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― 幸せって何? ―


 夕暮れの温泉街だった。

 石畳《いしだたみ》の道に、やわらかな灯りがぽつぽつと並んでいる。

 遠くからお祭りばやしが聞こえた。

 屋台の明かり、人の笑い声、焼きたてのおだんごの甘いにおい。

「わあ……」

 女の子は目を輝《かがや》かせた。

「今日はにぎやかだね」

「うん」

 猫は満足《まんぞく》そうにしっぽをゆらした。

「たまにはこういう日もいいでしょう」

 二人はお祭りの通りを歩く。

 金魚すくい。

 射的《しゃてき》。

 りんごあめ。

 浴衣姿《ゆかたすがた》の人たち。

 みんな楽しそうだった。

「ねえ、猫さん」

「なあに?」

「幸せって何なんだろう」

 猫は少しだけ目を細めた。

「また大きいテーマだね」

「最近そういうの気になるの」

「成長《せいちょう》したねえ」

「でしょ」

 女の子はえへんと胸を張った。

 そのまま、たこ焼きを見て立ち止まる。

「……でもたこ焼きも気になる」

「まだまだ子どもだね」

 猫は笑った。

 二人はたこ焼きを買って、近くのベンチに座った。

 湯気《ゆげ》がふわふわ立ちのぼる。

「幸せって」

 女の子はたこ焼きをふうふうしながら言った。

「たとえば、おいしいもの食べるとか?」

「うん」

「友達と遊ぶとか」

「うん」

「好きなもの買うとか」

「うん」

「そういうのかなって思うんだけど」

「それも幸せだね」

 猫はうなずく。

「でも、それだけじゃない気もする?」

「そうなの」

 女の子は少し考え込《こ》んだ。

「楽しいのに、なんか満たされない時もあるし」

「あるね」

「逆《ぎゃく》に、特別《とくべつ》なこと何もなくても、なんか幸せだなって時もある」

「かなり鋭《するど》い」

 猫はしっぽをぱたんと揺《ゆ》らした。

「幸せには、少なくとも二種類《にしゅるい》あるんだ」

「二種類?」

「人と比べて感じる幸せと」

「うん」

「自分の中で感じる幸せ」

 女の子は首をかしげた。

「どう違《ちが》うの?」

「たとえば」

 猫はお祭りの景色《けしき》を指した。

「くじ引きで一等《いっとう》を当てる」

「うん」

「友達より点数がよかった」

「うん」

「褒《ほ》められた」

「うん」

「そういう、“何かを得た”“勝った”みたいな幸せ」

「なるほど」

「これはわりと比較《ひかく》が入る」

「人と比べる幸せ」

「そう」

 女の子は少し考えた。

「たしかに嬉《うれ》しいかも」

「もちろん悪いものじゃないよ」

 猫は言う。

「夢がかなった時とかも、かなり強い幸福感《こうふくかん》がある」

「いいねえ」

「ただし」

「うん?」

「ちょっと燃費《ねんぴ》が悪い」

「燃費」

「慣《な》れるんだ」

「えっ」

「新しいゲーム買って超《ちょう》うれしい!」

「うん」

「でも一週間後には普通になる」

「わかる……」

「人間の脳《のう》はわりと欲張《よくば》りだからね」

 女の子は苦笑《にがわら》いした。

「じゃあもう一つは?」

「こっち」

 猫は空を見上げた。

 提灯《ちょうちん》の明かりがやさしく揺れていた。

「今ここで、たこ焼きがあったかい」

「うん」

「夜風が気持ちいい」

「うん」

「好きな人と笑ってる」

「うん」

「なんとなく落ち着く」

「……うん」

「これが、自分の中で感じる幸せに近い」

 女の子は少し黙った。

「静かな幸せだね」

「そう」

 猫はやわらかく笑った。

「派手《はで》じゃない」

「うん」

「でも案外《あんがい》、長持ちする」

「へえ」

「人間ってね」

 猫は続ける。

「刺激《しげき》だけ追いかけると疲れるんだ」

「刺激?」

「もっと楽しいこと」

「うん」

「もっとすごいこと」

「うん」

「もっと認《みと》められること」

「うん」

「って、ずっと外に求《もと》め続けるから」

「たしかに疲れそう」

「だから、外から来る幸せと」

「うん」

「自分の中で育てる幸せのバランスが大事」

「育てる?」

「うん」

「幸せって、見つけるだけじゃなく育てるものでもある」

 女の子は目を丸くした。

「どうやって?」

 猫は指折《ゆびお》り数えるみたいに言う。

「ちゃんと寝《ね》る」

「基本《きほん》だ」

「ちゃんと食べる」

「大事」

「少し体を動かす」

「うん」

「安心《あんしん》できる人を大切にする」

「……うん」

「小さな好きに気づく」

「小さな好き?」

「夕焼けが綺麗《きれい》とか」

「うん」

「このお茶おいしいとか」

「うん」

「今日は少し元気だなとか」

 女の子はふっと笑った。

「なんか地味《じみ》だね」

「かなり地味」

「でも」

 猫はにっこりした。

「土台《どだい》になる」

「土台」

「家でいう基礎工事《きそこうじ》みたいなもの」

「急に現実的《げんじつてき》」

「基礎がしっかりしてると、上に大きい幸せが乗っても崩《くず》れにくい」

「なるほど」

 遠くで花火が上がった。

 ぱん、と夜空に大きな光が開く。

「わあ!」

 女の子は目を輝かせた。

「綺麗!」

「こういうのも幸せだね」

「うん!」

「でも花火はずっと続かない」

「たしかに」

「だから悪いんじゃなくて」

 猫は花火を見る。

「特別な幸せは特別だから綺麗なんだ」

「……そっか」

「毎日花火だったら、たぶん火事で大変」

「それはそう」

 二人は笑った。

 花火が消えたあと、少し静かになる。

「ねえ、猫さん」

「なあに?」

「幸せって、もっと遠くにあるものだと思ってた」

「そう思いやすいからね」

「でも」

 女の子は胸に手を当てる。

「案外、もう少し近くにもあるんだね」

「うん」

 猫は静かにうなずいた。

「幸せって、手に入れるものでもあるけど」

「うん」

「気づくものでもあるんだ」

 女の子は少しだけ目を閉じた。

 夜風。

 お祭りの音。

 あたたかいたこ焼き。

 隣《となり》にいる猫。

 胸の奥《おく》が、じんわりあたたかい。

「あ」

「どうしたの?」

「今ちょっと幸せかも」

 猫は満足そうに笑った。

「それはよかった」

 女の子は夜空を見上げた。

 花火の残り香《のこりが》が、少しだけ空に残っていた。

「幸せって」

 女の子は小さくつぶやく。

「すごい奇跡《きせき》じゃなくてもいいんだね」

「うん」

「日々の中に、小さく住んでることもある」

 猫は立ち上がった。

「見つけられると強いよ」

「どうして?」

「環境《かんきょう》に全部振《ふ》り回されにくくなるから」

「なるほど」

「自分の中にも灯《あか》りがつくからね」

 女の子は立ち上がる。

 少しだけ胸があたたかかった。

「じゃあ私」

「うん」

「小さい幸せ、もっと探してみる」

「いいね」

 二人はまた、灯りの並ぶ道を歩き出した。

 にぎやかな幸せと、静かな幸せのあいだを通りながら。

おしまい

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