたけど〜」
「正しくは、空席だと訂正しておこう――エルネス……」
カイエルの声は冷ややかに響いたが、特定のものへの怒りのようなものは無かったらしい。
「彼の潜在能力はユクスすら測りきれていない――そうだ」
カイエルは静かに告げた。
「……へぇ〜」
エルネスの目が細くなる。意外だったからだ評議会がそこまで評価する野良犬がいるなんて。
「だが、駒に背景など不要だ」
ピシャリと放った盤上の駒は動くために存在するというその一言が、彼らの胸中に響いた。
「盤が動く時まで、仮面は仮面のままでよい」
「……」
――沈黙が一層深まった後、議題の核心をカイエルが持ち上げる。
「問題はその欠けた末席、シド=ヴァロンがセレスティアの排除を考えて反オルビスをまとめているという話だ」
「はぁ?」
誰かの声が荒れ、張りつめた空気を一瞬乱した。
「末席ごときが!我ら神に選ばれし組織を侮り!まして爪を研ぐなど!」
「狙いって聖女様〜?これはとうとう、見逃せないわね――」
二人の怒りは、場の感情の臨界点を象徴していた。
「落ち着くと良い。既にカイエル様から許可は降りてある、さ」
冷静な声が一同を宥めたが、緊迫感は収まらない。
「その欠けた末席……既に評議会では背教の末席と呼ばれているそうだ」
科学者が指を卓に打ちつけ、目を細める。
「どうでも良い!奴のいい加減な態度には普段から辟易していたところだ!」
神兵が唸るように言う。
「裏切りというより、原因は構造の腐敗なんだろうねぇ」
科学者が鼻白みながら続ける。
「信仰と権威に膿が溜まっているなら処置しないと……手遅れになるよ」
「殺せば良いのだ!評議会に背くものは全て!そのために私達がいるのではないか!」
「私の配下の金徽章には落星とか囁かれていたわねぇ……地に堕ちた星は、もう光らないのに〜」
エルネスが笑み混じりに呟く。間髪入れずにカイエルが口を開いた。
「奴が動くとしたらこの護送任務の最中、仕掛けるとしたらこの他はない」
「諸君、秩序は必ず我らが手で定める」
カイエルの言葉は、重く冷たい鉄球のように場に落ちた。誰もが、その言葉の重みを噛み締める。特に神兵には絶大だった。
「――秩序を取り戻せ」
「――応!」
神兵の大きな声が場の緊張感を高揚感に変えるかのように、残響していた。
――カイエルが退室した後、重い沈黙が残った。振り子の音が、今はやけに大きい。
「でも、その仮面の男――ねぇ、本当に“駒”で終わると思う?」
エルネスの声が波紋のように広がった。眼の奥に見え隠れする疑念をぶつける。
「駒は駒だろ?」
「顔を隠し、名を隠し、背景も隠す。盤上に置く価値があるのは結果だけだからだ」
侮る意見に誰も反論できなかった。だがエルネスは粘りを見せる。
「確かあなたの部下の〜灰の鋼――?も、シドの後枠候補だったわよねぇ」
軽い嘲笑を含んだ声。彼女の挑発は、空気に小さな火花を散らした。
「ふん……ハイドンなど、話にならん。ある程度の実力があれば、万にひとつも遅れは取るまい」
「少なくとも、俺には遠く及ばん!」
自信と軽蔑が混じり合い、彼の言葉は部屋の空気を引き締める。
「……まぁ、それはそうだけど〜少なくとも仮面くんはそれより上ってことでしょう〜?」
エルネスは呆れの感情を、巧みに隠して話題を誘導した。
「まぁ、それなりに戦闘はできるはずだよネ。疑問が浮かぶとすれば……そんな無名がそう簡単に現れるのか、ということだ」
「そこなのよ〜。博士」
エルネスの視線の向こう側には、計算と退屈と、それを破る予感が同居していた。
「何を期待しているか知らんが、過大評価の期待はずれ……というのが一番あり得そうな話だ」
神兵の声は低く確実に全員の鼓膜を震わせた。確かにそれがまともな感覚なのかも、知れない。
「現にさっき末席の否定に――潜在能力が云々って〜」
「どうでも良い、試してみればわかる話だ。憶測では埒があかん!」
神兵の眼光は鋭く赤く光っている。
「実力や忠誠が偽物なら、聖女様の前に立つ資格はないということだ!」
その一言に場が引き締まるように思えたが、言葉の背後にある覚悟と緊張感に何故か、笑みが溢れていた。
「試すぅ?」
エルネスの声が甘く跳ね、その底には狡猾な計算が巧妙に隠されている。
「面白そう〜。なら、私も見てあげるわぁ。せいぜい利用されてもらいましょう?裏切り者の排除に――ね」
その笑みは冗談の形をしていたが、蝋燭の影だけは壁の上で不気味にいつまでも歪んでいた。




