― 大人《おとな》になるってどういうこと? ―
空はよく晴れていた。
青い空に白い雲がゆっくり流れている。
女の子と猫は、大きな動物園の入り口に立っていた。
「今日は動物園なの?」
「うん」
猫はチケットをくわえながら言った。
「大人について考えるには、わりといい場所なんだよ」
「そうなの?」
「人間も動物だからね」
「雑だなあ……」
女の子は少し笑った。
園内には、家族連れや友達どうし、恋人らしき人たちがたくさん歩いていた。
小さな子どもがはしゃいで走り回り、大人が「転ぶよー」と追いかけている。
「ねえ、猫さん」
「なあに?」
「大人になるって、どういうことなんだろう」
猫は少し考えるように空を見上げた。
「難しい質問だね」
「うん」
「年齢だけなら簡単なんだけどね」
「十八歳とか?」
「そういう制度上の話はある」
「でも、それだけじゃない気がする」
「そうだね」
猫はうなずいた。
「大人って、“自由が増える人”なんだと思う」
「自由?」
「うん」
「たとえば、自分でお金を使えるようになる」
「うん」
「どこへ行くか決められる」
「うん」
「何を仕事にするかも選べる」
「すごい」
「かなり自由だ」
猫はしっぽを揺らした。
「でもね」
「うん?」
「自由には、だいたい責任がついてくる」
女の子は首をかしげた。
「責任って、なんか重そう」
「実際ちょっと重い」
「やっぱり」
猫は笑った。
「でも、そんなに悪いものでもないよ」
二人はライオンの檻の前までやってきた。
大きなライオンが、のっそりと歩いている。
「ライオンって自由そう」
「そう見える?」
「なんとなく」
「でも彼は、自分で狩りをする責任がある」
「責任……」
「食べ物がほしければ、自分で動くしかない」
「たしかに」
「自由って、“自分で選べる”ことだけど」
猫はライオンを見る。
「同時に、“選んだ結果も引き受ける”ってことなんだ」
女の子は少し黙った。
「結果も?」
「うん」
「たとえば、勉強しない自由はある」
「あるね」
「でも、その結果困ることもある」
「耳が痛い……」
「スマホを夜更かしで見続ける自由もある」
「もっと耳が痛い……」
「でも眠くなる責任は自分持ちだ」
「厳しい」
猫はくすっと笑った。
「自由って楽しいけど、全部セット販売なんだよ」
「抱き合わせ商法みたいに言わないで」
二人はさらに歩く。
今度はペンギンのコーナーだった。
水の中をすいすい泳いでいる。
「かわいい」
「かわいいね」
「ねえ、大人って、一人で全部できる人なの?」
猫は少しだけ目を丸くした。
「どうしてそう思うの?」
「だって、大人ってなんでも知ってそうだし」
「それはだいぶ誤解だね」
「えっ」
「大人も普通に失敗するよ」
「そうなの?」
「かなりする」
「ええ……」
「人によっては子どものころより派手に失敗する」
「夢がない」
猫は笑った。
「でも、大人は少しずつ学ぶんだ」
「何を?」
「失敗したあと、どう責任を取るか」
「責任を取る」
「謝るとか」
「うん」
「やり直すとか」
「うん」
「助けを求めるとか」
「助けを求めるのも?」
「もちろん」
猫はきっぱり言った。
「一人で全部抱えることは、大人じゃない」
「そうなの?」
「むしろ危ない」
「えっ」
「人は一人じゃ限界があるからね」
猫は空を見上げた。
「大人になるって、“一人で生きること”じゃない」
「じゃあ?」
「いろんな人と関わりながら生きることだよ」
女の子は少し考えた。
「人と関わる……」
「うん」
「だから距離感が大事になる」
「距離感?」
二人はサル山の前に着いた。
たくさんのサルたちが、それぞれ好き勝手に動いている。
「見てごらん」
「うん」
「あんなに近づきすぎると、ぶつかることもある」
「たしかに」
「でも遠すぎると、関係は作れない」
「難しいね」
「人間関係ってだいたいこれ」
女の子は笑った。
「サル山で人生学ぶんだ」
「意外と学びは多い」
風が少し吹いた。
木々《きぎ》が揺れる。
「ねえ」
女の子が聞く。
「じゃあ、大人になるって完璧になることじゃないんだね」
「全然違う」
猫は即答した。
「えっ」
「むしろ、自分は完璧じゃないって理解していくことかもしれない」
「そうなの?」
「うん」
「できないことがある」
「うん」
「苦手なことがある」
「うん」
「助けてもらうことがある」
「うん」
「それを認められるようになるのも、大人っぽさの一つだと思う」
女の子は少し驚いた顔をした。
「なんか、もっと強いものだと思ってた」
「強さにも種類があるからね」
「種類?」
「全部一人で耐える強さもある」
「うん」
「でも、ちゃんと頼る強さもある」
「……そっちのほうが難しそう」
「たぶんね」
猫は少しだけ笑った。
二人は観覧車の見える広場まで来た。
ベンチに座る。
遠くでキリンがのんびり草を食べていた。
「大人になるの、ちょっと怖いかも」
女の子はぽつりと言った。
「自由って楽しそうだけど」
「うん」
「責任ってやっぱり怖い」
「そうだね」
猫はやさしくうなずいた。
「でも」
「うん?」
「責任って、“自分の人生を自分のものにする”ことでもあるんだよ」
「自分のもの」
「誰かのせいだけにしない」
「……」
「自分で選ぶ」
「……」
「自分で少しずつ作っていく」
女の子は空を見上げた。
青い空が高い。
「なんか」
「うん」
「ちょっと冒険みたい」
「そう」
猫はにっこりした。
「大人になるって、たぶん冒険なんだ」
「冒険」
「自由という地図を持って」
「うん」
「責任という荷物を背負って歩く旅」
「ちょっと重そうだけど、かっこいいね」
「でしょ?」
女の子はふっと笑った。
「私、まだ子どもだけど」
「うん」
「少しずつ練習していけばいいのかな」
「それで十分」
猫はしっぽを揺らした。
「いきなり立派な大人になる人なんて、ほぼいないから」
「安心した」
「みんな途中なんだよ」
女の子は立ち上がった。
少しだけ背筋が伸びる。
「ねえ、猫さん」
「なあに?」
「大人って、完成形じゃないんだね」
「そう」
猫は笑った。
「ただ、少しずつ自分の人生を引き受けていく人なんだと思う」
女の子は小さくうなずいた。
「そっか」
空を見上げる。
どこまでも広い青空。
まだ知らない未来みたいだった。
「じゃあ私も」
「うん」
「ゆっくり大人になる」
「それがいい」
風が吹く。
遠くで鳥が飛んでいく。
女の子と猫は、またゆっくり歩き出した。
まだ少し先にある未来へ向かって。
おしまい




