第10話 詰めパズル
セレスティアという謎めいた少女との初めての邂逅から数分後。
俺たちは木の床が張られている、蝋燭の僅かな灯りが揺れる薄暗い隣の部屋に二人だけで移動した。
「詰めパズルは分かるか?」
ユクスはそう話しかけながら棚から小さな盤を取り出し、駒を並べた。そして俺にゆだねるように手をかざした。
「この局面、王は三手で討たれてしまう。王を討つことを詰ますと呼ぶ。基本的には駒同士の連結を考えて、紐を付けていきながら正解を辿るパズルだ。しかし、一度ないしは、紐のない高所から飛び降りる必要があるところが、いわゆる肝でね。故に手数が進めば枝葉の広がりを捉えきれないという訳だ」
俺は盤面を覗き込んだ。それなりに知ってるゲームだがぱっと見では分からない。あれを動かせば王はこう逃げるはずだ――しかし、それをこう追えば? さらに……。
「ソレなりに有名な遊戯だ。確か……チェックメイトだろ?」
落ち着いて逃げ道から逆算して考えれば良い。俺は駒を動かして王を詰ましてやった。
「よろしい、正解だ。だが、何故分かった?」
「俺が……三手先を読んだからだろ?」
ユクスは微笑みながらうなずいた。そして駒を並べなおす。今度作られた局面は混沌としていて王が捕まるとは到底思えなかった。
「今度は?」
「知らん――いやまさか、詰むことはないとか?」
「いや、きちんと詰むさ、十五手でね」
俺は思わず舌打ちをしてしまう。
「分かるかよ」
「何故だ? 先ほどは解けていただろう」
間髪入れずにユクスは質問をしてくる。
「アンタもさっき言っていたろ、手が増えすぎて枝葉が辿れやしないからだ」
その答えにユクスは満足そうに話を進めた。
「だがもし全てを読める者がいたら? 何手先だろうと全てを計算できる存在がいたなら?」
俺は腕を組みながら言い放った。
「…………それが強者ってもんだろ、凡人とは違うジーニアスな存在。ああ、あのガキが将来有望な天才少女ってワケだ」
「いや」
ユクスは即答する。
「セレスティアは数十手、数百手先を読むのではない」
「すでに端から終局図を観測しているのだ」
その言葉は部屋の空気をわずかに変えた。蝋燭の炎が細く伸びて、揺らめく儚さみたいなものがこの刹那にはあった。
「さて……アルデリオ、問おう」
「時間とは、誰にとっても同じ速さで流れるのだと思うか?」
ユクスの口から唐突に出た言葉は、場違いなほど冷ややかに感じられた。
「当たり前だろ。昼は誰にでも来るし、明けない夜はない」
この返答でよかったのだろうか? そういやガキの頃は何となく不思議に思ったことも、最近は深く考えたこともなかった、が。
「誰にとっても――平等」
「それが錯覚でしか、なかったとしたら……?」
思わず眉間に皺が寄る。こいつ、何を言っているんだ……?
「どうやら十数秒後、君は椅子を一つ倒す」
「――え」
馬鹿な話だ。椅子なんて倒すわけがない。そうは思いつつも、俺は自らの心拍が上がるのを理解した。数秒の時間だが、自分の耳の後ろ辺りが脈打つ感覚があった。
何も起きない、椅子を倒さないことに集中しているのだ。それもそのはずなのだ。
「何も起きないようだぜ」
俺は意味不明な安堵を落ち着けるかのように目の前の机に手を置いた。そしてその拍子に机が揺れる。その揺れは決して小さいものではなかった。
「!」
――ガタンッ!
音を立てて俺とユクスの間にある椅子は倒れてしまった。
「…………」
二人の間、この部屋全体に冷え切った沈黙が訪れる。そしてその沈黙を破ったのはユクスだった。
「評議会曰くこの世界にはある一定以上の、最高の速度という境界線が存在するという、通称……」
「絶対速度」
俺は沈黙を続ける。
「その速度に近づけば近づく程、高速で移動する物体の時間はそうでないものに比べて、遅れる。重力の強い場所でも同じだ。だからズレや歪みが生じるんだ。まず、ここまでは良いか?」
我慢出来ずに肩をすくめ、鼻で笑った。
「さっき終局図だとか言ってたな」
「ああ。今さっきのは、その実演をしたまでさ」
隙間なくユクスの返答。俺はあからさまに眉間に皺を寄せる。
「だが、確かに……それでは進まないね」
ユクスは少し俺の意を汲んでくれたようだった。
「ふむ……君に分かりやすくあえて喩えるなら矢だと喩えれば、良いかな?」
「矢か、分かりやすそうな例えだ」
俺はここでユクスの反応を見るが、聞き間違いではないらしい。
「私たちは今ここで止まってはいるが、実際は目に見えぬ速さの時間の矢が放たれており、飛び続けている」
完全に得心したわけではないが、眠っている間も歳を取り続ける、とかそんなことが言いたいのだと考えた。
「分かるような、分からんような……つーか、弓矢の喩えで合っているか?」
ユクスは「さて、合ってはないかもな」と苦笑いを浮かべる。
「悪く思わないでくれ、何を言いたいかというと……」
「つまり――私たちは止まっていても、止まっていないと言いたいんだ。さながら弓から放たれた矢のようにな」
言葉と同時に、蝋燭の炎が一瞬細く伸びる。その光景が妙に生々しく、俺は舌打ちして視線を逸らした。
「地上から離れて高い塔で生きるものは、地上に生きる人より早く歳をとったりするのだよ」
「……へぇ」
思わず、固唾を呑む。確かに見た目より若いやつや、老けてるやつはいるが……そういうことなのか……?
「こっちは護送任務の話だと思ってたのに、ありがたい講義とはね……で?」
「ある一定の境界を超えたものと、超えていない私たちでは流れる時間が違う。だから時間は幻想であり、絶対的な性質ではない」
いまいち要領を得ないが、とりあえず若いのと老けてるか、の差だよな?
「それと刻限計画とやらが何の関係がある?」
俺は壁にもたれ、脚先で木の床を鳴らす。乾いた音だけが妙に響いた。
「――評議会は、秩序を完成させるために時間を支配しようとしている。それが――刻限計画の概要だ」
言葉が落ちた瞬間、蝋燭の炎がぱちりと音を立てて揺れた。
刻限――その響きが、ただの名詞じゃなく、何か取り返しのつかない何かのように胸に残った。
「そして――セレスティアはその鍵なのだよ」
ユクスは話しながらも、一瞬だけ視線を外した。その仕草に、わずかな迷いが滲むのを俺は見逃さなかった。
「鍵、だと?」
「彼女には、未来の一部を覗く力がある」
――未来を? 終局図を観測しているとはそういうことか。
かなり胡散臭いが、あの少女の目には確かに説明できない明後日の方向を見ているような、そんな感じがあった。
けど……さっきの通達トリックも何もかも、辻褄合わせじゃねえのかよ。
「問おう――もし未来が見えたら、どうする?」




