― どうして人は嘘をつくの? ―
空はどこまでも青かった。
白い雲のあいだを、一艘の大きな飛行船がゆっくり進んでいく。
「わあ……」
女の子は窓にはりついた。
下には小さな町や森、川や畑がまるでおもちゃみたいに広がっている。
「すごいね。全部小さく見える」
「高いところから見ると、細かいことが少し見えやすくなるんだよ」
猫は丸い椅子の上でくつろぎながら言った。
「今日は空の授業だにゃ」
「また急だね」
女の子は笑ったあと、少しだけ真面目な顔になった。
「ねえ、猫さん」
「なあに?」
「どうして人って嘘をつくの?」
猫は少しだけ目を細めた。
「ふむ。なかなか大きな質問だ」
「嘘ってよくないことでしょ?」
「場合によるね」
「え?」
女の子は振り返った。
「嘘って悪いものじゃないの?」
「全部まとめて“悪”にすると少し乱暴かな」
猫はしっぽを揺らした。
「嘘にもいろいろあるんだ」
「いろいろ?」
「たとえば優しい嘘」
「優しい嘘?」
「うん」
猫は窓の外を見た。
「病気の人に“きっとよくなるよ”って言うことがある」
「でも本当に治るかわからないよ?」
「そう」
「じゃあ嘘?」
「場合によってはね」
女の子は少し考えた。
「でも、それは相手を元気づけたい気持ちかも」
「そういうこと」
猫はうなずいた。
「希望を守るための嘘もある」
「なるほど……」
「次に、自分を守る嘘」
「それは?」
「宿題やってないのに“やった”って言うとか」
「それはダメなやつだ」
女の子が即答した。
猫は笑った。
「怒られたくない」
「嫌われたくない」
「失敗したと思われたくない」
「……」
「人は怖いとき、自分を守るために嘘をつくことがある」
女の子は少しうつむいた。
「それ、ちょっとわかるかも」
「だろうね」
猫はやさしく言った。
「嘘って、弱さから生まれることも多いんだ」
「弱さ」
「本当の自分を見せるのが怖いんだよ」
飛行船は雲を抜けた。
光が船内にふわっと差し込む。
「じゃあ全部、許されるの?」
「いや」
猫の声が少しだけ静かになる。
「悪意の嘘もある」
「悪意」
「人をだますための嘘」
「人を落とし入れるための嘘」
「自分の利益だけのための嘘」
女の子は眉をひそめた。
「それは嫌だな」
「うん」
「そういう嘘は、人との信頼を壊す」
「信頼」
「信頼ってね」
猫はテーブルの上の積み木をひとつ持ち上げた。
「こうやって少しずつ積み上がるものなんだ」
ことん。
ことん。
小さく積み上がる。
「でも嘘は」
猫がひとつ抜く。
がたっ。
積み木が崩れた。
「あ」
「一回で崩れることもある」
「……怖いね」
「だから嘘は便利だけど、扱いが難しい」
女の子は窓の外を見た。
遠くに虹がかかっていた。
「でもさ」
「うん?」
「人ってなんで、そんなに嘘をついちゃうんだろう」
猫は少し考えた。
「本当のことって、時々《ときどき》すごく重いからかな」
「重い?」
「本当のことを言うと傷つくことがある」
「……」
「責任が生まれることもある」
「……うん」
「だから人は、時々嘘というクッションを置く」
「クッション」
「心が痛すぎないようにね」
女の子は黙った。
「でも」
猫は続けた。
「クッションばかり置いてると、いつか本当の床が見えなくなる」
「床?」
「つまり現実だよ」
「ああ」
「嘘を重ねすぎると、自分でも何が本当かわからなくなる」
女の子は少しぞっとした。
「それは嫌だな」
「うん。だから大事なのは」
猫は前足をぴんと立てた。
「嘘を見分ける知恵を持つこと」
「どうやって?」
「まず、整理する」
「整理?」
「いつ」
「うん」
「どこで」
「うん」
「誰が」
「うん」
「何を言ったか」
「……探偵みたい」
「だいたい人間関係の問題は、整理すると見えやすくなる」
猫は得意げだった。
「それから証拠」
「証拠?」
「言葉だけじゃなくて、現実を見る」
「現実」
「その人の行動」
「結果」
「積み重ね」
「口では優しいことを言ってても?」
「行動が伴わないなら考える余地あり」
「厳しい」
「言葉は空を飛べるからね」
「今まさに飛んでるけど」
「そうだね」
ふたりは少し笑った。
しばらく沈黙。
飛行船は静かに空を進む。
「じゃあ」
女の子が小さく聞いた。
「私は嘘ついちゃダメ?」
「そんなことはないよ」
「え?」
「人間はときどき嘘をつく生き物だ」
「そうなの?」
「成長の途中でもある」
「へえ」
「大事なのは」
猫はやわらかく言った。
「その嘘が何を守ろうとしてるのか知ること」
「何を守るか」
「誰かの心なのか」
「自分の弱さなのか」
「それとも自分の利益だけなのか」
女の子は静かに考えた。
「……ちゃんと考えないといけないんだね」
「そう」
「嘘そのものより、その奥を見る」
飛行船の窓に夕日が映る。
空がオレンジ色に染まっていく。
「猫さん」
「なあに?」
「本当のことって、時々怖いね」
「かなり怖いね」
「でも」
女の子は少し笑った。
「本当のことを言える人って、ちょっと強い気がする」
「うん」
猫はうれしそうに目を細めた。
「本音を扱える人は、少しずつ強くなる」
「そっか」
「嘘が悪いんじゃない」
「うん」
「嘘に飲み込まれるのが危ないんだ」
女の子は空を見上げた。
広い空。
どこまでも続いていく青。
「少しだけわかった気がする」
「それはよかった」
飛行船は夕焼けの中をゆっくり進んでいった。
本当のことと、嘘のあいだを旅するみたいに。




