― 失敗《しっぱい》ってなんでこんなに恥《は》ずかしいの? ―
朝焼けの空だった。
女の子が目を開けると、ふわふわ揺れる大きな気球の中にいた。
「わあっ!?」
下には小さな町。
山も川も家も、全部ミニチュアみたいに見える。
「おはよう」
猫がバスケットのふちに座っていた。
「おはようじゃないよ! なんで空!?」
「今日は空の旅です」
「雑に説明しないで」
猫は満足そうにしっぽを揺らした。
気球はゆっくり雲の間を進む。
風が気持ちいい。
でも女の子の顔は少し暗かった。
「どうしたの?」
猫が聞く。
女の子はうつむいた。
「失敗しちゃったの」
「ほう」
「みんなの前で答えを間違えて」
「すごく恥ずかしかった」
「なるほど」
「なんか」
女の子は胸を押さえる。
「失敗すると、自分の価値まで下がった気がする」
猫は少し黙ってから言った。
「それは、かなり人間っぽい悩みだね」
「うれしくない」
「でも自然だよ」
猫は空を見る。
「人間って、“できること”で自分を証明しようとしやすいから」
「うん」
「できたら安心」
「失敗したら不安」
「そうなの」
気球が少し揺れた。
「きゃっ」
女の子が手すりにつかまる。
「大丈夫」
猫は落ち着いていた。
「気球ってね」
「うん」
「ずっと完璧には飛べないんだ」
風が変わる。
少しだけ進路がずれる。
「ほら」
「曲がった」
「でも落ちてないでしょ?」
「たしかに」
「進みながら調整してるんだよ」
女の子は少し考えた。
「人も同じ?」
「そう」
猫はうなずく。
「人間は転びながら歩き方を覚える生き物だからね」
「……」
「最初から上手に歩ける赤ちゃんなんていない」
「いないね」
「何回も転ぶ」
「うん」
「でも、転ぶことを恥ずかしいとは思わない」
女の子は、はっとした。
「たしかに」
「むしろ普通だよね」
「うん」
「なのに大きくなると急に」
猫はちょっと大げさに言う。
『できて当たり前です』
みたいな空気になる」
女の子は苦笑した。
「あるかも」
「だから失敗が怖くなる」
「恥ずかしいし」
「うん」
猫はしっぽを揺らす。
「でもね」
「なに?」
「失敗って、“自分がダメ”って証明じゃない」
「え?」
「ここは違った、っていう情報だよ」
「情報?」
「うん」
「このやり方じゃなかった」
「この準備が足りなかった」
「ここでつまずきやすい」
「なるほど……」
「つまり、かなり有益」
「有益なんだ」
「かなり」
猫は得意げだった。
「人類なんて失敗の歴史だよ」
「そうなの?」
「そう」
「失敗して」
「試して」
「また失敗して」
「うん」
「そのくり返しでここまで来た」
下を見る。
町が小さい。
道路も人も小さな点みたいだ。
「上から見ると」
女の子が言う。
「さっきの失敗、ちょっと小さく見える」
「いい視点だね」
猫が笑う。
「失敗って、近くで見ると巨大なんだ」
「うん」
「でも人生全体で見ると、案外ただの通過点だったりする」
風がまた吹いた。
気球がゆっくり前に進む。
「失敗ってなくしたほうがいいのかな」
女の子が聞いた。
「減らせるなら減らしたいけど」
猫は答える。
「ゼロにはできないね」
「そっか」
「だって挑戦するなら失敗はつきものだから」
「……」
「失敗しない人って」
猫は少し笑った。
「たぶん、ほとんど挑戦してない人だよ」
女の子は目を丸くした。
「それは嫌だな」
「でしょう?」
しばらく沈黙。
雲がゆっくり流れていく。
「じゃあ」
女の子は小さく言った。
「失敗してもいいんだ」
「もちろん」
「恥ずかしくても?」
「かなり恥ずかしくてもね」
「それはあるんだ」
「ある」
猫は真顔でうなずいた。
「恥ずかしさは感じてもいい」
「うん」
「でも、それで自分の価値まで下げなくていい」
女の子は胸に手を当てた。
どくん、と心臓が鳴る。
「自分の価値は」
猫が言う。
「失敗の数で決まらない」
「……」
「どう失敗を使うかで決まることもある」
「使う?」
「道しるべにするんだよ」
「未来への?」
「そう」
猫は空の向こうを見た。
「失敗は、未来の成功に続く標識みたいなものだから」
女の子は少し笑った。
「標識かぁ」
「“この道ちがいます”って教えてくれてる」
「ちょっと親切だね」
「かなり親切」
ふたりは笑った。
やがて気球は朝日の中へ進んでいく。
空が金色に染まる。
「覚えておいて」
猫が振り返る。
「失敗したから価値が下がるんじゃない」
「うん」
「失敗から何も学ばないと、ちょっともったいないだけ」
女の子は大きくうなずいた。
「じゃあ私」
「うん」
「失敗しても、次の地図にする」
猫は満足そうに目を細めた。
「いいね」
風が気球を運んでいく。
まだ見ぬ景色の向こうへ。
失敗も成功も、全部抱えながら進むために。
おしまい




