― 頑張《がんば》ってるのに認められない ―
夜の水族館。
貸し切りみたいに静かな館内。
青い光だけがゆらゆら揺れている。
女の子が言う。
「私、頑張ってるのに誰も見てくれない」
勉強もしてる。
家でも手伝ってる。
嫌なことがあっても我慢してる。
「なのに、誰も褒めてくれない」
猫がクラゲの水槽を見る。
「クラゲって、誰かに褒められるために光ってると思う?」
「え?」
「たぶん、ただ生きるためだよ」
青白く光るクラゲ。
静かに、ただ漂っている。
「きれい……」
「誰かに見てもらうために咲く花は苦しい」
猫が言う。
「見てもらえないだけで、自分の価値まで揺らぐから」
女の子は少し黙る。
「でも、見てもらいたいって思うのは悪いことじゃないよね?」
「もちろん」
猫はうなずく。
「人は誰だって認められたい」
「うん」
「ただ、それだけがエネルギーになると苦しい」
深海コーナーへ進む。
暗い。
でもそこに、小さく光る魚がいた。
「わぁ」
「深海魚ってね」
猫が言う。
「誰も見てない場所でも生きてる」
「……」
「褒められなくても必要な努力って、実はたくさんあるんだ」
「たとえば?」
「歯を磨く」
「部屋を片づける」
「ありがとうって言う」
「ちゃんと寝る」
「人を傷つけないようにする」
「地味だね」
「かなり地味だね」
猫は真顔でうなずく。
「でも、そういう積み重ねが人を作る」
女の子はガラスに映る自分を見る。
「でも、誰も褒めてくれない」
「未来の自分は褒めてくれるよ」
「え?」
「今の努力ってね」
猫はゆっくり言う。
「未来の自分へのプレゼントみたいなものなんだ」
女の子は目を丸くした。
「プレゼント」
「うん」
「今は誰にも見えなくても」
「……」
「積み重ねたものは、ちゃんと自分の中に残る」
姿勢。
言葉。
知識。
習慣。
「磨かれた人って、あとから自然ににじみ出るんだよ」
「にじみ出る?」
「そう」
猫は笑う。
「立ち居振る舞いとかね」
「たしかに、なんか素敵な人っている」
「そういう人は、見えない努力をたくさんしてる」
女の子は少し考える。
「じゃあ、褒められないことにも意味があるんだ」
「かなりある」
「なんで?」
「褒められなくても続けられるものは、本当に自分の力になるから」
静かな水槽の前。
魚たちがゆっくり泳いでいる。
「他人の拍手は消える」
猫が言った。
「でも、自分で積み上げたものは消えない」
女の子は胸に手を当てる。
「自分で自分を認めるって、どうやるの?」
「小さな約束を守ることかな」
「約束?」
「今日はこれをやるって決める」
「うん」
「そしてやる」
「それだけ?」
「それだけ」
猫は笑った。
「自信って、そういう小さな成功体験の積み重ねだから」
「ゲームみたい」
「そうそう」
「アイテム集めだと思えばいい」
女の子は笑った。
「私、まだレベル1かも」
「でも経験値はたまってるよ」
館内の出口が見えてきた。
「覚えておいて」
猫が振り返る。
「努力は、必ずしも今すぐ花にならない」
「うん」
「でも根っこになることはある」
女の子はゆっくりうなずいた。
「未来の私のために頑張ってみる」
「それがいい」
猫は満足そうに目を細める。
「未来の自分は、案外ちゃんと見てるからね」
外に出ると、夜明け前だった。
空が少しだけ明るい。
「なんか」
女の子が空を見上げる。
「誰にも褒められなくても、少し頑張れそう」
「いいね」
猫は伸びをした。
「じゃあ今日は、未来の自分に何をプレゼントする?」
女の子は少し考えて、笑った。
「まずは宿題かな」
「急に現実的!」
ふたりの笑い声が、静かな朝に溶けていった。
おしまい




