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世界に魔法が在る限り  作者: Nary
第一章
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第七話 灰の村の少年Ⅰ(前編)

――聖暦七八八年 白息の月 二十四日


冬はまだ訪れていない、という体裁だけを、

ハルヴェインの人々は辛うじて保っていた。


されど白息の月も終わりに近づけば、

山から吹き下ろす風はすでに冬の刃を孕み、

呼吸のたびに肺の奥へ差し込む冷気は鋭い。


吐く息の白さは温もりの証ではなく、

身体の内側から熱が逃げていく過程そのものに見えた。

土は湿りを失って固く締まり、

霜を踏むたびに返る音は軽く、軽いまま空気へ溶けずに散っていく。


村人たちはそれでも言う。

まだ冬ではない、と。


そう言い切ることで、今この瞬間を、

まだ耐えうるものとして地面へ打ちつけるために。


夜が明けきる前の村は、

人の気配がまだ戸の内側に押し込められている時間であり、

煙突から細く上がる煙だけが、

眠りではなく支度の静けさであることを示していた。


村の外れにある踏み固められた空き地では、

誰もいない時間を選ぶようにして、

すでに一つの動きが繰り返されている。


レインである。


七年前、嵐の夜に拾われた赤子は、

今や痩せた肩と静かな目を持つ少年になっていた。


村は彼を追い出さなかった。

だが、完全に抱き込んだわけでもない。


食卓には置かれた。

けれど、輪の中心へ呼ばれることは少なかった。


子らはレインを恐れているわけではない。

ただ、彼がいる場所には、

言葉にできぬ薄い膜のようなものがあり、

近づこうとすると、誰もが自然と足を緩めた。


レインの手には木刀がある。

刃は潰れ、握りの部分は何度も握られたことで滑らかに摩耗していた。


上段から振り下ろされる木刀は、

力任せではない。

刃筋は途中で乱れず、

当たるはずの位置でぴたりと止まり、

そのまま同じ軌道を逆に辿って戻る。


振る。

止める。

戻す。


その繰り返しに、余計な熱はなかった。


足は浅く踏み込むだけである。

だが、その浅さに軽さはない。

霜を踏む音すら無駄に増やさず、

地面から返る力だけを拾い上げるように、

少年の身体は前へ出て、

次の瞬間にはもう元の構えへ沈んでいる。


それは、練習というより確認に近かった。

強くなるために積み上げているのではない。


すでに身体の内側に刻まれてしまった何かが、

昨日と同じ形でそこにあるかを、

黙って確かめているような動きであった。


「……回数は数えているのか?」


背後から声がかかる。

レインは振り返らず、木刀を振り下ろした位置で止め、

白い息を一つ吐いてから答えた。


「数えてない。終わるまでやるんだ」


村長のバルドが、空き地の端に立っていた。

この少年を、彼は七年見てきた。

それでも時折、こうして立ち止まらされる。


「終わるとは?どうなったら終わるんだ?」


レインはわずかに黙った。

言葉を探しているのではない。

身体の奥にある感覚を、音へ通すための間であった。


「同じになるまで」


「何と何がだ」


「動きと、感覚」


それで十分だった。

バルドは腕を組み、少年の構えを見る。

形の正しさではない。

崩れぬ理由を見ていた。


「誰に教わった?」


「見て、真似したんだ」


「誰のをだ」


「エドガルと、他の人のを」


断片を拾って繋いだだけのはずの動きが、

崩れずに成立している。

バルドはゆっくりと息を吐いた。


「休んだ日は?」


「ない」


「飽きないのか?」


「流れが崩れると、気持ち悪くて」


それは好みではなく、拒絶であった。

整っているはずのものが乱れることを、

少年の身体そのものが許していない。


バルドはすぐには返さなかった。

この子の異質さは、

紋章の不在だけではない。


七年経ってなお、

それは雪の下に埋もれる石のように、

踏めば必ず足裏へ返ってくる。


バルドは足元に立てかけてあった木刀を手に取り、

軽く振って重さを確かめると、

握りの位置をわずかにずらし、

自分の身体がもっとも黙る場所へ合わせた。


「形はいい。だが、形だけでは通らん。

通すなら、止まる位置を自分で決めろ」


レインは頷く。


「決めてる。ここで止まる」


少年が示したのは、先ほどと同じ“当たるはずの位置”であり、

そこへ至るまでの軌道がすでに身体の内側へ刻まれていることを、

言葉ではなく、その迷いのない構えが示していた。


バルドは構えを取った。

低く、重く、動かないことで圧を作る構えであり、

そこに立たれるだけで、踏み込む者は己の足音すら余計なものに思えてくる。


「受けてやる。来い」


短い指示が落ちる。


レインが踏み込んだ。

霜を割る音が一つだけ鳴る。

それだけで、距離は消えていた。


木刀が落ちる。

一直線に。


バルドが正面で受けた。

鈍い音が、白い朝の空気へ低く広がる。


「……悪くないな」


それは褒め言葉ではなく、

現状を石へ刻むような確認であった。


レインは引かない。

木刀を戻す動きの中で、

すでに次の踏み込みへ移っている。


「待て。今のは意識して繋いだのか?」


「止めると遅れるから、そのまま出した」


「考えている時間はない、ということか」


「来る前に決めてる」


その言葉の通り、

レインの動きは見てから選ぶものではなく、

先に定めた流れを、そのまま現実へ通しているように見えた。

バルドは一歩踏み込んだ。


今度は受けるのではなく、自ら圧をかける。

横から入る木刀は速く、重く、

少年の肩を打つには十分な軌道を持っていた。


だがレインは退かなかった。

半歩だけ身をずらし、

当たる線から身体だけを外す。


距離は変わらない。

むしろ、近い。


「逃げるな」


「逃げてない。外しただけ」


言葉と動きが一致していた。


バルドは続けて打つ。

一つ、二つ、三つ。


レインはすべてを受け止めようとはせず、

当たる直前で位置をずらし、

時に木刀の腹をわずかに触れさせて軌道だけを逸らし、

衝撃を殺すのではなく、次の動きへ残していく。


「全部避けるな。受けろ」


レインは一瞬だけ真正面に入った。

だが、正面で止めなかった。

角度をつけ、受けた力を横へ流す。


「……そうだ。そのまま流せ」


バルドの声が変わった。

指示ではなく、確認へ。


少年の動きは止まらない。

受けた瞬間に次へ移り、

戻しきる前に次の軌道へ繋げるため、

打つ、受ける、避けるという区切りが、そこには薄い。


ただ、一つの流れだけがあった。


バルドの目が細くなる。

感心ではない。

見過ごせぬものを見つけた時の目であった。


「……お前、どこで覚えた」


レインは首を振った。


「覚えてない。同じにしただけ」


「何とだ」


「動きと、来る場所を」


バルドは一瞬だけ言葉を失った。

その答えは説明としては足りない。


だが、目の前で起きている現象を言い表すには、

それで十分でもあった。

この少年は、技を覚えているのではない。


来るものの位置を、

世界の中で先に見つけている。


そして自分の身体を、

そこからほんのわずかに外している。


それは剣の才と呼ぶには、あまりに静かで、

あまりに不気味な正確さであった。


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